入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(42)

2021年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牛に音楽を聞かせる、という話はかなり以前から聞いて知っていた。乳の出が良くなり、肉牛は肉質が向上するという話だが、それもモーツアルトがいいのだという。人間でも難しいのに、牛に聞き比べができるとは思えない。多分、この蓄主は独自の販売ルートを持っていて、モーツアルトも含めて、話題作りのような気がするが違うだろうか。
 
 搾乳された牛乳は集乳され、市場へ出る前に殺菌処理が行われる。この過程で牛乳の味は均一化されるが、こうした処理や加工が独自にでき、販路を確保できる観光牧場や蓄主は味に拘り、独自性、個性化を追求しようとする。そうなると、他所の牛から搾乳された牛乳と区別化を図ろうとするに違いない。
 こういう牛乳はアイスクリームとかヨーグルトなどにも加工されるが、その最高級品は那須にある御料牧場のものらしい。特にアイスクリームは絶品だと誰かが言っているのを本で読んだことがある。
 モーツアルトが本当に効果があるか否かは措いて、もちろん牛にあまりストレスを与えず、快適な住環境を提供してやることは重要なことだと思う。思うが、しかし、これは言うほど簡単なことではない。
 
 牧草だけなら、日に体重の12パーセントも食べると言われる牛であり、その大量の草が何百キロもの体重を維持するのである。当然、代謝が起こる。
 入牧したばかりの牛はそうした汚れを付けているのが大半で、われわれはそれを「鎧を着ている」と言ったりする。屋外に放り出されて、幾日も雨に濡れてようやく、牛は鎧を脱ぐことができるわけで、下牧する時はすっかり身ぎれいになってトラックに乗せられて帰っていく。
 反芻の時と、寝てる時以外、牛はひたすら草を食む。長閑な眺めなどと言ってるのは人間で、生きていくために文字通り必死で食べ続ける。泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロ、卵を産み続けなければ殺されてしまうニワトリと同様、生きることは即ち食べることで、いまだ貧困にあえぐ国の人たちを省けば、人間のように食べることと生きることの間に余裕などない。食べることは牛にとっては単調な肉体労働と変わらないだろうと、その姿を悲愴にさえ思いながら見ることもある。
 
 牛も豚も家畜である運命から逃れられない。搾乳量を増やし、良質の肉を求められる。モーツアルトを聞かされ、ビールまで飲まされるのも、愛玩動物を喜ばせるのとは違う。
 たった4ヶ月、雨に打たれることもあれば、落雷に襲われることもあるが、それでも入笠牧場のような広い草原で、勝手気ままに草を食む。短い生涯の中で牛にとっては最も幸福な期間だと言えるのではないだろうか。初めて入笠牧場へ牛を上げた蓄主からも、今年は大変に好評だったと聞いた。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(41)

2021年12月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                      Photo by Ume氏

 夜の散歩中、灯りの乏しい小さな集落に来たら、一軒の家の生け垣がたくさんの豆電球の光で飾られていた。それでようやく、ああもうすぐクリスマスなのだと、闇に光るレースのような飾りに教えられた。電飾というらしいが、このごろのむやみやたらに何でも人工的な光で飾りたがる傾向をあまり快く思ってはいなかったが、あれにはなぜか好感が持てた。何となく気持ちが暖かくなった。
 そういえば、クリスマスで決まって思い出すことがある。あの頃は住む家すらもなくして、玉川上水路の近くの友人の家に転がり込んでいた40代のころだった。疲れ果て、上水路に沿った暗い夜道を自転車で走っていると、上水路の脇のいつもは暗っぽい小さな教会の前で、光が溢れ出た玄関から着飾った幾人もの人たちが談笑しつつ中に入っていく光景が見えた。眩く、美しかった。
 それでその日がクリスマスだと気付かされ、しばらく見とれ、一瞬そこに行ってみたくなったほどだった。すぐにそんな気持ちを打ち消したが、遠い昔の神の使徒の誕生を祝うために集まった幸福そうな人たちと、当時の自分とのあまりの違いを思い知らされて、みじめで気落ちした。
 ケーキを食べワインやシャンパンを飲んで酔っ払ったことも、どこかの値段の高いレストランに行ったことも、あるいは山やスキー場でその日を過ごそうとしたこともあったはずだ。しかし、それらの人並みなクリスマスよりか、身を捨てても少しも浮かぶ瀬に流れつかなかったあの時の記憶が、クリスマスと言えば全てに優先して思い出される。多分これからもそうだろう。

