南飛騨からこんにちは

田舎で農業しながら、日々気になること、ふるさとのこと、おもしろかったこと、趣味のことなど気軽に書きます。

ひどすぎですね

2017-02-25 | 新聞を読んで

今朝の中日新聞です。

ひとこと言わなくては気持ちがおさまりませんね。

稲田防衛大臣の「日報問題」もそうでしたが政権・政府に都合の悪い文書は「廃棄しました」と・・・。

交渉や協議事項を上位の管理職に議事録などにして報告するのは、企業でも国でも当たり前の業務でその書類の保管期限もすべて決められています。

役人が自らの業務内容を記録して上司の印を受けるルールは、その仕事の責任を明確にする書類ですから自ら大切な証拠を捨てられるはずがありません。あまりにも見え透いた嘘だと思います。

昔、菅直人厚生大臣が「廃棄した」と役人が言っていた薬害関係の書類を厚生省の事務所のロッカーを開けさせ出させたことがありました。残念ながら今回は、大臣と役人が同じ立場では暴き出すことが難しいですね。

また首相の国会答弁も真実が透けて見えます。安倍総理と思想を同じくする理事長の学校だから本人と夫人の名前を使うことを了承したものでしょうし、首相を尊敬する理事長が軽率に名前を使うことは想像できないですね。安倍・自公政権は独裁的で数の力によるおごりが酷すぎますね。


下垣真希さんを聴く

2017-02-21 | 音楽

下垣真希さんは名古屋を拠点に活躍されているソプラノ歌手です。

知県立芸術大学卒業後、ケルン国立音楽大学に入学。ドイツ国家声楽教授資格を取得し、同大学卒業。 5年半にわたり、ドイツ国際ラジオ局で DJ として活躍された後帰国され 国内や海外のオーケストラと共演されています。
 2000年ドイツ・ハノーバー万博閉幕式でアジア代表として独唱、同年の「ドイツにおける日本年」、2004年の「ドイツの日本デー」でも独唱し「カリスマ的」「非凡な声の芸術」とドイツの新聞で絶賛されました。2005年の愛・地球博でもソロコンサートを開催されました。
最近は「命と平和の尊さ」をテーマに、日本の歌を中心にしたコンサートを全国で開催されています。また「長崎の鐘」の原作者、永井隆博士の平和への祈りを歌と語りでつづった「わが心の歌 長崎の鐘」コンサートで平和の訴えもされています。永井隆博士生誕100年の記念式典に長崎市平和会館で公演されました。
 
実は、下垣真希さんは、子供の頃田舎の私の自宅のすぐ近くの診療所のお医師さんのお嬢さんで、私の母をはじめ家族が先生に診ていただき先生の優しい人柄もあり親近感をもっていました。そんなこともありお嬢さんの活躍をうれしく思っていました。
初期のCD 「じゃぽねすく」は聴かせていただいていたのですが、今回、ある機会があり新しいCD「平和を」を聴かせていただきました。
 
 
 
 
 
 多くのコンサートで活躍された経歴が示すように良く伸びるきれいな声で、真希さんの優しい心をあらわす歌唱を聴かせていただきました。
真希さんが「平和を」のコンサートやCDを出された背景には、ドイツの音楽家達がドイツ統一を中心になって訴え、平和的に終えることができたことや、叔父が永井隆博士とともに広島で被爆され奇跡的に生き残られたのですが、島根に戻り1週間後には17歳の短い命を終えられたと叔母から伝えられたことなどが平和への思いを強くされたと聞きます。
クラッシックの分野でも平和を希求しておられることは心強いですね。
 
YouTubeにも何曲かアップされていました。

 https://www.youtube.com/watch?v=rfz8fuQLcXU&list=PL0012D2F185FADD15

 ソプラノを聴くアンプは一番上のアンプジラでは声が強く刺激があり、やはり一番下の6550PP真空管アンプが柔らかく広がりが出て良かったです。

 

 

 

 

 


サリナ・ジョーンズ 愛のバラード BALLAD WITH LUV

2017-02-20 | 音楽

まだまだこの辺りは寒くて畑も凍っていますから農作業は3月初めから開始です。

仕事も少なくほぼ毎日が自由時間です。今日は、朝から久しぶりにヴォーカル・タイム。

紹介するサリナ・ジョーンズは1944年アメリカ・バージニア州の生まれ、私と同い年、声を聞かなくなりましたがまだ活躍しているのでしょうか。?

