戸次鑑連
はい、これ読める人。
正解は「へつぎあきつら」。(べつき説もある)
もっとも、本名より通称の方がよく知られています。「立花道雪(たちばなどうせつ)」です。
『信長の野望』で九州に攻め寄せた際に、「何このやたら強い武将。」と驚かされることで有名。(か?)
中部の武将でプレイすることが多かった自分としては、統一が近づいてきた頃に立ち向かってくる強い武将で、物量作戦で攻めつづけて確保、と、いう武将。
でも、「誰?」と、いう、そんなあなたにはちら。
〇 鑑連の武勇と士卒愛
大友氏が衰えたとはいえ、(大友家臣の)戸次鑑連は高橋鎮種と心を合わせて少しも屈しなかった。鑑連は武勇がたくましく部下の面倒をみることは子どもを愛するようであった。戦に臨む時は2尺7寸の刀と鉄砲を駕籠に入れ、3尺の棒を手に駕籠に乗り込み、長い刀をさした若い部下百人を駕籠の左右に配置し、戦が始まれば駕籠を部下に担がせて棒で駕籠を叩いて「えいとうとう」と声をあげ、敵の真ん中に突撃していき、部下もあわせて突撃し、どんな強敵も崩さないことはなかった。また、先陣が追い立てられても「儂を敵のど真ん中へ連れて行け。命が惜しければ儂を敵の中へ駕籠ごと放置してから逃げろ」というので盛り返して勝たないことは無かった。(以下略)
まさに『神輿』
「えいとうとう、えいとうとう」と、言いながら大軍の中に割り込んでくる異様な集団。
敵にしてみればホラーそのものかと。さぞかし肝を冷やしたことでしょう。
部下もよく駕籠を放置プレーせずに頑張ったものです。
担いでいる部下がやられてしまった日にゃ、バランス崩れて道雪も転落しそうなものですが、もし、そんな事態になろうものなら、怖さ倍増、さらに倍、で、
「あいつじゃあ!あいつがワシの大事な部下を!えいとうえいとうえいとうとう!」と絶叫して頸を取るまで追いかけて来るでしょう。敵領の真っ只中であろうがなんだろうが。
この剛直さは敵に向けてだけでなく、内なる敵にも向けられています。
内なる敵。
それは、主君の大友宗麟。
宗麟が酒食に溺れた時に道雪はひるむことなく諫言します。
○ 大友義鎮(宗麟)を諫む
大友宗麟は九州の北半分を制覇したあたりで酒食におぼれだした。昼も夜も寝所からでず、老臣が出仕してもあわない。そして適当に論功行賞を行いだした。
鑑連は大いに憂いなんとか諫言しようと日々登城するも対面できなかった。どうしようかと思い、一計を案ずることにした。
鑑連も踊り子を呼び日夜酒食に耽りだした。鑑連は元々月見、花見、酒宴、乱舞は大嫌いだったため宗麟は「硬骨漢鑑連が一体どうしたんだ。俺の機嫌を取ろうとしているのか?ならば行こう。」鑑連の邸にやってきた。珍しい踊りなどをみて宗麟が上機嫌なところを見計らって、鑑連は涙を流して諫言を行った。翌日七夕のため諸将が登城すると、昔のようにきちんと儀式が行われた。皆、鑑連の諫言が効いたと喜んだ。
主君にも諫言する硬骨漢。宴会嫌いでストイックな武将。
まさに武将の鑑。
と、ここで、ふと気づく。
このような武将といえば、どこかで見たような・・・。
そう、上杉謙信。
謙信といえば若干(で、済むか?)の狂気を見せることで有名ですが、実は、この鑑連にも謙信系の逸話が。
○ 雷切(らいきり)
鑑連が若い頃、夏の暑い日に大きな木の下で涼んでいた。すると突然すぐ側に落雷した。
鑑連は千鳥と名付けていた刀で雷と思われるものを斬った。
それ以来、千鳥を雷切となづけて常に所持していた。
しかし、雷に打たれ、あちこち大怪我を負い、遂に足腰が立たなくなってしまった。歩けない為、戦場に出る時には常に駕籠に乗っていた。
最初の逸話で駕籠に乗っていたのには理由があったのですね。雷と格闘した時の傷が原因だったのです。
「て、いうか、木陰で涼んでいたら刀に落雷してきたってこと?」
あ、そんなことを言ってしまったアナタ。
本日の夢で道雪が駕籠で突入してきますのでお気をつけください。
むしろ、落雷で大怪我しても雷公を斬り捨てた、そう解釈すべきなんでしょう。
まさに雷オヤジ。
そりゃ、主君宗麟も言うこと聞かざるをえんですわな。。。
肖像画を見ると、目玉ひん剥いて口をへの字に曲げた坊主頭の爺さん。さぞかし頑固そうな感じです。
九州男児。この言葉が一番似合う漢です。
はい、これ読める人。
正解は「へつぎあきつら」。(べつき説もある)
もっとも、本名より通称の方がよく知られています。「立花道雪(たちばなどうせつ)」です。
『信長の野望』で九州に攻め寄せた際に、「何このやたら強い武将。」と驚かされることで有名。(か?)
