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Photo by かんと氏
毎年の冬、ふたご座流星群のPHを撮りにきていたかんとさん(仮名)も、今年は来られなかった。寝付く前にはクヨクヨと考え込まないように壮大な宇宙に関する本を読むという赤羽(仮名)さんと、二人の宇宙に関する関心は同じではないかも知れないが、しかし、誰でもが日が落ちて辺りが暗くなると、頭上の深い闇の中に煌めく光の正体を知りたいと思うだろう。
今なら「ビッグバン」という言葉を子供でも知っている。ところが、その宇宙誕生の瞬間、ビッグバンへ理論上は10のマイナス44乗まで辿れると、科学雑誌「ニュートン」か何かの本で読んで、すっかり理解不能の奈落に落ちかけた。他方、素粒子の寿命は10の33乗年にもなるから、御年138憶年のわれわれの宇宙は、まだ生まれたばかりだと語る人の本を読んで茫々漠々、無限の途方に暮れた。ある人から頂戴し、本は上にあるはずだ。講談社ブルーブックスの1冊だったと思う。
宇宙空間は真空だが、その度合いは人間が地上で作るいかなる真空装置もかなわないと、これも昔何かの本で読んだことがある。この真空もクセモノらしいが、それはともかく、われわれの宇宙は膨張を続けているらい。ということは時間があるということで、なければ何の変化も生まれない、と思う。そうであるなら、この宇宙の内と外も、もし真空同士なら、取り敢えず時間が存在するか否か、これが境界を隔つ壁(の一つ)とは考えられないだろうか。
止まれ、誰もが幽霊はいるのか、死後の世界はあるのか、といったことを考えるように、宇宙についても一度くらいは関心を持つと思う。そして、極めて少数の特殊な才能の持ち主を省いて、手に負えなくなって止める。現実においてはそんなことはどうでもいいことで、夜空は美しいと思えば充分である、と。宇宙の果てなどに乏しい想像力を浪費するのは詮もない、と。普通はそれが結論だろう。
もう、3,40年経つだろうか、今は亡きカール・セーガンが著書「コスモス」で宇宙と人間の関り、辿った歴史を物語り、最後にあれほど感動的な言葉で同書を締めくくらなければ、きっと今も犬と同じように夜空の星を眺め、オオカミのように吠えていただろう。
私たちは、地球のために発言する。私たちは生き残らなければならない。その生存の義務は私たち自身の
ためだけのものではない。私たちは、その義務を宇宙に対しても負っている。時間的には永遠、空間的
には無限の、その宇宙から私たちは生まれてきたのだから・・・・・・。(「コスモス」)
人類破滅の核戦争を怖れての言葉。本日はこの辺で、明日は沈黙します。