夜の散歩のことだが、寒さ対策としては少し早すぎるのを承知で羽毛服を着て家を出る。ずんぐりむっくりが、ほぼ同じ時間に歩いている。仕事を終えて似たころに帰宅を急ぐ人もいるだろう。車が近付くと、灯りを点け、通り過ぎるとまた灯りは消える。あまり車の通らない山付きの道路を、この冬もおかしな奴を見掛けるようになったと思っているかも知れない。
最近の2年は生活の中心が山に移ったが、15年も入笠に通っていれば、通りすがりにやはり目に付く人や印象に残る人を見掛けることにもなる。
その中には何年も大きな靴を履いた中年の男がいた。殆ど周囲には目もくれず、ひたすら前を見ながら歩く姿は悲壮感さえ漂っていたものだ。特に夏は短パンでランニングぐっしょりと汗をかき、かなり早い速度でつんのめるように歩いていた。
もう一人は20代とおぼしき女性だった。この人は歩くのではなく走っていた。しかしその走る姿からは、陸上選手のような滑らかな動きではなく、左の肩だったかが傾(かし)いだ、あまり美しいとは言えない走り方だった。それに速度も速くはなかった。
これは勝手な想像だが、この二人は何かの病気を抱えていて、そのために必死になって何年もあのような運動を自らに課していたのではなかったか。ここ何年か二人の姿を見掛けないが、病に打ち勝ち元気になれただろうかと、姿を消した二人の姿を通い慣れた通勤路に思い浮かべることがある。
これも男と女だが、二人とも若く元気で、自転車に乗って通学する高校生たちだった。男子学生は小豆坂トンネルを下る急な坂でよく出会った。目元のすっきりした涼しい顔をしていて、当然ながらいつもこっちのことなど意に介さずに走り下っていった。
もう一人の女子高校生の方は、雨の日に杖突街道を傘もささずに自転車を走らせている姿が印象に残り、それからよく目にするようになった。そういえば大概はスカートだったが、運動ズボンの時もあって、いつの場合も力一杯元気に自転車を漕いでいた。
もう、この二人の姿も目にしない。同じ高校だったかは分からないが、卒業して社会に出たのか、あるいは進学したのかいずこの空の下にいるのやら、都会に出たならたまにはふる里を思い出すこともあるだろう。
で、いつか誰かが同乗者に「以前は冬になると10時近くにずんぐりむっくりの年のいったオヤジがこの辺りを歩いていたけれど」なんて話をすることがあるだろうか。「いや、ライトに照らされたあの顔はかなりのオジイだったから、もう・・・」なんて、クク。
かんとさんPHありがとう。折を見て星の話題の時に使わせてもらいます。赤羽さんも興味のある話題です。そのうち、呟きます。本日はこの辺で。