ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

廬生が得たもの…『邯鄲』(その11)

2012-11-18 02:26:54 | 能楽
ようやく終わって稽古の日々から解放されてホッとしております。

しかしこの『邯鄲』という曲、練りに練り上げられた曲だと思うのですが、稽古を進めるたびに、これは。。ひょっとして作品成立当初から ほとんど演出面での変化がない曲なのではないか? と考えるようになりました。ぬえのその思いは、それぞれ具体的な証拠はない、甚だ演者としての主観の範囲を出ないものなのではありますけれども。。

まずは引立大宮の作物が脇座に出されること。これは異例中の異例でしょう。なんと言っても主人公であるシテが、ほとんど終始舞台の片隅にいて、しかも正面のお客さま。。往古は貴人に正面の姿を見せていないのですから。眼目の台上の「楽」も、これは楽屋内でも話題になっていますが、柱に衝突しないように、さりとて型が小さくならないように、と演者が苦労している割にはお客さまにアピールする効果は薄いでしょう。なにせシテが舞う空間は広い舞台から見れば1/10くらいしか使っていないのですから。。

さらに言えば、脇座に作物を出した故に、臣下(ワキツレ)はそれに対する位置。。角柱からシテ柱にかけての脇正面に着座せざるを得ない。これは現代の能楽堂では脇正面席のお客さまの視界の妨げになって、甚だ不利な上演形態と言わざるを得ません。

作物を脇座に出す理由については小田幸子さんが考察しておられて、「シテは、動きは少ないとはいえ、橋掛りを含めた本舞台全体をずっと見渡すことのできる位置にいる。そのため(中略)彼が支配している広大な王国をイメージさせる。しかし、そのためにだけ作り物をワキ座に置くのではあるまい。シテがワキ座にいるのは、舞台上が彼の夢の世界であること、彼がずっと夢を見続けていることの暗示ではないだろうか。夢の中で行動する自分と、それを見ている自分が同時に存在する。実際に夢の中で味わう、このような二重性が、主人公に付与されていると思うのである。作り物も同様に、夢の中では玉座であるが、寝台本来の意味を失うことがない。」(「『邯鄲』演出とその歴史」『観世』平成13年3月号)と述べておられますが、ぬえはこういう台本のテーマに意識が向けられて、このような演出が採られているのではないと考えています。もっと即物的な、舞台上の必要性に対応したものなのではあるまいか。

まずもって『邯鄲』は、夢の中の世界に入り込んだシテと一緒に、お客さまにもいつの間にか夢の中に巻き込んでいくように意図されて演出が考えられていると思います。夢の中の場面で作物が「寝台本来の意味を失うことがない」と小田氏は述べられますが、いや、寝台としての意味を失って、玉座にしか見えないように仕組まれてはいませんか? それは大藁屋の作物ではなく大宮として最初に舞台に出されたところから、仕掛けはすでに始まっていると ぬえは思っています。まずシテが、続いてお客さまが、いつの間にか夢の中の宮廷の有様を「現実」と錯覚するように仕向けられている、と感じるのです。それだからこそ「皆消え消えと失せ果ててありつる邯鄲の枕の上に眠りの夢は覚めにけり」と舞台が急展開を遂げる効果も現れてくるのではないでしょうか。

そうして、作物が脇座に出される理由も、ぬえは、この急転直下の夢が覚める場面ひとつの効果のためだけに選択された方法。。演出のひとつなのではないか、と考えています。

小田氏は作物の置かれる場所の可能性について「作り物は、なぜワキ座に据えられるのだろう。見やすさという点では大小前に置く方が有利なはずだし、シテが長時間舞台の右端に居るというのも、かなり異例にうつる。」と述べられていて、これは ぬえも賛成です。前述しましたが、脇座の作物の中での演技は、絶対的に正面席。。往古の貴人に代表されるように、いわば主賓席に対して圧倒的に不利なのです。枕を凝視する型は活きてくるかもしれませんが、それは大小前に作物を置いて横向きに演技をしてもさほど効果は変わらないでしょう。しかし横向きに眠る型となると、正面席には頭頂しか見せないのですから、「眠っている」というシンボル以上の演技は不可能です。

ところが、これ以後脇座にいるシテの位置は大変重要になってくるのです。遠くの幕から橋掛リを通って登場してくる夢中の勅使も、帝位についたシテのために集まってくる廷臣や舞童も、シテに対して横向きに演技をすることで、何というか表現が難しいですが、人格を持った登場人物というよりは空虚な夢の「部品」になり得るのではないか、と思うのです。

然るべくして、これ以後シテの演技はほとんどなく、シテを取り巻く状況だけが克明に描写される。シテはその傍観者に過ぎません。ここではシテはまだ帝位に就いた自分の立場について半信半疑なのであり、お客さまにとってもそれは同じ事でしょう。

ところがワキツレの臣下が「御位に就き給ひては早五十年なり」と発言するあたりから様相が変わってきます。

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