ぬえの能楽通信blog

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義経への限りないオマージュ…『屋島』(その9)

2023-04-17 18:12:23 | 能楽
後シテの登場に演奏される囃子は前シテと同じ「一声」です。能ではあらゆる面で重複を避ける傾向が強いのですが、それに反するようにシテの出が前後とも「一声」というのは例が多いと思います。それほど「一声」は登場囃子として柔軟であることを意味し、「屋島」でも化身であり老体の前シテの登場の場合と霊体ながら勇ましい名将の後シテのそれとは、同じ「一声」でもかなり印象が違うと感じられると思います。

後シテ一声「落花枝に帰らず。破鏡再び照らさず。然れどもなほ妄執の瞋恚とて。鬼神魂魄の境界に帰り。我とこの身を苦しめて。修羅の巷に寄り来る波の。浅からざりし。業因かな。

登場した後シテ。。源義経の扮装は、いかにも勇猛な武人といった感じ。
面は「平太」を黒垂、梨打烏帽子、白鉢巻の上にかけ、紅入りの厚板の着付けに半切を穿き、その上には右肩を脱いで袷法被を着、勝修羅扇を持ち太刀を佩いています。

鎧兜の代わりに能装束でそれを表すのですが、たしかに右肩を脱ぎ白鉢巻をつけた姿は不思議に鎧を連想させますね。古人の工夫には本当に驚かされることが多いのですが、この修羅能の出で立ちはその中でも秀逸だと思います。さらに言えば、シテが敗死する運命の平家の公達の場合は扮装は「屋島」と同一でありながら、面を化粧して鉄漿をつけた「十六」や「中将」に替え、装束も強い法被ではなく薄衣の長絹を着、半切の代わりに白大口を着るなど面装束の種類や素材を替えるだけで見事に貴族化して文化的でか弱く脆弱な、およそ戦場に似つかわしくない平家の儚さを表現することにも成功している。先人の知恵には敬服します。

ところで「屋島」のほかにこれと同じ面装束を着る曲に「田村」「箙」の2曲があり、この3番を平家の負け修羅に対して勝ち修羅と称します。面「平太」はまさに日焼けした坂東の荒くれ武者といった感じですが、3番の勝ち修羅の主人公の中では「屋島」のシテの源義経だけが皇族出身で臣籍降下した源氏の子孫であり、ちょっと赤黒い「平太」の面にはやや違和感を感じます。

そこで能面の中にはあえて「白平太」と呼ばれて顔色が白い平太の面があるのです。表情は「平太」のまま、顔色だけで気品を感じます。これは専ら「屋島」に似つかわしい面だと思います。

ワキ「不思議やなはや暁にもなるやらんと。思ふ寝覚の枕より。甲冑を帯し見え給ふは。もし判官にてましますか。
シテ詞「われ義経の幽霊なるが。瞋恚に引かるゝ妄執にて。なほ西海の浪に漂ひ。生死の海に沈淪せり。
ワキ「愚かやな心からこそ生死の。海とも見ゆれ真如の月の。
シテ「春の夜なれど曇りなき。心も澄める今宵の空。
ワキ「昔を今に思ひ出づる。
シテ「船と陸との合戦の道。
ワキ「所からとて。シテ「忘れえぬ。
地謡「武士の。屋島に射るや槻弓の。屋島に射るや槻弓の。元の身ながら又こゝに。弓箭の道は迷はぬに。迷ひけるぞや。生死の。海山を離れやらで。帰る屋島の恨めしや。とにかくに執心の。残りの海の深き夜に。夢物語申すなり夢物語申すなり。


登場したシテは、生前に合戦で闘争した罪によって成仏できずさまよっている、と語ります。修羅能の定まりで、シテは地獄の修羅道に堕ちて永久に戦闘を続けなければならないと描かれるので、「屋島」のこのシテの言動もそれと同じ意味で、これに応答したワキは、人の心の持ちようによって見方も変わるのだ、と説き煩悩を捨てて成仏することを勧めます。

。。と言いたいところですが、はたしてその通りでしょうか。
たしかに「屋島」のシテは「落花枝に帰らず。破鏡再び照らさず」と自分の生前の行為を後悔したり、その結果として「我とこの身を苦しめて」「生死の海に沈淪せり」と苦しむ様子を吐露してはいるのですが、どうもその苦しみは表面的なものに思えます。

というのもこの場面ではシテは「なほ西海の浪に漂ひ。生死の海に沈淪せり」と述べてはいますが、ワキがその煩悩をたしなめて姿を刻々と変えても元の満月に戻ることで仏法の教えの象徴となる月を話題に持ち出すと、シテは「春の夜なれど曇りなき。心も澄める今宵の空」と応じながらも、すぐにその春の景観から「昔を今に思ひ出づる。船と陸との合戦の道。」と屋島合戦の思い出へと連想を転じていて、それは地謡が引き取って謡い続ける中でより詳細な物語と変わっていくのです。

たしかにシテが合戦の体験を語ることはワキ僧に対して懺悔して仏の救済を頼むという意味があり、「屋島」でも屋島合戦の昔を回想することを「恨めしい」と言っているのですが、「屋島」ではその後詳細に語られる合戦譚を語るシテの姿は懺悔する、というよりもむしろ自分の勲功を誇らしげに語るように見えます。

これが「屋島」の最大の特徴で、ほかの修羅能と一線を画している部分だと思います。そもそも修羅能に限らず広く いわゆる「複式夢幻能」と呼ばれる能では、化身として現れた前シテはワキ僧と出会うことで自分の救済を求めて、後半では実際の姿で現れて懺悔のために過去の出来事を語る、ということになっているのですが、「屋島」ではどうもワキ僧に救済を期待している様子が希薄なのです。

そういえばワキ僧も間狂言との問答の中で「ありがたき御経を読誦し、重ねて奇特を見うずるにて候」と発言していますが、待謡の中に「御経を読誦し」に当たる文句は見当たらないですね。謡曲には間狂言との問答は記載されておらず、現在でも開演前にワキと間狂言は問答のやり取りを必ず確認しておられますから、あるいはワキと間狂言との問答は古来固定されていたものではない可能性があり、そうだとすれば「屋島」の作者は意図的にワキに「御経を読誦」する行為をさせなかったのかもしれません。

なお余談ですが、地謡が謡う「武士の。。」以下の場面ではシテは左袖を出してワキの前まで進み、そこで袖を返すと左足を引き半身になって右手をワキの方へ出して決める型があります。これは修羅物の能の後シテ。。というか「経正」のように一場しかない能もありますから源平の武将の霊が本性で現れた場合、というのが正しいでしょうが、その場面で必ずシテが行う型です(女武者であり、小袖の装束を着ている「巴」ではさすがにこの型はありませんが)。ちょっと面白い約束事ですね。
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