サリナ・ジョーンズのLPは、1970年末から1980年初めまで、10枚くらい出されました。

このLPは、1979年の国内録音、バックには日本人のプレイヤーも何人かいます。写真はCDですが、私がLPをデジタル化したものです。

曲は、「フィーリング」「明日に架ける橋」「追憶」「マイ・ウェイ」など、なじみのあるタイトルが並んでいます。ジャズファンでなくても聞きやすいものと思います。

少し枯れた独特の陰りのある声で、曲を崩さず、優しく情感を込めて歌い上げます。

録音はアナログと思いますが、柔らかくどっしりとした安定感のあるものです。アンプジラはこうしたヴォーカルを上手く聴かせます。

https://www.youtube.com/watch?v=syLUkPKd6Y4&list=PLWgTOFNl50WsSDHNLPTq4n2LUdNmX2tMv

 


NHK「原爆投下知られざる作戦を追う」

2017-02-19 | TVを観て

少しアップが遅くなりましたが、去る1月14日NHK・BSで「原爆投下知られざる作戦を追う」という原爆開発から広島・長崎への投下の克明な経過を取材した110分の番組が放映されました。

NHKの制作の趣旨は・・・

「1945年8月、人類の上に投下された原子爆弾。広島と長崎では、その年だけで21万人以上の命が奪われた。アメリカで原爆投下は、当時のトルーマン大統領が「多くの命を救うため」に決断したとされる。しかし、軍や政権の極秘資料から、実は明確な決断はなかった可能性が浮かび上がってきた。投下の意思決定は、誰がどのように行ったのか。今回、私たちは原爆開発の指揮官の肉声などを徹底検証、原爆投下71年目の真相に迫る。」

となっていました。これまで明らかになっていない「何故大量の民間人を殺戮しすることになったのか」など追及した貴重な映像だと思いました。再放送があれば録画をしたいと思います。

放送内容をブログでは言い尽くせませんが、概要はルーズベルトの死によって副大統領から大統領になったトルーマンは当初マンハッタン計画すなわち原子爆弾開発計画の詳細は把握していなかったところからスタートしたわけですが、開発責任者グローブスと軍部は莫大な予算を使って開発した原爆の爆破効果を見るために軍事施設でなく民間人が生活する都市部に落としたいと、最初は無傷の京都をスタートにした計画を大統領側に提案しました。

たが大統領側はこれに反対し、トルーマンは民間人に使うことには戦後のアメリカへの批判も考えて反対していたのですが、軍部は広島・長崎は軍事拠点だということにして都市中心部へ投下を強行することになったとしています。

結局トルーマンも投下後は、これを肯定する立場になり、戦後も一貫して原爆投下必然の立場に立ち続けたのです。

 

現在アメリカ国内で研究者が原爆投下の詳細を追及している内容も紹介されました。





船村徹氏逝く

2017-02-18 | 音楽

船村徹(84歳)さんが亡くなりました。東洋音大でピアノと作曲を学ばれギター流しなどする中で「別れの一本杉」でデビューされたそうです。少年の頃からラジオから流れる氏の歌謡曲を聞きながら育ってきたので曲がからだに染みついています。特に初期の「別れの一本杉」「柿の木坂の家」「東京だョおっ母さん」などは強印象に残っています。


今朝の中日春秋をみるように戦争で兄を失うなど戦後の混乱期を過ごした影響がメロディーに現れているのでしょうか。私が特に感銘しているのは「風雪流れ旅」です。北国で門付巡業をする旅芸人の姿が目に浮かびます。昭和20年代初期にはこの飛騨地方でも門付芸人がまわって来ました。時には角兵衛獅子の子供を連れた芸人を見た記憶もあります。

you Tubeは本人が歌っておられるものです。

https://www.youtube.com/watch?v=LeR9i3cpt8o