 宗教の景色を眺めながら旅をしたこともある。どちらかと言えば、神の存在を疑いたくなるような本が多かったかも知れない。それでもアーミッシュと呼ばれる人々、敬虔なイスラム教徒の人々を遠くから目にしたこともあり、宗教についてや、その影響について考えさせられた。
 僻遠の貧しい国で、短い一生を終えたある修道女のことは以前にも呟いた。本や写真では知っていたが、帰国していた際に一度だけ、その人の後姿を目にしたことがあった。灰色の修道服を着た小柄な身体は、しかし角を折れて一瞬のうちに視界から消えた。それからどのくらいしてからだろう、異国での彼女の突然の死を知った。
 アジアの、そして中東の荒れ地や砂漠で起きていることを見聞きすれば、眺める風景は暗くなるばかりだが、それでも彼らの信仰は揺らがない、そう思える。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(40)

2021年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 年末まで上に行くのを控えるつもりでいた。しかし今冬は雪の来るのがいつもの年に比べて早い気がしてる。きょうの写真は前回15日に行った時に撮ったもので、あれからも雪が降ったはずだ。日陰は日中でも気温が低く、雪は融けない。車で行くのが無理な場合を考え、荷揚げを兼ねてその前に一度は上に行った方がよいかも知れない、などと考え始めている。
 今朝の陋屋の室内気温が2度、かなり寒いが、上は当然もっと寒い。それでも牧場へ行くのはあまり抵抗がないから不思議だ。

 もう10年以上も昔のことだが、2頭のホルスが下牧を拒み残留した。一度は雄牛マッキー(本名:雪豊)の協力を得て囲い罠の中まで誘導できたものの、またゲートを破って逃げ出した。毎晩沢へ水を飲みに来ていることが分かっていたからその近くにくくり罠を仕掛け、首尾よく2頭を捕獲することができた。ところが1頭は暴れて足を折り、そのまま木に繋いで放置することが決まった。この辺りのことは以前にも呟いた記憶がある。
 当時はあんな非情な判断に承服せざるを得ず、その後気になって何度も様子を伺いに行った。どうやって繋がれたロープを切ったかは不明だが、それを引きずりながら乏しい草を求めて彷徨っていた哀れな姿が今も目に浮かぶ。
 こんな場合は明確な目的があったから行った。しかし、越年も含めて今は格別な理由、用事はない。それでも上のことが気になる。今の牧場の様子を見ておきたくなる。
 牧場ばかりか、法華道も同じだ。秋に単独で、法華道を通って高座岩までを往復した知人が、帰路に道に迷い、野宿も覚悟の上で苦労して帰ったと話してくれた。今年は一度も歩いていないから、倒木などを含め、古道がどうなっているか分からない.。法華道とくれば北原のお師匠だが、師も気を揉んでいることだろう。もっと雪が深くなって車で行けなくなれば、あの古道を行くしかない。そうなれば状況が分かるはずだ。
 踏み跡のない雪道を、いつも供をしてくれたHALを思い出しながら歩くのもいいし、静まり返った山の中で考えることは多分、諸々を押し込み、詰め込んだザックの中と同じだろうが、それでも、たまには環境を変えて何が出てくるか試してみるのも面白かろう。
 ところでHALは、本当はあんな雪道を一緒に来たかったのかどうか、思い返してみればそれほど嬉しそうではなかった気がする。特に犬でも夜の寒さはきつかっただろう。普段は絶対に上がらない廊下を夜間、ウロウロしていたこともあった。
 テイ沢の丸太橋も心配している。通行止めにしても、行く人はそれを無視するだろう。上流は凍結しても下流はそうならないから、川にでも落ちたら大変なことになる。この時季あそこへ行っても、色が剝げ落ちたり脱色した名画を見るようなものだと思うのだが。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(39)

2021年12月20日 | 入笠にまつわる歴史


 まずまずの天気、冷たそうな青空が拡がりきょうも気温は低い。11時から始まる農協の会議に参加するため、これから本所へ出向くことに。牧場のことが話題に出ると思うが、さて。

 結局、一方的にあれこれ話して帰って来た。要は入笠の美しい自然を守りたいこと、そのためには牧場の存続が必要で、当然ながらその存続のためには牛が必要だという、考え方としては敢えて逆の方向から話した。だからキャンプ、山小屋、撮影などの仕事は、あくまでも牧場を維持するための手段に過ぎず、牧場は安易、安直な観光政策など拒否して自然を守り、自然と一体化しつつある第2の自然だと言ってきた。
 同意もされなければ、反論もされず(クク)、あれは聞き置くということだろうが、それでも営農担当常務、営農部長、畜産課長、同係長の参加があった。

