入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(28)

2021年12月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昼少し前、北原のお師匠から電話が架かってきた。いつもの調子と変わらず安心したが、ちょうど尋ねたいことがあったので有難かった。
 
 この独り言にもよく出てくる芝平、入笠とは切っても切れない山室川上流の谷間の地、入笠の西側山麓にある孤立した古い集落、その集団離村は「三六災害(60年)」が引き金となったと思っていた。ところが、少し違う言い方をする書き物を目にした。
 それで芝平の最古老であるお師匠に聞けば間違いないと思い、確かめておきたかった。ただし、お師匠は芝平から出るのは意外と早く、2番目だったという。集団離村より以前のことだ。
 集団離村の話に戻れば、必ずしもあの時の伊那谷を襲った未曾有の災害だけでなく、芝平には規模は違っても似たような災害が以前にもあったという。つまり、自然災害に苦しめられていた事実があって、三六災害は積み重なった人々の我慢の限度を超えたということなのだろう。そういう意味では「引き金」とも「きっかけ」と言っても間違いではないはずだ。ただ自然災害だけでなく、時代とともに辺境に暮らす人々にとって便利な世の中、より快適な生活への憧れもあったのではないかと想像できる。

 そんな話をしているうちに、二つある法華道のうちどちらの方が古いかということになった。そして、やはり芝平の諏訪神社口の方だろうということで、珍しく師弟の意見が一致した。時代が経過するに従い、身延の本山久遠寺への往還では、特に往路なら、赤坂口の方が諏訪神社口よりか3キロくらい手前になり、信者にとって取り付きやすく、便利だと思うようになったのではないか、そういう考えで落着した。
 ただしこれについては、赤坂口から入笠へ行く法華道が、いつころから信者に知られ、利用されるようになったかは、残された物を見たわけではなく分からない。あくまでも「常識的に考えて」という域である。

 そんなことで話が終わりかけたら、いきなり「芝平南蛮」の話が飛び出した。つい最近まで存命だった芝平出身の女性の手でずっと守り育てられてきた珍しい品種で、商品登録も終わっているという。そういえば、そういう話を何かで耳に挟んだことがある。
 お師匠はこれでまた「芝平」の名が残ると欣喜雀躍し、「花火を上げろ!」と穏やかな人にしては珍しく吠えたという。花火が好きなのは承知だが、それにしても「芝平」と「法華道」については、人柄を変えてしまう魔力があるらしい。
 本日はこの辺で。
コメント
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