ぬえの能楽通信blog

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ふたつの影…『二人静』(その9)

2014-07-13 08:45:01 | 能楽
昨日、入場券のお申込を頂いた方のために『二人静』の「鑑賞の手引き」のようなプリントを作っていたのですが、この際ちゃんと台本の現代語訳をつけようと思いまして。これまで自分でもちょっと曖昧なままに意味をつかめていなかった部分もあったので、今回きちんと現代語訳してみました。。ら、とくにクセの文章が、あまりに かわいそうな内容だったのでした。

ちょっと意訳も交じっていますが ぬえ訳『二人静』(サシ~クセ~キリ)をご覧下さい~

シテ/ツレ「さても義経は朝廷から凶徒と烙印を捺され(注①)、すでに追討の兵が向かったと聞くと小舟に乗って渡辺神崎から海を渡ろうとしたが、航海はうまくいかず暴風が吹いて、元の地に戻されてしまった。これも天命かと思うと、この世では罪は犯さなかったつもりであっても
地謡「前世に罪お犯してしまったのかと、我が身を恨むばかりであった。

地謡(クセ)「そうしているうちにあの方の進む道は次第に細くなっていくばかりに思えました。こうしてこの吉野の山に足を踏み入れたのは春の頃。有名な吉野山の桜の木の下にのどかに休もうとしても、激しい夜嵐が吹くような不安に目が覚めてしまい、夢を見ることもなく花も散ってしまった。まこと、栄華も衰えも一時に起きるのが浮き世とは聞くけれど、この時にそれが本当の事だと我が身に思い知りながら、さらに深くこの山の奥へ落ちて行ったのだった。
シテ/ツレ「昔、浄見原天皇も
地謡「大伴の皇子に襲われてこの吉野山に逃げ込んで迷い歩いたという(注②)。そのとき雪の木陰を頼みにされたという桜木宮や宮滝、西河の滝。いまは私たちががそこをただ落ちて行く。滝の水はまた元に帰るというのに。それにしても吉野の木陰を私たちも同じように頼りにしようと思っても、花が散った桜は雨さえも遮ってくれない。奥山までも音騒がしく、春の夜の月は朧に曇って(注③)、なお足を引きずりながら山奥に迷い込む姿は
シテ/ツレ「唐土の祚国が花に心を奪われて身を滅ぼし(注④)
地謡「旅人は有明の月の下に歩を進めるということも(注⑤)今さら身の上のことのよう。雪のように白い落花を踏んでは少年のように春を惜しむという春の夜(注⑥)だが今は静かではない。騒がしい吉野の春では桜を散らす山風の音までも追っ手の声なのではないかと恐れて後を振り返りながら、さらに山奥へと山路を急ぐのだった。

地謡「それだけではなく つらかったのは、私が頼朝に召し出されて「静は舞の上手である、急いで舞を見せるように」と命令され、心ならずも袖の紐を解いて舞の袖を翻したこと(注⑦)。返すがえすも怨めしいこと。そのとき謡ったのは、楽しかった頃の昔を恋しく思う歌。
シテ/ツレ「しずやしず    序之舞

シテ/ツレ「賤やしず、賤の苧環繰り返し
地謡「昔を今になす由もがな。
シテ/ツレ「思ってみれば昔も
地謡「つらいことばかりで恋しくもない。今身につけている衣裳からも連想される衣川、その館で命を失ったあの方の事を思うと恨みの心ばかりが今でも私に迫る。衣川に身を投じるように義経さまは身を失ったが、しかしその武名は失うことはなかった。
シテ/ツレ「武士として守れたのは名誉だけだが
地謡「それだけでなくつらい事は多いのが世の定め。仕方がないことだと思うばかりの私の前に、やはり雪のように松風に散らされる山桜の花のはかなさ。静の跡を弔ってください。どうか私の跡を弔ってください。



①後白河法皇は義経のために頼朝追討の院宣を出したが、それが都落ちして北条時政が都に入ると、それに屈してかえって義経追討の院宣を出した。
②壬申の乱のこと。
③吉野に逃げた義経一行は金峯山寺の心変わりに遭い、ここも追われて奥州に向かった。
④典拠不明。番外曲『祚国』に花を手折ろうとして谷底に転落した祚国の話が見える。
⑤「遊子なお残月に行く、函谷に鶏鳴く」和漢朗詠集
⑥「燭を背けては共に憐れむ深夜の月、花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」和漢朗詠集
⑦『義経記』によれば吉野で捕らえられた静は鎌倉に護送され、頼朝の所望により鶴岡八幡宮で舞を披露させられた。その時に謡ったのが「しずやしず」の今様で、義経を想って舞ったのが頼朝の逆鱗に触れたが、北条政子の同情を買って許された。なお同書では鎌倉で静は義経の子を産んだが、男子だったため由比ヶ浜で殺された。静は後に傷心のまま都に戻り、出家。翌年には二十歳で死去したと伝える。


これだけ長大なクセでありながら、内容というものが ほとんどありませんね。女性をシテとする本三番目能の中でも歌舞を生業とする静を主人公としながら、クセの中ではわずかに『和漢朗詠集』が引かれるだけで、静自身が謡ったという「しづやしづ。。」のほかには和歌が現れないのも特異。

そうでありながら、このクセの内容は静が実際に見た義経の逃避行の有様です。まさに落ち武者の悲哀が延々と連ねられていて、これは叙事詩と言っても良いのではないかと思えるほど。

それだけにキリの文句「思ひ返せばいにしへも恋しくもなし」…という言葉が重いです。恋人の義経へ残す執心のために成仏できない静が、その「いにしへ」が恋しくもない、と言う。どうもこの辺にこの曲のテーマがあるように思えますね。。