もうひとつ、物着のあとのワキの文句「静御前の舞を御舞ひあるぞ。みなみな寄りて御覧候へ」にも注目しておきたいと思います。このワキの文句は能楽堂に集まるお客さまを勝手神社に集まった信徒に見立てて、見所に向かって謡われるのですが、わざわざ謡う必要がある文句なのか、常々 ぬえは疑問に思っていました。
なるほど、間狂言の触レや能『百萬』の中でシテが舞う「立回リ」などの例を出すまでもなく、能の観客をそのまま能の台本が描く事件の現場に居合わせた人々と仮託するのは能の常套手段の演出といえると思います。『二人静』の場合も勝手神社では新年の神事を控えていて、その神事に必要な若菜を摘みに菜摘女は出かけたのでした。若菜が到着すればすなわち正月の神事が始まるわけで、これを期待して集まった初詣客は相当数あったであろうことは想像に難くありません。
がしかし『二人静』では、特に事件が起こった季節が正月であるべき必然性は感じられません。若菜を摘む神事が能のストーリーに関係しているわけでもなく、いわばこの曲の事件が正月に設定してあるのは、野辺に出て若菜を摘む若い菜摘女の清々しさが早春という季節にふさわしく、その清々しさが、前シテの女が言う「罪業のほど悲しく候へば」「我が跡弔ひて賜び給へ」という恐ろしい伝言とのギャップを生み、戯曲が印象的になる狙いが作者にあったのだろうと ぬえは考えていました。
そうであるならば、あえてここでワキにこの文句を言わせる必要はあるのでしょうか。静の霊が菜摘女に取り憑いて菜摘女の人格が豹変するという相当に劇的な場面を経たいま、戯曲としてはそのあと宝蔵から静の舞の衣裳が発見されるなど、勝手宮を取り巻く現実世界を作者は常に視点から外していないのだけれども、人格の変化というあまりに印象的な場面のあとではそのまま静ひとりの独白の形を取って、いわば個人の内面に視点を移した方がストーリーとしては自然な流れなのではないか、と常々 ぬえは思っていたのです。
ところが今回『二人静』をよく読んでみると、もうひとつ、台本に現れる「一日経」というものを、ここで考える必要があると思い至りました。
「一日経」とはひとまとまりの経巻を一日で写経することで、『平家物語』にも屋島の合戦で佐藤継信が能登守教経が義経に向けて放った矢を身を以て防いで討ち死にしたとき、義経は近在の僧を探して名馬・大夫黒を与えて、一日経をもって継信の供養をする事を頼んだ、と記されています。
一日経で写経するのは法華経であることが多かったようです。章段の多くが「如是我聞」で始まるとか、国宝の中の国宝と呼ばれる平家納経がこの法華経の書写であるとか、かつて日本人にとって法華経は身近であり、大変に信仰を集めていました。しかし法華経は「一部八巻二十八品」と呼ばれるように大きく8巻、28の章段から成っていて、これは少ないように思えますが、かつて岩波文庫から出ていた現代語訳は上中下3分冊という大部でした。平家納経が清盛主導で平家の公達が「一人一経」と手分けして書写した事を考えても、これを一日で書写を完遂するためには人海戦術で作業にあたらなければ無理で、それを支えるには一般市民の協力も必要だし、経済的にもこの事業を成し遂げるのは大変なことだったようです。
ここに考え至って、今回はじめてワキの言葉の意味が ぬえに理解されました。
ワキの「静御前の舞を御舞ひあるぞ。みなみな寄りて御覧候へ」という言葉は、静が所望する一日経の実現のために協力者を募る言葉で、それは経済的な協力。。喜捨をも念頭に置いた言葉でした。
静は白拍子として舞を見せることで生計を立てていた芸能者です。だから勝手宮の神職は静の思いを理解し、彼女の代弁者として、静の舞を見る代わりに一日経の完成に協力する者を募ったのですね。能『二人静』の作者は、この場面でわざわざワキにこの言葉を言わせることによって、静の舞を見る観客をただの享受者にはとどまらず、静の舞が終わってから勝手宮で当然行われるはずである一日経の書写の実務に携わる協力者に仕立て上げようとしたのでした。協力者に仮託された観客は静の舞を見るのはその対価。そうして作者はお客さまを戯曲の内部に取り入れることによって、より舞を見る興味が増すことを計算したのでしょう。
こういう、能『二人静』の作者の意図を発見すると、もうひとつの疑問も解けてきました。
クセの中で地謡が謡う詞章では「次第々々に道せばき。御身となりてこの山に。分け入り給ふ頃は春」となっていますが、実際に義経が大物浦での難破事件のあと吉野山に入ったのは元暦2年の暮れのことで、季節は冬でした。なぜ『二人静』では季節を春としているのでしょうか。
それは取りも直さず吉野山が桜の名所なので、桜の季節を能の台本の設定にしたのでしょうが、もうひとつ、散る桜を義経と静の逃避行のイメージに盛り込むことを作者が意図したのだろうと思います。日本人にとって桜は特別な感慨を持つ花ではありますが、それは春を謳歌するように咲き乱れる豪華な花盛りと、それがほんの短い命で、花の季節が終われば花吹雪となって潔く散るその対比が はかなさを感じさせるからでしょう。同じ『二人静』のクセの文句に「寝もせぬ夢と花も散り。まことに一栄一落目のあたりなる浮世とてまたこの山を落ちて行く」とありますが、まさに作者が描きたかったのは義経の栄華と盛衰の対比を吉野の桜の花に象徴させたいという思いがあったのだと思います。
