ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東日本大震災3.11 追悼の集い 気仙沼(その3)

2023-03-18 20:09:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
去年の3.11から1年ぶりの気仙沼再訪でしたが、今回は東京から車で行くのではなく列車で仙台に入り、そこからレンタカーを借りて、途中12年間ずっと見続けてきた震災被災地の定点観測を続けながら気仙沼に向かいました。

震災当初は笛の寺井宏明や臨時に活動を手伝ってくれる能楽師の友人と東京で待ち合わせて、運転を交代しながら東北に向かったものでしたが、今は現地集合・解散が普通になってきていて、気仙沼となると片道6時間を一人で運転するのが そろそろしんどくなってきまして。。

いや、正解だったかも。新幹線を使わず特急電車とレンタカーの費用を合わせても、東京からの高速道路の通行料やガソリン代とほとんど変わらないかもしれません。レンタカーを借りるまでは徒歩での移動があるので荷物をひとつにまとめる必要があり、また運ぶことができない物もあるのがネックですが、長距離運転のリスクを考えれば体力的にもこの方法がベストかなあ。年を取ったのね~

さてこうして訪ねた石巻と志津川のご報告を致しましたが、本日はその補遺です。

石巻では ぬえの活動の原点となった湊小学校をのぞいてみました。



当時は避難所となった湊小学校もいまは学校本来の役割を果たしています。住民さんの減少に伴って、より海に近いところにあってやはり被災した湊第二小学校はすでに閉校となり、この湊小学校に統合されました。



よく見るといつの頃からか屋上への避難階段が増設されていました。石巻では旧北上川の河口に位置する日和大橋の少し上流に新しい橋も架けられていましたし、少しづつ変わっていきますね。





こちらは児童の被害が甚大だった石巻市の大川小学校。こちらも震災遺構となってビジターセンターが新しく建てられ、案内板や柵が整備されて以前より校舎にも近づくことができたようです。

じつは今回気仙沼でご一緒した「えほん楽団」のみなさんは大川小学校で演奏した経験がおあり、と聞いて驚きました。ぬえたちプロジェクトとしてもここでの奉納上演を希望していた事があって、遺族会の方々とも交流を持ってはいるのですが。。これまで3回奉納をお願いしてその都度お断りになっております。

「えほん楽団」さんの場合はかなり複雑で特別な事情と、ぬえたちより長く濃密に関係者の方々と交流を深めておられたために実現したようですが、それもたまたま様々なタイミングがうまく合って実現したようで、その後別の音楽家の演奏に遺族の方々から異論が出されたりした事情もあって、受け入れは停止されたようです。

ぬえが聞いたところでは大川小学校では清掃のボランティアさんが唯一の受け入れ団体ですが、それも関西方面からずっと継続して支援を続ける方々だそうで、そういった努力と誠意によって信頼を得られたのですね。

さて気仙沼に戻って、もう少し前になってしまいましたがNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台ということで、それを示す看板があちこちにありました!





「橋を渡って来ましたぁ」



最後に気仙沼大島の「浦の浜」。以前は気仙沼本土から唯一の交通手段のフェリーが到着する場所で、このフェリー乗り場でも「羽衣」を上演したことがあります。上演当時お世話になった商店「グリーンアイランドおおしま」さんもすぐそばの高台の上に新築されていました!



大島大橋が架かってフェリーは廃止されたはずですが、気仙沼本土にもこの大島の浦の浜にもフェリーが停泊していました。あとで聞いたところによれば土日だけ営業する気仙沼湾内をめぐる遊覧船として就航しているのだそうです。

フェリーで大島に渡るときは船上でウミネコにエサをあげたりしましたが、あれ、今でもできるんですねっ!
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