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小田原の端々



小田原市内では現在6つの無形民俗文化財が指定されている。そのなかの一つが小田原市小船の白髭神社で正月7日に行われている奉射祭の神事。一説によると800年以上の歴史のある奉射祭だが、まだ見たことが無いので7日の午前中、ランニングの途中に白髭神社に立ち寄った。奉射祭は、その年の五穀豊穣の吉凶を占う神事で、かつては正月7日の日の出とともに行われていたが、今年は午前10時からの開始。少し遅れて午前10時20分に到着。白髭神社の石段を上がると境内には人垣が出来ていた。手持ちの資料によると白髭神社神主である小宮家当主と分家の当主が狩衣姿になり、神前で宮司による祝詞とお祓いで身を清めた後に矢を射るとのこと。20分以上遅刻して到着したので、すでに奉射祭は始まっていたかと思ったが、世話人のような方の神社の縁起や奉射祭の解説が10分以上続いた。午前10時30分すぎ、神事の場には宮司1名に狩衣姿の神主が2名。宮司が拝殿にあがり太鼓を打つと、狩衣姿の1名が的の近くに置かれた三宝に備えられた枡から御散米を撒く。米が撒かれると、狩衣姿のもう1名が矢をつがえる。およそ20m先の的は約2m幅ほどの大きさ。射手は昔から白髭神社の神主である小宮家の当主と分家の当主の2名があたっている。最初に小宮家の当主が3回射り、分家の当主が交代して3回、そして小宮家の当主が最後の矢を射って計7本の矢の行方により五穀豊穣の吉凶を占う。儀式ばったものを想像していたが、最初の矢が射られてからは意外と淡々と神事が進行した。最後の矢が射たれると的破りといって、子供達が的に吊るされた鳥形3羽目指して走り奪いあう。境内の椿の枝で作られた鳥形は魔よけになると信じられており、かつては大人も混じって奪い合いが行われたとの事だが、現在は小学校低学年の子供だけが的破りに参加することが許されている。子供達が鳥形を奪い合っている間に、一般の参拝者は拝殿前に並び始めていた。宮司さんから参拝者用の鳥形が配られるとのこと。このほか甘酒の振る舞いも行われていた。奉射祭が終わったので、的を近くから撮影。的は竹ひごを編んだもので作られており中心から16のウズが描かれている。今年は2本の的中。拝殿脇には奉射祭で使われた矢と弓が置かれていた。由緒あるものを使うのかと思ったら、青竹で作られた弓と矢だった。矢じりは尖がっておらず節の部分で切ったものが付けられている。矢羽は紙が取り付けられていた。この弓と矢で的を射るのは結構難しそうだ。飾り気のない簡素な神事だったが、なかなか面白かった。来年は祭りの最初から見物したい。

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