父は、50年前胃がんのため49才で他界してしまいました。
その経歴は大まかに、名古屋で自動車の運転手をやっていたこと、陸軍で中国へ出征していたこと、その後海軍の呉燃料廠および四日市燃料廠の変電室に勤務し、私は四日市で生まれたこと、終戦後その経験で電力会社へ入社したこと・・・くらいは聞いていました。
先日、仏壇を掃除したところ引き出しから父が電力会社へ提出した経歴書が出てきたためかなり詳細を知ることができました。
私もそうですが、子供に自分のことを話す機会などそんなには無いものです。そういう意味で簡単でも自分史を残すといいかもしれません。
なぜ小学校高等科卒業の人が変電室や電力会社で働いたかずーと不思議に思っていましたが、この履歴書で理解できたのです。
運送会社で運転助手を経験し自動車免許を取ったことも分かりましたが、電気技術は、千葉県松戸市にあった陸軍工兵学校電気中隊で学んでいたのです。古いアルバムを調べたら工兵学校の卒業アルバムが出てきました。
アルバム
アルバムの写真・校門の前・左から6人目か・・・一人だけメガネをかけています。
この工兵隊学校は、戦後間もなくは千葉大学の校舎に使用され、現在公園として利用されおり、写真にある正門はそのまま残されているそうです。
工兵隊で電気技術を学び燃料廠勤務になったため海外出兵せず戦死しなかったといえます。