中部の武将でプレイすることが多かった自分としては、統一が近づいてきた頃に立ち向かってくる強い武将で、物量作戦で攻めつづけて確保、と、いう武将。
でも、「誰?」と、いう、そんなあなたにはちら。
〇 鑑連の武勇と士卒愛
大友氏が衰えたとはいえ、(大友家臣の)戸次鑑連は高橋鎮種と心を合わせて少しも屈しなかった。鑑連は武勇がたくましく部下の面倒をみることは子どもを愛するようであった。戦に臨む時は2尺7寸の刀と鉄砲を駕籠に入れ、3尺の棒を手に駕籠に乗り込み、長い刀をさした若い部下百人を駕籠の左右に配置し、戦が始まれば駕籠を部下に担がせて棒で駕籠を叩いて「えいとうとう」と声をあげ、敵の真ん中に突撃していき、部下もあわせて突撃し、どんな強敵も崩さないことはなかった。また、先陣が追い立てられても「儂を敵のど真ん中へ連れて行け。命が惜しければ儂を敵の中へ駕籠ごと放置してから逃げろ」というので盛り返して勝たないことは無かった。(以下略)
まさに『神輿』
「えいとうとう、えいとうとう」と、言いながら大軍の中に割り込んでくる異様な集団。
敵にしてみればホラーそのものかと。さぞかし肝を冷やしたことでしょう。
部下もよく駕籠を放置プレーせずに頑張ったものです。
担いでいる部下がやられてしまった日にゃ、バランス崩れて道雪も転落しそうなものですが、もし、そんな事態になろうものなら、怖さ倍増、さらに倍、で、
「あいつじゃあ!あいつがワシの大事な部下を!えいとうえいとうえいとうとう!」と絶叫して頸を取るまで追いかけて来るでしょう。敵領の真っ只中であろうがなんだろうが。
この剛直さは敵に向けてだけでなく、内なる敵にも向けられています。
内なる敵。
それは、主君の大友宗麟。
宗麟が酒食に溺れた時に道雪はひるむことなく諫言します。
○ 大友義鎮(宗麟)を諫む
大友宗麟は九州の北半分を制覇したあたりで酒食におぼれだした。昼も夜も寝所からでず、老臣が出仕してもあわない。そして適当に論功行賞を行いだした。
鑑連は大いに憂いなんとか諫言しようと日々登城するも対面できなかった。どうしようかと思い、一計を案ずることにした。
鑑連も踊り子を呼び日夜酒食に耽りだした。鑑連は元々月見、花見、酒宴、乱舞は大嫌いだったため宗麟は「硬骨漢鑑連が一体どうしたんだ。俺の機嫌を取ろうとしているのか?ならば行こう。」鑑連の邸にやってきた。珍しい踊りなどをみて宗麟が上機嫌なところを見計らって、鑑連は涙を流して諫言を行った。翌日七夕のため諸将が登城すると、昔のようにきちんと儀式が行われた。皆、鑑連の諫言が効いたと喜んだ。
主君にも諫言する硬骨漢。宴会嫌いでストイックな武将。
まさに武将の鑑。
と、ここで、ふと気づく。
このような武将といえば、どこかで見たような・・・。
そう、上杉謙信。
謙信といえば若干(で、済むか?)の狂気を見せることで有名ですが、実は、この鑑連にも謙信系の逸話が。
○ 雷切(らいきり)
鑑連が若い頃、夏の暑い日に大きな木の下で涼んでいた。すると突然すぐ側に落雷した。
鑑連は千鳥と名付けていた刀で雷と思われるものを斬った。
それ以来、千鳥を雷切となづけて常に所持していた。
しかし、雷に打たれ、あちこち大怪我を負い、遂に足腰が立たなくなってしまった。歩けない為、戦場に出る時には常に駕籠に乗っていた。
最初の逸話で駕籠に乗っていたのには理由があったのですね。雷と格闘した時の傷が原因だったのです。
「て、いうか、木陰で涼んでいたら刀に落雷してきたってこと?」
あ、そんなことを言ってしまったアナタ。
本日の夢で道雪が駕籠で突入してきますのでお気をつけください。
むしろ、落雷で大怪我しても雷公を斬り捨てた、そう解釈すべきなんでしょう。
まさに雷オヤジ。
そりゃ、主君宗麟も言うこと聞かざるをえんですわな。。。
肖像画を見ると、目玉ひん剥いて口をへの字に曲げた坊主頭の爺さん。さぞかし頑固そうな感じです。
九州男児。この言葉が一番似合う漢です。