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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第10次支援活動<松島町・女川町>(その6)

2012-12-12 23:37:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の「きぼうのかね商店街」では前日に引き続いて能『嵐山』のダイジェスト・バージョンを上演しました。観光協会さんや商工会の方も大変ありがたくご協力頂いて、楽屋に姿見を用意くださるやら、音響設備をこの商店街と午後に予定されている町民野球場仮設住宅での上演の2カ所に貸し出しから設置までして頂くやら、大活躍でした。

「きぼうのかね商店街」での上演は、もう仮設商店街では恒例になっていますが、店舗の中ではなく通路のアスファルトの上が舞台になります。アスファルトの上で舞うのはもう慣れちゃったな。上演のたびに足袋が一足ダメになるのですけれども。

このとき、なんでもどこぞからの視察で大型バスで乗り付ける団体さんがいらっしゃるとのこと。案の定、上演中に巨大な観光バスが上演場所のすぐ後ろをバックで通りすぎて行きました。(^_^;)。。お客さまはさぞや驚かれたことでしょう。

終演後、急いで片づけをしているところに東松島の能面作家、木村健人氏もわざわざお出まし頂き、久しぶりに旧交を温めましたけれども、午後の上演があり、さらに時間との戦いで仙台に戻らなければならないので、あまり ゆっくり語り合うこともできないままに、町民野球場仮設住宅に向かいました。

途中。。女川町のかつての中心部を通ります。マリンパルこそ撤去されたけれども、倒壊したビルや交番は相変わらずそのまま。







ビルが横倒しになったことは津波では説明できず、まず地震で液状化現象が起こって建物が地表から浮き上がった状態になり、ついで津波がその建物を土台ごとなぎ倒した、と考えられているようですが、世界的にみても他に例を見ない被害なのだそうで、そんな特殊性もあって、このビルや交番は震災の被害を伝える資料として保存しよう、という動きもあるのだそうですね。

ぬえもかつては、復興が進むにつれて被災地域が更地になっていくのを見て、それは喜ばしい事なのだけれども、震災の記憶を伝えるものがなくなって行くことには複雑な感情を持っていました。被害を伝える建物をいくつか残していくべきではないのか。。? でも、いまは ぬえは考えが変わりまして、すべて取り壊して新しい街を再建する方が良いと思っています。こんなひどい状態の建物、もしこれが自分が住む街だったら、見たくないもの。。思い起こせば、ぬえにこういう考えを持たせたのは、今年の6月にここ、女川町で初めて活動をする際に、昼食を摂りに高台の町立病院からこの倒壊したビルを眺め下ろした時でした。

こちらは町民野球場仮設住宅がある運動公園に続く道。ここ、じつは女川町のガレキ置き場になっています。



被災地域全体を覆い隠していたガレキが一時的な保管所としてここに積み上げられ、やがて人の手によって分別されてから最終的に処分されることになります。もちろんここに住んでおられた記憶の品は、ずっと以前に入念に、大切に選り分けられています。

こうしているうちに町民野球場仮設住宅に到着しました。
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