ぬえの能楽通信blog

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ふたつの影…『二人静』(その7)

2014-07-10 16:46:08 | 能楽
ツレは物着で長絹、静折烏帽子を着け扇を持ちます。もとより長絹は水干の意味で、また詞章によれば大口袴を穿いているのですが、これまた観世流では実際には着流しの姿で、袴を穿いている心で勤めることになります。静折烏帽子というのは前折烏帽子のうちで金地で地紋のあるものを言います。由来は よく知らないのですが観世流では静御前の役には必ずこの烏帽子を使うことになっています。

物着ではツレが唐織を着ていればそれを、水衣を着ていればやはりそれを脱いで長絹を羽織るわけですが、水衣を着ている方が唐織よりもはるかに着替えの手間は省けます。前述のようにツレの物着なのでお囃子方は「物着アシライ」を打たない決まりですので、静寂の中での着替えになりますから、少しでも手順よく着替えないと舞台に空隙ができてしまいますね。

ツレは物着が出来上がると立ち上がって正面に向き舞台に入り(このとき前述のワキの言葉が入ることもあり)謡い出します。

ツレ「げに恥かしや我ながら。昔忘れぬ心とて。
ワキ「さも懐かしく思ひ出の。
ツレ「時も来にけり。
 とツレはワキへ向き
ワキ「静の舞。
ツレ「いま三吉野の川の名の。
 とツレは正へ直し

と、ツレが舞い始めようとするところに、後シテが登場します。これが他の能にはない『二人静』独特の演出です。

後シテ「菜摘の女と。思ふなよ。 とシテは謡いながら幕より出
地謡「川淀近き山陰の。 とシテは舞台へ入りツレは小鼓前へ行き正へ向き 香も懐かしき。袂かな。 と二人サシ込ヒラキ

まったく同装の二人が登場し、これ以後つかず離れず同じ動作をシンクロして舞う。。よくまあ先人はこんな前衛的な演出を考え出したものだと思います。『二人静』の作者は伝書類には世阿弥とされていますが文体から見ても信じがたく、作者不詳とするよりないと思いますが、上演史は古く、『能楽源流考』によれば上演記録の初出は寛正五年(1464)四月の糺河原勧進猿楽の三日目、観世座によって上演されたもののようです。

どうやら往時の 白拍子の舞というものは二人の役者による相舞の形式が多かったようで、『平家物語』に登場する白拍子の祇王・祇女の例が有名ですね。そのほかにも『明月記』には法師二人による。。つまり男性二人の白拍子が参上したことが見えます。となればシテ・ツレの二人が登場して舞うことは決して『二人静』の作者による創意工夫とは言えないわけなのですけれども、今様を謡い舞う白拍子という芸能が相舞を旨とはしていたとしても、それは演劇というよりは歌舞の披露であったとすれば、霊に取り憑かれた人が舞い始めると、そのあとからそっと取り憑いた本人の霊が登場して舞うという『二人静』の形式は、やはり能の作者の独特の表現ではなかったろうか、という思いは致しますね。

言うなればツレ菜摘女は静の霊が取り憑いたあとは意識を失っているわけで、取り憑いた静の霊が彼女を操って舞を舞わせている、というのが『二人静』の趣向です。舞の衣裳がふた組あったのではなく、また後シテの静の霊が菜摘女とは別に登場したのでもなく、菜摘女が舞い始めたところ、その後ろに薄ぼんやりと取り憑いた静の霊が見え隠れしている、という風に ぬえは捉えています。能において神や霊が人に取り憑いて舞を見せる、という趣向の曲は『蟻通』『雨月』『巻絹』など例が多いのですが、それらすべての例で登場するのは取り憑かれた依り代としての人間だけで、その本性たる神や霊は見えない、という設定になっています。戯曲上は取り憑かれた人物を演じる役者が、その本性たる者になり代わって演技をすればそれで成立するので、『二人静』はその意味において能の中でも異色中の異色の曲といえるでしょう。

これは白拍子の二人舞にヒントを得て『二人静』の作者が独自に工夫を加えたもの、と ぬえは解したいですし、そうであるとするならば結果としてそれは、この曲が他の能にはない独特の味わいを出す画期的な工夫であったと思います。まさに演じているのは一人だけ。どちらが現とも影ともわからない舞。そうしてそれは意識を失った菜摘女と、この世に肉体を持たない霊の舞です。さればこそ『二人静』は「ふたつの影」が舞う能、と ぬえには感じられます。

シテ/ツレ「さても義経凶徒に准ぜられ。 と二人向き合い 既に討手向ふと聞えしかば。小船に取り乗り。渡辺神崎より押し渡らんとせしに。海路心に任せず難風吹いて。もとの地に着きし事。天命かと思えば。科なかりしも。 とシオリ
地謡「科ありけるかと身を恨むるばかりなり。 とシオリ返シ

これよりシテとツレは同じ動作で舞う「相舞」となります。