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名君か迷君か

2014-10-26 | 歴史
最近また『逆説の日本史』など読んで歴史モードに頭が変わりつつあるのだけれど、一言に「歴史」と言っても古代と近代ではまるっきり違うじゃないすか。
正直言うと古代史>戦国史>維新史あたりが好きで、平安期とか江戸期は退屈なイメージでした。

ところが今回の逆説の日本史15巻は非常に興味深い内容でした。
というのも世間一般のイメージと真逆な説を展開しているから。

著者井沢元彦によると、「生類憐れみの令」でお馴染み徳川綱吉や賄賂政治の田沼意次が名君で、「享保の改革」の8代吉宗や「寛政の改革」松平定信がバカ殿だというのだからたまげるでしょ。

吉宗と言ったら「暴れん坊将軍」で世間的には正義の味方という印象が強いはず、大河ドラマにもなったし、ぼくもそう思ってた。実際正史には「徳川中興の祖」と呼ばれ名君のひとりに数えられている(ウィキペディア)

まあ、吉宗の良い面も挙げていて、例えば「目安箱」によって庶民の意見を吸い上げるというかつてない試みや「大岡越前」などの人材登用において政治の刷新を計ったことなど。

しかしながら、吉宗は経済面であまりに無知であったと。加えて当時奨励されていた朱子学の影響で商業蔑視のような施策が結果庶民を苦しめることに。

簡単に言うと、当時貨幣経済が定着しつつあったところに未だに「米本位制」を守り続けたこと。現代は「金本位制」で「金」を基準に相場を動かしている、これを米だとどうなるか?ということ。

世の平安のため開拓事業を推奨し増産に継ぐ増産によってあたりまえだがコメの価値が大幅下落!今でいうインフレ状態→当然のように一揆や打ち壊しが多発。
自由相場に任せるのが悪いと、コメ業者の組合による相場を閉鎖し幕府が一元管理しようとする→コメの流通が著しく鈍化、結果やっぱり打ち壊しw

こんなことを繰り返していたのが8代将軍なのだとか。「米将軍」と呼ばれたのはネガティブな意味だったのか。米本位制を吉宗の罪みたいに言うのは無茶だけど他にも緊縮財政を旨とし倹約を推したため町の活気が消えたとか、融通が効かなかったことを指摘。


一方その後の10代将軍治世下における老中・田沼意次は、重商主義政策として株仲間の結成、銅座など専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発、外国貿易の拡大など景気を回復させた。
これが要するに「初期資本主義」化により庶民の生活が金銭中心となり贈収賄が横行→「田沼は悪者」というイメージに繋がったわけだ。

でもいずれ鎖国を解くこと(ロシアとの交易)まで想定していたみたいだから、もうちょっと権勢が維持されたら江戸末期の「黒船騒動」みたいなことは避けられたかもしれないとまで。

残念ながら道半ばにして失脚したのは、士農工商にとらわれない人材登用など反朱子学的政策を保守的幕閣に恨まれてのことなのだとか。

吉宗をバカ殿ってのはちょっと言いすぎだと思うけど、資本経済に肩入れした田沼を悪く言うのは間違ったイメージらしい。これはまだまだ勉強の余地があるなあ。