入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(41)

2021年12月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                      Photo by Ume氏

 夜の散歩中、灯りの乏しい小さな集落に来たら、一軒の家の生け垣がたくさんの豆電球の光で飾られていた。それでようやく、ああもうすぐクリスマスなのだと、闇に光るレースのような飾りに教えられた。電飾というらしいが、このごろのむやみやたらに何でも人工的な光で飾りたがる傾向をあまり快く思ってはいなかったが、あれにはなぜか好感が持てた。何となく気持ちが暖かくなった。
 そういえば、クリスマスで決まって思い出すことがある。あの頃は住む家すらもなくして、玉川上水路の近くの友人の家に転がり込んでいた40代のころだった。疲れ果て、上水路に沿った暗い夜道を自転車で走っていると、上水路の脇のいつもは暗っぽい小さな教会の前で、光が溢れ出た玄関から着飾った幾人もの人たちが談笑しつつ中に入っていく光景が見えた。眩く、美しかった。
 それでその日がクリスマスだと気付かされ、しばらく見とれ、一瞬そこに行ってみたくなったほどだった。すぐにそんな気持ちを打ち消したが、遠い昔の神の使徒の誕生を祝うために集まった幸福そうな人たちと、当時の自分とのあまりの違いを思い知らされて、みじめで気落ちした。
 ケーキを食べワインやシャンパンを飲んで酔っ払ったことも、どこかの値段の高いレストランに行ったことも、あるいは山やスキー場でその日を過ごそうとしたこともあったはずだ。しかし、それらの人並みなクリスマスよりか、身を捨てても少しも浮かぶ瀬に流れつかなかったあの時の記憶が、クリスマスと言えば全てに優先して思い出される。多分これからもそうだろう。

 宗教の景色を眺めながら旅をしたこともある。どちらかと言えば、神の存在を疑いたくなるような本が多かったかも知れない。それでもアーミッシュと呼ばれる人々、敬虔なイスラム教徒の人々を遠くから目にしたこともあり、宗教についてや、その影響について考えさせられた。
 僻遠の貧しい国で、短い一生を終えたある修道女のことは以前にも呟いた。本や写真では知っていたが、帰国していた際に一度だけ、その人の後姿を目にしたことがあった。灰色の修道服を着た小柄な身体は、しかし角を折れて一瞬のうちに視界から消えた。それからどのくらいしてからだろう、異国での彼女の突然の死を知った。
 アジアの、そして中東の荒れ地や砂漠で起きていることを見聞きすれば、眺める風景は暗くなるばかりだが、それでも彼らの信仰は揺らがない、そう思える。
 本日はこの辺で。
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