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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第10次支援活動<松島町・女川町>(その7)

2012-12-14 21:51:01 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の町民野球場仮設住宅では6月の活動以来プロジェクトにお手紙を寄せてくださっているエノキさん。。もうこの頃は佐々木さんの言い方にならってミネさん、とお呼びしていますが、そのミネさんとも再会することができました。



さて今回は、6月に上演した会場。。仮設住宅の集会所ではなくて、その前にある大きなテント。。「坂本龍一マルシェ」で上演することを、ぬえからの希望で実現して頂きました。





これは6月に撮った画像ですが、坂本龍一さんが資金援助をして建てられたこのテント、名前の通り支援物資のバザーのために使われたり、イベントスペースにもなるし、普段は子どもたちの遊び場にもなっています。下はアスファルトなのですが、まあこれも仮設商店街で舞うのと一緒ですからさして問題ではなし。むしろ『嵐山』のようなスケールの大きい曲にはできるだけ広いスペースの方が合うものですから、今回はあえて無理をお願いして、集会所を楽屋に、この坂本龍一マルシェを上演会場に使わせて頂くことになりました。なんでも、女川町の中で仮設住宅の集会所とこのマルシェは所属担当が違う部署であるそうで、毎度プロジェクトの活動を受け入れてくださっている伊藤さんや矢竹さんにはご無理をお願いしたことと思います。







ところが。今回の活動のための交渉中に意外な事実を知ることになりました。伊藤さんや矢竹さんは、ともに女川町の出身の方ではなくて。。なんとボランティア出身なのですって(!)。。半年間をテントで暮らしながら住民さんの支援を続け、その後は活動の業績を認められて町の職員のような立場になり。。矢竹さんはその後女川町の女性と結婚されて、この奥様は被災された方だったのでご実家は流されているため、今は仮設住宅にお住まいなのだとか。。

テントで暮らしながら支援活動を続ける若いボランティアさんは、ぬえも大勢見てきました。石巻には専修大学の校庭にテント村のようなものができたし、東松島と大槌町では避難所の外に張られた多くのテントもありました(避難所の中には泊まらずに、外のテントで暮らしながら避難所の住民さんのお手伝いをしておられたのでしょう)。。が、震災から1年7ヶ月が過ぎた現在でも当地に残って、市民のようになってしまった方は、それほど多くはないでしょう。まあ、ほかにもボランティアさん同士で結婚して、いまも石巻で活動している方など、ぬえも何人か、知らないわけではないですが。

まさに献身的な活躍ですね。一方では住民さんとのふれあいがうまく行かずに、最後は住民さんを恨んじゃったりする事例も ぬえは見てきたし、また一方、復興が進むほどに自分の居場所をなくしてしまったボランティアさんもいるように聞いています。いずれにせよ震災のあとに支援のために現地に駆けつけて、そのまま住み続けて現在でも活動を続けておられるボランティアさんもあるのです。ボランティア団体ならそういう事も理解できるが、個人ボランティアさんとなると、これは献身としか言いようがない。若いからできる事でしょうが、誰にでもできることではありませんね。

さて。。さきほど「きぼうのかね商店街」で後見を勤めてくださった佐々木さんは この町民野球場仮設住宅に住んでおられるので、こちらでもお手伝いをお願いしています。商工会さんも音響機器を設置してくださり、装束などの準備もできると、もうちょっと開演まで時間があります。

ここで、ちょっとお節介かもしれませんが、佐々木さんのお部屋にお邪魔させて頂き、ご主人の貝廣さんのご位牌にお線香を手向けさせて頂くことをお願いし、佐々木さんも快諾頂きました。





とてもきれいなことで有名になった仮設住宅ですが、じつはこれはコンテナを改造したものなのだそうです。お一人住まいの佐々木さんは1部屋とバス・トイレがついたお部屋でしたが、家族構成によって最大4部屋の規模の住宅が割り振られるとのこと。家族で佐々木さんのお部屋にお邪魔しましたが、女性らしく整ったお部屋。笑顔で写っている貝廣さんの写真に手を合わせ、お線香をあげ、そうして ぬえは『江口』のキリを謡って手向けさせて頂きました。
コメント
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