長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

新府城 ~後編~

2012年08月25日 | 落城戦記
で、前回の続きです。

本丸内部ににあったのが「蔀の構え」です。
これは本丸虎口より城内に一本土塁を構築して城の中を見通せないようにしたもので、実際見てみるとこんな感じで中が見えません。

※わかりにくいかもしれませんが、写真中央の高まりが「蔀の構え」

ただ、両袖枡形とかの方が武田らしいのに、と、思いますが。曲輪内部に隔壁を設けるのも武田の特徴の一つだそうで古宮城なんかにもあったりする訳ですが、それの亜流なんでしょうか?再現図を見ると攻撃導線を増やそうとする意図はわかるのですが、なぜこれ?という不思議さが残ります。

さて、本丸から降りて大手側に向かいます。
それぞれの曲輪が広く、武田特有のマニアックさが感じられない。古宮城、松尾城、上野南本城のような複雑怪奇な恐ろしさが見られず、どちらかというと名古屋城を連想します。一つ一つの曲輪が大きく整然と並ぶ感じです。
収容人数が多く火器の使用を想定した城が名古屋城ですが、それに近い。想定している軍勢の数や戦闘形態が違うのだと思います。

しかし、現地で感じたのは『これは居館ではないか?』というものです。
新府城の直前に躑躅ヶ崎館を見てきたこともありますし、守護大名から発展した武田家の居城という性格からすると、居館としての威厳も考えているのではないか、という感じを受けました。実際、後で『日本名城百選』(小学館)を見ると「新府城は本質的には館であって、純然たる軍事要塞ではない」とあります。私の見立てもあながち間違いではなさそうです。
言われてみれば、百選が指摘するように堀の使用が少なく敵の遮断力が弱い。それだけに、武田勝頼は折角作った城を捨てて彷徨ってしまい、名門武田の最期としては寂しい場面を迎えることになったのかもしれません。

さて、丸馬出+三日月堀+枡形虎口という武田城郭ならば必見ポイントに到達しました。
枡形でけぇ!!!

そして丸馬出土塁から下を望むと高低差があるし丸いしすごい。

馬出の角度がこんな感じで、手前の凹みが堀。見事!

馬出の大手への道側は虎口化しており、立派です。


素晴らしいなぁ、と思って帰ってきたのですが、百選によると、本来馬出と虎口の間にあるべき堀が省略されており、防御力がやや劣る、とある。確かに。馬出的な腰曲輪的なといったところ。中途半端感は確かに否めません。

七里岩を眺めようと下へ」降りましたが草木が多くて岩が見難い!!


そしてこの後災厄に遭うわけです。
降りなきゃ良かった・・・。

家族旅行の弱さ。時間制限があったため、搦手口の馬出+枡形や近くの魅力的な白山城、新府城の外構などが見られませんでした。

再挑戦したい城です。

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