気仙沼大島の「浦の花火」を満喫して、さて ぬえたちは本土に戻らなければなりません。じつは。。笛のTさんとワキのNさんは翌日に東京での予定があるため、この日のうちに帰宅する予定でした。公演後に気仙沼から東京に直行する強行軍ではちょっと心配でもありますが、Nさんは一人で東北地方の友人を日帰りで訪ねたりするツワモノなので、まあTさんと運転を交代もできるので、道中にくれぐれも気を付けるようお願いしてこのスケジュールとなりました。
本土と大島とを結ぶ定期航路はすでに花火打上の前に運行は終わっていたので、これも当初からの計画通り「臨時船 ひまわり」という船に乗って本土に戻ります。漁船を改造したような小さな船。でも帰りが遅くなった住民さんを本土に運ぶための足として震災前から重要な存在だったそうです。ぬえたちもこの船があったからこそ大島の花火大会での公演が実現できたのでした。
ここで大島への航路が震災で受けた被害とその後の復旧について触れておこうと思います。
気仙沼本土と大島を結ぶ大島汽船では旅客船とカーフェリーを運航、また遊覧船の営業も行っていました。ところが震災の津波によって所属の船は陸に打ち上げられたり、延焼したりと甚大な被害を受け、一時は運行できない状態でした。
震災から1ヶ月後、広島県江田島市からフェリー「ドリームのうみ」が無償貸与され、航路が再開。ふたつあった乗船場も一つは津波によって壊滅したので、現在のエースポートを利用しての運航となりました。その後愛媛県新居浜市のフェリー「おおしま」が無償譲渡されたり、陸に打ち上げられた「フェリー亀山」が修理されて復活したり、今年3月に「ドリームのうみ」は江田島市に返還されたり、「おおしま」はお世話になった「ドリームのうみ」への感謝のしるしとして「ドリーム大島」という名前になったり。。事情は複雑ではありますが、関係者の努力によって気仙沼大島への航路は現在のようにまで復興したのでした。
このへんの事情は以下の記事に詳しいですからご参照ください。
→ブログ「フェリー・鉄道・自転車・噺・歴史・本・カレー」
→ブログ「島じろうとさくらの気仙沼大島探訪!!」
→江田島市サイト
→大島汽船サイト
。。ところで ぬえたちが乗った「臨時船 ひまわり」ですが、やはり震災時には大活躍していたようです。
震災当時、津波の被害を直感して船を沖に出した船長さんは、周囲で同じように沖に出た船が転覆するのを目にしながら波と格闘し、翌朝ようやく島に戻りました。ところが浜も定期船も壊滅状態だったため島は孤立。船長さんは震災2日後の3月13日から昼間に運航を開始。満載の人と荷物の輸送を続けて島を孤立から救ったのでした。。
→日本財団ブログ・マガジン
。。ということは、船長さんは震災の起こったその夜に波と格闘して操船して翌朝に島に戻り、わずか1日休んだだけで島のために運航を再開したのですね。。天地がひっくり返るような体験をされて精神的な負担も多かったと思うのに、これほどの行動力。まさに島を救った人だったのですね。
さて本土に戻って、宿舎を提供してくださった島田呉服店さんのおはからいでお風呂を使わせて頂きました。TさんとNさんはほどなく出発。これにて今回の活動は無事に終了することができました。メンバーのみなさん、本当にお疲れさまでした!
本土と大島とを結ぶ定期航路はすでに花火打上の前に運行は終わっていたので、これも当初からの計画通り「臨時船 ひまわり」という船に乗って本土に戻ります。漁船を改造したような小さな船。でも帰りが遅くなった住民さんを本土に運ぶための足として震災前から重要な存在だったそうです。ぬえたちもこの船があったからこそ大島の花火大会での公演が実現できたのでした。
ここで大島への航路が震災で受けた被害とその後の復旧について触れておこうと思います。
気仙沼本土と大島を結ぶ大島汽船では旅客船とカーフェリーを運航、また遊覧船の営業も行っていました。ところが震災の津波によって所属の船は陸に打ち上げられたり、延焼したりと甚大な被害を受け、一時は運行できない状態でした。
震災から1ヶ月後、広島県江田島市からフェリー「ドリームのうみ」が無償貸与され、航路が再開。ふたつあった乗船場も一つは津波によって壊滅したので、現在のエースポートを利用しての運航となりました。その後愛媛県新居浜市のフェリー「おおしま」が無償譲渡されたり、陸に打ち上げられた「フェリー亀山」が修理されて復活したり、今年3月に「ドリームのうみ」は江田島市に返還されたり、「おおしま」はお世話になった「ドリームのうみ」への感謝のしるしとして「ドリーム大島」という名前になったり。。事情は複雑ではありますが、関係者の努力によって気仙沼大島への航路は現在のようにまで復興したのでした。
このへんの事情は以下の記事に詳しいですからご参照ください。
→ブログ「フェリー・鉄道・自転車・噺・歴史・本・カレー」
→ブログ「島じろうとさくらの気仙沼大島探訪!!」
→江田島市サイト
→大島汽船サイト
。。ところで ぬえたちが乗った「臨時船 ひまわり」ですが、やはり震災時には大活躍していたようです。
震災当時、津波の被害を直感して船を沖に出した船長さんは、周囲で同じように沖に出た船が転覆するのを目にしながら波と格闘し、翌朝ようやく島に戻りました。ところが浜も定期船も壊滅状態だったため島は孤立。船長さんは震災2日後の3月13日から昼間に運航を開始。満載の人と荷物の輸送を続けて島を孤立から救ったのでした。。
→日本財団ブログ・マガジン
。。ということは、船長さんは震災の起こったその夜に波と格闘して操船して翌朝に島に戻り、わずか1日休んだだけで島のために運航を再開したのですね。。天地がひっくり返るような体験をされて精神的な負担も多かったと思うのに、これほどの行動力。まさに島を救った人だったのですね。
さて本土に戻って、宿舎を提供してくださった島田呉服店さんのおはからいでお風呂を使わせて頂きました。TさんとNさんはほどなく出発。これにて今回の活動は無事に終了することができました。メンバーのみなさん、本当にお疲れさまでした!