と
「家の縄張」とか自分の小さい頃に大人たちが使ってたと思うんですよ。なので、一般的に通用するとずっと思ってました。そしたら、かなり通じないのに驚き。
縄張争い、とか、っていうのもここから来てる言葉だと思うんですけどね。
自分の知ってる世界だけが世界じゃない、ということなんでしょうか。
話し広げすぎですね。
「家の縄張」とか自分の小さい頃に大人たちが使ってたと思うんですよ。なので、一般的に通用するとずっと思ってました。そしたら、かなり通じないのに驚き。
縄張争い、とか、っていうのもここから来てる言葉だと思うんですけどね。
自分の知ってる世界だけが世界じゃない、ということなんでしょうか。
話し広げすぎですね。
それまで城の建物などには興味がありましたが、お城全体の平面図を”縄張り”ということは
全く知らなかったです。
言われてみれば昔の大工さんたちは礎石をおきポイント毎に立てた杭に縄を渡して間取りを決めてたのを
よく見たような気が(あれは水平を出してたのか?・・・・)
ちなみに吉田城は今では風情も何もありませんが、土塁だけは少し残っていて歩道と城を分けています。
ほとんど商店街に変わっている道路の中央分離帯に「曲尺手門跡」とかって石碑が建ってたりするのを見て
「ほー、昔はここまで城だったのかー。」
と敷地の広さには驚きます。
長篠城も大部分が今は宅地だったり畑だったりしてますし、かえすがえすも勿体ないことじゃと思います。
あんよの具合はいかがでしょう。足腰をお大事に。
あれは位置決めだと思います。発掘調査でトランシッドで覗きながら杭打ちして水糸渡しますけど、あれだと発掘の位置決めをしており、水平は見ていないはずです。
吉田城、長篠城も城址碑がある部分だけではなく、城域全体を考えると相当な大きさになりますよね。ついつい残存しているところだけで考えてしまうのでいかんですけど。
ちなみに、足ですが日常生活には支障がありません。厄払いのお陰だと思います。
朝豊橋を出るので、10時ごろとのことです。
よろしくお願いします。
縄張りが・・・通じない?
元戦国少女としては、信じられない話です。
私は、小学6年くらいで、使ってました。
縄張は意外と通じないのですよ。
私も小学生くらいからなじみで使っている用語だけに驚きました。
受付におみやげを託しておきますね。
特に知りたいのは、強ちゃまが、どこからどこまで(何キロ)を馬で踏破したか・・・です。
公務の強ちゃまのほうが、メロたんより、立派な気がするので。
もしわかったら、受付に伝えておいてください。
強右衛門の行程は相当程度明らかになっています。馬での踏破は旧作手村から岡崎城までのはずです。長篠城址保存館の山内館長ならばそのあたり、相当詳しく話をしてもらえるはずです。
なお、お土産ですが、私は現在名古屋市に住んでおり、100km近く離れた長篠方面へは定期的に行かないので、お土産はご遠慮しておきます。
ボランティアガイドも当初募集して養成講座も開かれていたのですが、途中から案内も途切れがちで、最終的にどうなったのかよくわからない状況です。
ありがとうございます。