長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

前田玄以 ~ 都会コンプレックス ~

2014年05月22日 | 戦国逸話
 前田玄以?

※出典:ウィキペディア

 と言う人の方が多いことでしょう。
 ゲーム好きならば、「ああ、あの内政に使える奴ね。」と、いう感じかと。
 まぁ、文治派の人です。
 武将と言うより官僚というとイメージしやすいかも。

 信長の部下から秀吉の部下になり石田三成達と五奉行をやっています。前田は前田でも傾奇者の前田慶次郎や加賀百万石の前田利家とは全く関係がない。そんな前田玄以のエピソードはこちら。

〇 所司代となる
 前田玄以は尾張の小松原寺の住職だった。秀吉がまだ貧しかった頃から親しい間柄であった。ある日、秀吉が雑談していて、
 「もし儂が天下とったら、あんた何になりたいだね?」と聞くと、
 「わしゃ(京都)所司代がよいのう。前から京都の奴等が横柄で憎たらしいからのう。」と言う。
 その後、秀吉が天下を取ったところ玄以を所司代にした。すると好業績を挙げた。
 (中略)
 京都所司代となってから、京都を巡回中の時、東寺の辺りで牛車が道をふさぐ形で停まっていた。玄以は非常に怒り、家来へ「所司代の通り道を塞ぐとは、けしからん!斬り捨てよ!!」と命令した。従者はそこまでせんでも、と、ためらっていると、「主人の言うことがきけんのか!!!!」と大激怒するので、仕方なく従者は牛を斬り殺した。
 これを見聞きした人々は「今度の所司代は気が狂うとる。牛ですら斬ってしまう位だから、気にいらん奴がいれば問答無用で斬り捨てるに違いない。くわばらくわばら。」と言い合い気をつけた。
 そのため、訴訟事もあまり発生せず、人を殺すことも無かった。

 『京都の奴等が横柄で憎たらしいから所司代になりたい。』
 と、いうのはすごい理由。とんだ生臭坊主ではないか。
 そもそも、何が彼をそこまで京都の人間を憎むきっかけにさせたのか、そこも知りたいところですが、残念ながらそこには言及がない。だいたい、復讐するためのポストを希望する、ということ自体が結構異常。そもそも、彼は僧侶じゃないか・・・。

 結果的に玄以は京都所司代になってしまうわけです。
「そういや、玄以の奴、京都が憎いで京都所司代を希望しとったなぁ。よし、あいつじゃ!」
という感覚での任命ならば、豊臣秀吉も相当な能天気人事をしたといえる。サプライズ人事。
 ところで秀吉も若い頃京都所司代的な仕事をさせられたことがあって苦労したようです。実は秀吉自身が「うわぁ、京都の奴にくぅぅぅい。」と思って、あえて玄以を据えた、と、いうことならわからんでもないです。
 秀吉は案外根に持つタイプだったようですし。

 そして、後半は牛を見せしめとすることで、京都の治安維持を図った話です。
 でも本当のところは、
 『くわぁぁ、俺様の通り道に!やっとなった京都所司代様の通り道にぃぃぃぃ!!!きぃっ!これだから京都の奴等は憎いんじゃあ!』と思って、
 「斬り捨てぇぇぇぇぇ!!!」
 と言った、というのが本当のところだったかもしれません。
 と。いうか、前半からの話の流れを考えると、そちらの方が可能性が高いと思えるのですが。

 訴訟事も発生しなかったのは「今度の所司代には何を言っても無駄。」と思われていただけで、京都の人達が自分たちで争いごとを解決しようとしていた結果かもしれません。まぁ、結果的に争い事の件数そのものが減ったのであれば、名奉行でしょうが、残念ながらそこのところまでは教えてくれません。

 ま、京都の奴等に一泡ふかせる、という当初の目論見は見事に達成したわけです。
 本人は満足だったことでしょう。
 
 でも、僧侶が殺生していいのか?

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