ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

三位一体の舞…『杜若』(その2)

2024-05-13 22:09:49 | 能楽
シテ「なうなう御僧。何しにその沢には休らひ給ひ候ぞ。

「呼び掛け」というシテの登場の場面は、長い橋掛りを備えた能舞台の特色を最大限に利用した素晴らしい演出ですね。そしてこの独特の登場はシテが幽霊や神など人間ではない役のときに最大の効果を生みます。幕内から呼び掛けるシテの姿はまだ観客からは見えておらず、シテの役者はワキに呼び掛ける謡だけで観客の想像力を掻き立てられなければなりません。神秘的に謡えれば観客にやがて現れるシテの姿に期待を持って頂くことができます。

ワキ「さん候これなる沢の杜若に。眺め入りて休らひ候。さてこゝをばいづくと申し候ぞ。
シテ「これこそ三河の国八橋とて。杜若の名所にて候へ。さすがにこの杜若は。名におふ花の名所なれば。色も一しほ濃紫のなべての花のゆかりとも。思ひなぞらへ給はずして。取りわき眺め給へかし。あら心なの旅人やな。


実際に幕内のシテとワキの距離は20mほどもあるのではないでしょうか。遠く呼びかけたシテはワキと会話を交わしながら橋掛りを歩み、だんだんとワキに近づいてきます。その間ずっとシテは観客に横顔しか見せないわけで、よりシテの神秘性を増します。一歩間違えればホラーですが(笑)。「杜若」の場合は後にシテが花の精だとわかるわけですから、可憐な感じで謡えれば良いですかね。なお橋掛りを歩むシテは重要な言葉を言うときや独白がある場合にはいったん立ち止まって正面に向きます。ここで観客ははじめてシテの面。。すなわち顔を見ることになり、文言の内容やシテのキャラクターを印象づける場面となります。

「なべての花のゆかりとも。思ひなぞらへ給はずして。取りわき眺め給へかし」のあたりは意味が通じにくいかもしれません。「この名所の杜若はその花の紫色も一層深く、すべての花のゆかりともお思いにならないのですね。特別な花と思ってご覧頂きたいのに。なんて心無い旅人でしょう」

杜若の花の色の紫は(他にもまれに白があるそうですが)、古来高貴な色で「枕草子」で絶賛されていますね。あるいは紫雲のように神秘的な色とされてきましたが、古来は「紫」という字をそのまま「ゆかり」と読むこともありました。いずれにせよ「縁」に結び付けられる色といえるのですが、能「杜若」のこの部分では ぬえはズバリ「私を女王様とお呼び!」と言っているのだと解釈しています。「取りわき眺め給へかし。あら心なの旅人やな」はまさに漫然と美しさを愛でる僧にさらに尊敬の念を持て、と言っているわけですが、これはじつは高慢から言っているのではなくて、この能のその後の展開から仏の教えによって昇華される運命を持った花なのだ、という意味だと捉えています。

ワキ「げにげにこの八橋の杜若は。古歌にも詠まれけるとなりさりながら。いづれの歌人の言の葉やらん承りたくこそ候へ。
シテ「伊勢物語にいはく。こゝを八橋といひけるは。水行く川の蜘蛛手なれば橋を八つ渡せるなり。その沢に杜若のいと面白く咲き乱れたるを。ある人かきつばたといふ五文字を句の上に置きて。旅の心を詠めと言ひければ。唐衣着つゝ馴れにし妻しあれば。はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ。これ在原の業平の。この杜若を詠みし歌なり。


いよいよ核心の「伊勢物語」の登場です。有名な9段の物語で、同じ章段には能「隅田川」に出てくる「都鳥」の歌も載っていて、同じく能「井筒」の典拠になっている23段と並んで教科書にも取り上げられてよく人口に膾炙しているお話でしょう。

ワキ「あら面白やさてはこの。東の果ての国々までも。業平は下り給ひけるか。
シテ「こと新しき問ひ事かな。この八橋のこゝのみか。猶しも心の奥深き名所々々の道すがら。
ワキ「国々ところは多けれども。とりわき心の末かけて。
シテ「思ひ渡りし八橋の。
ワキ「三河の沢の杜若。
シテ「遙々来ぬる旅をしぞ。
ワキ「思ひの色を世に残して。
シテ「主は昔になり平なれども。
ワキ「形見の花は。シテ「今こゝに。


じつはワキ僧は「伊勢物語」を読んだことがありません。これがシテが僧を呼び止めた理由かも。能「杜若」に描かれる内容はかなり難解なのですけれども、それ以上にこのシテは何の目的を持ってワキ僧の前に現れたのだろうか、とずっと考えていました。神通力を持ったシテがワキ僧が「伊勢物語」を知らないと気づいていたならば、「伊勢物語」の真実を伝えようとした、と解釈できるのです。このへんはまたこのブログでの考察の中で考えていきたいと思っています。

業平はこの八橋ばかりではなく国々の名所まで下ったのだが、とりわけ心を掛けたのがこの八橋なのだ、と語るシテ。遥々と旅をした業平だけれどもそれは遠い昔のこと。しかしその「思ひの色」は今でも残っていて、それを象徴するのが昔と変わらず咲き誇るこの杜若の花なのであり、それは今に残る業平の形見なのだ、とシテは言います。

能「杜若」では後に現代人とは到底異なる「伊勢物語」理解が語られるのですが、よく読み返してみるとこのシテの言葉がすでに伏線になっているように思えます。             (続く)
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