なるほど、間狂言の触レや能『百萬』の中でシテが舞う「立回リ」などの例を出すまでもなく、能の観客をそのまま能の台本が描く事件の現場に居合わせた人々と仮託するのは能の常套手段の演出といえると思います。『二人静』の場合も勝手神社では新年の神事を控えていて、その神事に必要な若菜を摘みに菜摘女は出かけたのでした。若菜が到着すればすなわち正月の神事が始まるわけで、これを期待して集まった初詣客は相当数あったであろうことは想像に難くありません。
がしかし『二人静』では、特に事件が起こった季節が正月であるべき必然性は感じられません。若菜を摘む神事が能のストーリーに関係しているわけでもなく、いわばこの曲の事件が正月に設定してあるのは、野辺に出て若菜を摘む若い菜摘女の清々しさが早春という季節にふさわしく、その清々しさが、前シテの女が言う「罪業のほど悲しく候へば」「我が跡弔ひて賜び給へ」という恐ろしい伝言とのギャップを生み、戯曲が印象的になる狙いが作者にあったのだろうと ぬえは考えていました。
そうであるならば、あえてここでワキにこの文句を言わせる必要はあるのでしょうか。静の霊が菜摘女に取り憑いて菜摘女の人格が豹変するという相当に劇的な場面を経たいま、戯曲としてはそのあと宝蔵から静の舞の衣裳が発見されるなど、勝手宮を取り巻く現実世界を作者は常に視点から外していないのだけれども、人格の変化というあまりに印象的な場面のあとではそのまま静ひとりの独白の形を取って、いわば個人の内面に視点を移した方がストーリーとしては自然な流れなのではないか、と常々 ぬえは思っていたのです。
ところが今回『二人静』をよく読んでみると、もうひとつ、台本に現れる「一日経」というものを、ここで考える必要があると思い至りました。
「一日経」とはひとまとまりの経巻を一日で写経することで、『平家物語』にも屋島の合戦で佐藤継信が能登守教経が義経に向けて放った矢を身を以て防いで討ち死にしたとき、義経は近在の僧を探して名馬・大夫黒を与えて、一日経をもって継信の供養をする事を頼んだ、と記されています。
一日経で写経するのは法華経であることが多かったようです。章段の多くが「如是我聞」で始まるとか、国宝の中の国宝と呼ばれる平家納経がこの法華経の書写であるとか、かつて日本人にとって法華経は身近であり、大変に信仰を集めていました。しかし法華経は「一部八巻二十八品」と呼ばれるように大きく8巻、28の章段から成っていて、これは少ないように思えますが、かつて岩波文庫から出ていた現代語訳は上中下3分冊という大部でした。平家納経が清盛主導で平家の公達が「一人一経」と手分けして書写した事を考えても、これを一日で書写を完遂するためには人海戦術で作業にあたらなければ無理で、それを支えるには一般市民の協力も必要だし、経済的にもこの事業を成し遂げるのは大変なことだったようです。
ここに考え至って、今回はじめてワキの言葉の意味が ぬえに理解されました。
ワキの「静御前の舞を御舞ひあるぞ。みなみな寄りて御覧候へ」という言葉は、静が所望する一日経の実現のために協力者を募る言葉で、それは経済的な協力。。喜捨をも念頭に置いた言葉でした。
静は白拍子として舞を見せることで生計を立てていた芸能者です。だから勝手宮の神職は静の思いを理解し、彼女の代弁者として、静の舞を見る代わりに一日経の完成に協力する者を募ったのですね。能『二人静』の作者は、この場面でわざわざワキにこの言葉を言わせることによって、静の舞を見る観客をただの享受者にはとどまらず、静の舞が終わってから勝手宮で当然行われるはずである一日経の書写の実務に携わる協力者に仕立て上げようとしたのでした。協力者に仮託された観客は静の舞を見るのはその対価。そうして作者はお客さまを戯曲の内部に取り入れることによって、より舞を見る興味が増すことを計算したのでしょう。
こういう、能『二人静』の作者の意図を発見すると、もうひとつの疑問も解けてきました。
クセの中で地謡が謡う詞章では「次第々々に道せばき。御身となりてこの山に。分け入り給ふ頃は春」となっていますが、実際に義経が大物浦での難破事件のあと吉野山に入ったのは元暦2年の暮れのことで、季節は冬でした。なぜ『二人静』では季節を春としているのでしょうか。
それは取りも直さず吉野山が桜の名所なので、桜の季節を能の台本の設定にしたのでしょうが、もうひとつ、散る桜を義経と静の逃避行のイメージに盛り込むことを作者が意図したのだろうと思います。日本人にとって桜は特別な感慨を持つ花ではありますが、それは春を謳歌するように咲き乱れる豪華な花盛りと、それがほんの短い命で、花の季節が終われば花吹雪となって潔く散るその対比が はかなさを感じさせるからでしょう。同じ『二人静』のクセの文句に「寝もせぬ夢と花も散り。まことに一栄一落目のあたりなる浮世とてまたこの山を落ちて行く」とありますが、まさに作者が描きたかったのは義経の栄華と盛衰の対比を吉野の桜の花に象徴させたいという思いがあったのだと思います。