 第1牧区の一部を含む「御所平」は、後醍醐天皇の皇子、宗良親王が潜伏した地と伝えられているが、疑わしいと以前に呟いたことがある。それよりか、鎌倉幕府滅亡後に、前執権の北条高時の遺児亀寿丸(後の時行)が諏訪氏の支援でそこに連れてこられ、1335年の鎌倉奪還を企てた中先代の乱を起こすまで潜んでいた場所ではないか、と控え目に囁いた。
 宗良親王には南信濃の大鹿村に長年(通算では30年を超えると言われる)過ごした拠点があったからだ。それに、この時点では南朝は北条氏一門にとっては敵方であって、行動を共にするはずがない。しかし、とにかくかなりの軍勢がいたと思しき跡はある。であれば、親王よりか幼少の時行を担いだ鎌倉の残党ではないかと考えたのだ。
 ところが昨日、発売されたばかりの「中先代の乱」(鈴木由美著、中公新書)を読んでいたら、あながち口碑を否定できないことが分かった。大事なことを知らずにいたが、時行は3回も鎌倉の奪還に挑んでいたのだ。
 先の本によれば、1340年「大徳王時城」の戦いではかつての敵方であった南朝の宗良親王に味方し、共に信濃守護小笠原氏と戦っている。諏訪上社の神長官守屋氏が、40年後に書いた守屋文書によれば、この戦いに敗れたとあるようだ。戦いの場所については、伊那市長谷説を疑う人もいる。
 ともかく、何らかの事情で親王が大鹿に帰らず、時行としばらく行動を共にしていた可能性がないとは言えない。その場所がもしも入笠の「御所平」であったとすれば、いまだに残るこの地名は口碑と一致する。
 その後時行の消息は、12年後の1352年、3回目にして最後の鎌倉奪還を試みたことで分かる。そして、ついには囚われの身となり、20数年の短い生涯を終えたという。ただ、これにも逃げたという説がある。
 北条時行、物心ついた時から戦いの渦に飲まれながら生き、やがて歴史から消えた。しかし下って、幕末から明治にかけての偉人、横井小楠は時行の末裔だと、本人は信じていたようだ。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(38)

2021年12月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                       Photo by かんと氏 
   
 毎年の冬、ふたご座流星群のPHを撮りにきていたかんとさん(仮名)も、今年は来られなかった。寝付く前にはクヨクヨと考え込まないように壮大な宇宙に関する本を読むという赤羽(仮名)さんと、二人の宇宙に関する関心は同じではないかも知れないが、しかし、誰でもが日が落ちて辺りが暗くなると、頭上の深い闇の中に煌めく光の正体を知りたいと思うだろう。
 
 今なら「ビッグバン」という言葉を子供でも知っている。ところが、その宇宙誕生の瞬間、ビッグバンへ理論上は10のマイナス44乗まで辿れると、科学雑誌「ニュートン」か何かの本で読んで、すっかり理解不能の奈落に落ちかけた。他方、素粒子の寿命は10の33乗年にもなるから、御年138憶年のわれわれの宇宙は、まだ生まれたばかりだと語る人の本を読んで茫々漠々、無限の途方に暮れた。ある人から頂戴し、本は上にあるはずだ。講談社ブルーブックスの1冊だったと思う。
 宇宙空間は真空だが、その度合いは人間が地上で作るいかなる真空装置もかなわないと、これも昔何かの本で読んだことがある。この真空もクセモノらしいが、それはともかく、われわれの宇宙は膨張を続けているらい。ということは時間があるということで、なければ何の変化も生まれない、と思う。そうであるなら、この宇宙の内と外も、もし真空同士なら、取り敢えず時間が存在するか否か、これが境界を隔つ壁(の一つ)とは考えられないだろうか。
 
 止まれ、誰もが幽霊はいるのか、死後の世界はあるのか、といったことを考えるように、宇宙についても一度くらいは関心を持つと思う。そして、極めて少数の特殊な才能の持ち主を省いて、手に負えなくなって止める。現実においてはそんなことはどうでもいいことで、夜空は美しいと思えば充分である、と。宇宙の果てなどに乏しい想像力を浪費するのは詮もない、と。普通はそれが結論だろう。
 
 もう、3,40年経つだろうか、今は亡きカール・セーガンが著書「コスモス」で宇宙と人間の関り、辿った歴史を物語り、最後にあれほど感動的な言葉で同書を締めくくらなければ、きっと今も犬と同じように夜空の星を眺め、オオカミのように吠えていただろう。

   私たちは、地球のために発言する。私たちは生き残らなければならない。その生存の義務は私たち自身の  
   ためだけのものではない。私たちは、その義務を宇宙に対しても負っている。時間的には永遠、空間的
   には無限の、その宇宙から私たちは生まれてきたのだから・・・・・・。(「コスモス」)

  人類破滅の核戦争を怖れての言葉。本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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