入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(32)

2021年12月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも好天 、窓から差し込む冬の日が眩しい。もう椋鳥はどこかへ行ってしまったのか姿を見せず、柿木は賑わいを見せていた店が突然閉店してしまったようだ 。
 
 太平洋戦争勃発が1941年、日露戦争開始が1904年、それは覚えている、分かる。しかしその間は、たったの37年である。二つの戦争の間にはわずかこれだけの年月しか経っていなかったのだと改めて思い至り、唖然とした。
 すでに80年も経った第2次世界大戦はそれほど遠い昔とは思わない。ところが、歴史の話だと思っていた日本海海戦が1905年である。神社を建てられ神となった東郷元帥も、戦犯として処刑された東条元大将も、歴史上それほど離れた存在ではない。敢えて言えば、"お隣り同士"だったと言っても過言ではないだろう。
 日清戦争が日露戦争の10年前、1894年だから、従軍したかは別にしてその位だと、生涯で3度の戦争を潜り抜けた人もたくさんいたわけだ。例えば、信州が生んだ自然主義文学を代表する作家と言われる島崎藤村(1872-1943)はその一人だろう。この辺りの時代を辿れば、志賀直哉(1883-1971)、谷崎潤一郎(1886-1965)・・・、他にいくらでもいるはずだ。
 70年をすでに生きて、その間に一度も戦争が起こらなかった。一度でさえ御免だが、それにしても、明治維新も含めて、100年も経たない短い間に日本はかなり無理を重ね、戦争を繰り返し、一般の人々は苦労を強いられてきたことが手許の年表の数行からさえ分かる。
 
 省みれば、自身の時間が経つのも決して遅いとは思わないが、時節柄、疎遠にしていた恩師や上司の訃報を受け取ると、決まってその人たちには別な時間が過ぎたような早さ、錯覚を覚える。いや、訃報ばかりではない。美声でならした歌手が、いつの間にか年を取り云々、という姿をたまにTV広告で垣間見ることがある。
 昨日、TDS君と長野市の県立美術館まで、東山魁夷が唐招提寺のために描いた襖絵や、その下絵を展示した特別展を見てきた。北信に住んだTDS君とは違って長野市になど滅多に行くことがなく、帰りに善光寺へも立ち寄りたいかと聞かれ、小学校5年以来だから半世紀を優に超えるのだが、彼の親切心に結構だと応えた。そしてその後、「もう長野市に来るのはこれが最後だ」と言って笑った。これは、このごろやたら二人で交わす冗談だが、互いに似たような思いをそれぞれの年齢に感じた師走である。
 
 調べてみたら、2017年1月7日に戸隠神社へ行った折に長野の街を通過した。それ以来だった。本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする