入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(46)

2021年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜の9時過ぎ、寝る前に外に出たら雪が舞っていた。雨量・雲量の情報を見てもそのころから雪になる予報だったし、西山は経ヶ岳が昨日の早くから雪雲の中だった。すでに入笠も同じだろうと決めて、せめて大雪にはならないことを願いながら床に就いた。
 ところが今朝起きてみると、家の周囲や冬枯れの田畑に雪はなく、明るく日まで射している。有難いことに、どうやらここまでは雪の影響がなく安堵した。それでも、さすがに「数年に一度」とかの寒波からは逃れえず、恐らく我が陋屋の室内温度は氷点下まで下がっただろう。
 
 年内に格別やることなどないと言っておきながら、昨日は少し仕事をした。落ち葉焚きである。ここで何度か呟いた柿の木ではなく、別の場所の一度は伐り倒したはずの木が、小枝を生やし道路にまでその先が出てしまったため枝打ちをして、そのままにしておいた。それらを集めた上で、石油をかけて燃やした。柿の枝はまだ生木だと思っていたが、これが思った以上に実に良く燃えて、それで気を良くしてついでに紅葉の落ち葉も集めて火に追加した。
 お定まりの「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」、白居易大先生を真似て同じことを考えたが、ここらにはあの天皇のような風流を解す人はいそうもないと思い留まった。
 あの天皇、確か高倉天皇だと記憶していたが、天皇が大切にしていた紅葉が落葉し、それを使用人らが燃やし、あまつさえその火で不届きにも酒を温めて飲んだことが彼らの上司に知れてしまった。天皇はさぞかし悲しみ、怒るだろうと怖れて平身低頭するその上司に天皇は、身分の低い者たちがこの詩心を知っていたことを褒めて許したという物語、その主人公である。いい話だと、いつも焚火では思い出す。
 この天皇の后が平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院徳子で、壇ノ浦の戦いで源義経に助けられたあと、京都大原の寂光院の一隅に庵を結び移り住んだ。まだ若いころに大原を訪ね、三千院では手許不如意で拝観料がなく、近くの寂光院も諦めてしまった記憶がある。確か秋で、大原の里は黄金の稲田が美しかったことを今も覚えている。

 そんな、貧しかったその日暮らしのころを思い出していたら、煙に混じり落葉や木の燃えるいい匂いがしてきて、しばらくはそっちの方に気を奪われて酒のことを忘れた。
 本日はこの辺で。 

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