ぬえの能楽通信blog

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ふたつの影…『二人静』(その8)

2014-07-12 22:35:22 | 能楽
ここからが いよいよシテとツレがシンクロしながら舞う『二人静』最大の見どころであり、眼目の演出なわけですが。。当初なんとなく、合わせて舞うのは20分くらいかなあ? と楽観的に考えていたのですが、実際には40分間でした。まったく相手が視界に入らないままで舞をシンクロさせるのが40分間!

『二人静』では「クセ」と呼ばれる地謡に合わせた舞と、器楽演奏で舞う「序之舞」と。もちろんエンディングである「キリ」と呼ばれる小段もあるのですが、ここだけは割とシテとツレは別々の動作が多くてややシンクロ率が下がり、また「序之舞」の中でも一部。。4分の1くらいはシテとツレが位置を交代して舞う部分もありますが、「クセ」に至っては完全に舞が一致しております。

こういう、二人の役者がシンクロさせる舞を「相舞(あいまい)」と呼び、相舞がある能には『二人静』のほかにも『小袖曽我』『三笑』などいくつか例があります。相舞を舞うのはシテとツレのことが多いのですが『鶴亀』『嵐山』など子方、またはツレ同士の相舞もあるのですが。。『二人静』の相舞はその中でダントツに難しいでしょうね。

まずはシテもツレも眼の穴が小さい女面を掛けていること。まるで五円玉の穴から外を覗いているような面の視界からは、まずお互いの動きを探ることは不可能なのです。それでも舞の動作の中で、相手が見える場合もときどきはありそうなものですが。。今回の『二人静』でシテとして ぬえのお相手をお願いしている梅若泰志くんに聞いたところ、「まったく見えない」のだそうです。

梅若泰志くんは ぬえから見れば後輩に当たりますが、彼には年齢が近く修行の経歴もほとんど同じ同輩の役者がありますので、すでに『二人静』は一度上演した経験があります。その彼の言によれば、動作の角度によっては相手が視界に入ることもあるが、せいぜい相手の後頭部が見える、という程度で、腕の動きとか全体の動作の遅速までは まったく分かりません、とのこと。。

この、視界が利かない事が、もちろん相舞を勤める上で最大の難関なのですけれども、それに加えて『二人静』ではシテが女性の役であるだけに舞全体が緩やかな速度であること、そしてその結果。。相舞の時間が長大になることが相舞の難易度を高めています。

さらにダメを押すかのように『二人静』で舞われる「クセ」の小段は平均的な分量よりもさらに長大な詞章を持つ「二段グセ」と呼ばれる形式であること、それから、これは女性役のシテだから仕方ないことですが、舞も長大な「序之舞」。。ともかく至難です。

それでは実際に「クセ」の本文と動作をご紹介しましょう。

地謡(クセ)「さる程に。次第々々に道せばき。御身となりてこの山に。分け入り給ふ頃は春。  と正へ出、行掛リ所は三吉野の。花に宿借る下臥も。 とサシ廻シ長閑ならざる夜嵐に。 と七ツ拍子踏みながら正ヘノリ寝もせぬ夢と花も散り。 とヒラキ、据拍子まことに一栄一落 と角へ行き正へ直シ目のあたりなる浮世とて と中へ行きまたこの山を落ちて行く。 と打込扇開き
シテ/ツレ「昔清見原の天皇。 と謡いながら上扇
地謡「大友の皇子に襲はれて。 と大左右拍子一ツ踏ミ彼の山に踏み迷い。雪の木陰を。頼み給ひける桜木の宮。 と正先へ打込神の宮滝。 と正へ扇平に下シ西河の滝。 と右跡へ廻リ正へ行掛リ我こそ落ち行け と胸ザシ落ちても波は帰るなり。 と拍子一ツ踏ミさるにても三吉野の。頼む木陰の花の雪。 と角へ行き正へ直シ雨もたまらぬ奥山の 左へ廻リ中へ行音さわがしき春の夜の。月は朧にて。 と霞扇にて右上を見上ゲなほ足引の。山ふかみ分け迷ひ行く有様は。 と左右打込
シテ/ツレ「唐土の祚国は花に身を捨てゝ。 とヒラキ拍子一ツ踏ミ
地謡「遊子残月に行きしも今身の上に白雲の。 と大左右正先へ打込花を踏んでは とツマミ扇ニテ正へ拍子二ツ踏ミ同じく惜しむ少年の。 と右へ廻り春も夜も静かならで。 と常座にてヒラキ騒がしき三吉野の。 と四ツ拍子踏ミ山風に散る花までも。 と角へ行きカザシ扇追手の声やらんと。 と左へ廻リ地謡前へ行後をのみ三吉野の奥深く急ぐ山路かな。 と幕の方へ向き出、見込ミ
地謡「それのみならず憂かりしは。 正へ直シ頼朝に召し出され。静は舞の上手なり。とくとくと有りしかば。 と正へ出サシ込心も解けぬ舞の袖。返すがへすも怨めしく。昔恋しき時の和歌。 と拍子一ツ踏ミ
シテ/ツレ「しづやしづ。 と謡いながら扇をたたみ常座へ行

これより「序之舞」になります。

これを覚えるの!? いや、動作自体はそれぞれ手慣れたものなので問題はないのですが、二人の動作をピッタリと合わせるために、動作のタイミングについて綿密な打ち合わせが必要なのです。

そのタイミングを記したメモがトップ画像です。字が汚くてすみません。。

歩数は言うに及ばず、そのスタートのタイミングまで細かく細かくシテと打ち合わせておいて、シテとツレはそれぞれの生活の中で自主稽古を重ねて、それから二人で一緒に稽古をして動作のシンクロや立ち位置、微妙な動作の緩急などを調整してゆきます。

最初のタイミングの打ち合わせには2週間ほど掛けたでしょうか。今 稽古は全体を通して稽古する段階に入っていますが、毎度タイミングの再調整が必要になってきます。それは机の上での打ち合わせだけでは、実際に身体を動かしたときに不都合が発見されることが しばしばあるからで、もう何度か一緒に舞って稽古を重ねていても毎回 調整が行われるということは。。完成なんてあり得ないから最後までそれに近づく努力を傾注し続ける、なんて言えればカッコいいんですけど。実際には確実にシンクロする自信がつかめない不安があるのですね。こりゃ上演当日になっても楽屋で「やっぱりあそこはこういう風にしよう」なんて言うのかなあ。。