goo blog サービス終了のお知らせ 

ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その19…「亀の湯」さんの復興)

2012-10-14 02:26:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼の南町紫市場での公演を終えて控室で着替えを済ませ、宿舎を提供くださった島田呉服店さんへ戻ります。

島田呉服店さんでは、宿舎のみをご提供願い、食事もお風呂もすべて能楽師が自前で確保、という形でお願いしていましたが、戻ってみると、近所のお店にお食事に行きましょう、お風呂は順番にどうぞ、と、大変親切にして頂きました。予想外の厚遇で、申し訳ないやら、ありがたいやら。。

それではお風呂を順番に使わせて頂くことにしましたが、ぬえは そろそろ洗濯もしたいと思い、近所のコインランドリーの場所を尋ねてみたところ。。意外な返事が返ってきました。

「亀の湯」さんにもあるかもしれません。

「亀の湯」さん。。テレビのドキュメンタリー番組などで何度か取り上げられて ぬえの記憶にも鮮明に残っていますし、ある種、気仙沼の復興の ひとつのバロメーターかもしれない銭湯です。ぬえはまだ行った事がないのですが、そしてこの時は、教えられた「亀の湯」さんが、そのテレビ番組で取り上げられたその銭湯であるとは ぬえの中で一致していなかったのですが。

「亀の湯」さんは、気仙沼港のすぐそばにある銭湯です。漁を終えて気仙沼に水揚げした漁船の乗組員さんたちが多くここで汗を流し、そうして夜の気仙沼の歓楽街に旅の疲れを癒しに繰り出しました。だからこの銭湯では、ほかの気仙沼の飲食店でもそうなのでしょうが、漁師さんたちが「ただいま~」と言って現れ、番台のおかみさんは「いってらっしゃ~い」と見送る。。そんな家族のようなお付き合いがあったのですって。

それだから、脱衣所には「○○丸」と書かれた、その漁船の乗組員専用の洗面器がいくつも並べられています。その中には せっけんやらシャンプーやらが入れられて洗面器ごと銭湯に預けられていて、漁師さんは手ぶらで銭湯に来て、入浴後はそのまま歓楽街に繰り出すことができるのでした。そんな、人見知りをしない気さくさは、この日の ぬえも実感することに。

この日 ぬえと太鼓のOさんは入浴のためではなく亀の湯さんのコインランドリーを拝借に行ったのですが、銭湯に到着して、さてどこに車を停めようか、と考える。。その間もなく店外に出ていた おかみさんが「ここに停めていいよ!」と指示してくれました。笑いながら「ここ?」と聞く ぬえにおかみさん。「ここから、こっちまでならいいさ!…こっちの方が帰りに出やすいだろ?」「ああ、ありがとうございま~す」なんて。太鼓のOさんは ぬえに向かって「…お知り合いですか?」「いえ…初対面です」「そうですか…」 。。(^_^;

さて洗濯だ、というんで併設のコインランドリーに入ってみると、粉洗剤の大きな容器がドンッと置かれていて、利用者は無料で使うことができるのでした。おお、これはありがたい、と、もう残り少なくなった洗剤を節約して頂戴し、洗濯機を廻し始め、さて洗濯が終わって乾燥機にかけるまでの間の30分間をどこで時間をつぶすか、と考えていると またまた おかみさん。「洗濯が終わったら洗い物を乾燥機に移しておいてやるからさ」と、大胆なご提案。。。いま考えると、港町に長い航海の憂さを晴らしに来る漁師さんへの、普通の思いやりだったんですね。

ありがたくご温情に甘えることにして車を出した ぬえたち。島田呉服店さんでの入浴も順番待ちだし、それでは、というんで、震災後はじめて気仙沼にやってきた太鼓のOさんと被災地区を少し視察することにして、津波によっていまだに陸上に乗り上げたままになっている「第18共徳丸」に行きました。



。。と、ここでコンビニを発見した ぬえとOさんは相談して、亀の湯さんの親切へのお礼、ではないけれど、コンビニで洗剤を買って、残り少なくなっていた亀の湯さんのために寄付することにし、あわせて亀の湯さんでお風呂に入ることにしました。

買い物をして亀の湯さんに戻ると、すでに30分が過ぎていて、洗濯物は約束通り洗濯機から出されて乾燥機の中で回っていました。感激して番台のご主人に洗剤を寄付し、脱衣所に入ると、なるほど、以前テレビ番組で見たかつての規模には到底及ばないけれど、棚に10数個の、漁船の名前が手書きされた洗面器が並んでいます。亀の湯さんで気持ちよく汗を流し、おかみさんとも親しく話をして、無事に洗濯も終わって宿所に帰りました。

さてこの「亀の湯」さん、震災の津波では、ちょうどこの付近が明暗の分かれ目になりました。昨年末に泊めて頂いた太田地区の自治会館に向かう途上。。ちょうど土地が港から山に向かって上がっていく、そのキワに「亀の湯」さんはありました。ここより港に近い地区にあった建物は全壊。このあたりから山に向かって被害の程度がだんだんと軽くなっていくのが手に取るようにわかる場所です。

幸いにも亀の湯のご主人もおかみさんも犠牲にはならなかったわけですが、その後は紆余曲折。ここからはドキュメンタリー番組の受け売りですが、津波被害は受けながら、なんとか壊れずに済んだ亀の湯の建物に、まずはボランティアさんが入って泥掻きが行われて、きれいに片づけられました。営業再開を要望する声も多く、ご主人もそれを念願にしておられましたが、ボイラーが損傷したため営業は難しい。ところがその後行政から、被災した住民さんやボランティアのために機器の提供と営業再開の申し出があったのです。これにはご主人は喜びましたが。。

ところが、この提案の内容は、臨時の移動式ボイラー設備を持ち込み、期間を限定して稼働する、というものでした。亀の湯さんの設備の復旧ではなく。。要するに仮設風呂の設営の場所として使わせてほしい、という意味だったのです。ご主人は複雑な思いを持ちながら提案は受け入れ。。その後亀の湯さんの復興の道筋はまだ見えていない。。というのが、昨年に放送されたドキュメンタリー番組の結末でした。

それが、いまこうして ぬえの前で立派に営業を再開するところまで漕ぎつけていたのですね! 亀の湯さんに到着してから、ようやく事情がわかった ぬえは感無量でした。

さて宿所に帰ってみると、メンバーもお風呂を使わせて頂いたところで、島田呉服店のおはからいで夕食に出かけました。いやいや、コンビニ弁当が当たり前の ぬえたちの活動ですが、ありがたい食事をご馳走になりました。

夕食。。というか飲んでばかりいた ぬえは、解散してみんなが宿所に帰る中、一人気仙沼港を散歩しました。震災後だけでも、もうここに1年以上通い続けていて、活動をはじめてからも すでに8ヶ月、気仙沼には足を運んでいます。少しずつ変わっていくところもあれば、いつまでもあの日のままの場所もある。いろんな思いが ぬえの中にもあって、次の活動に繋げていきたい計画も頭に浮かんでいます。

でも、まずは明日ですね。へへ、飲んだ仕上げにラーメンを食べて、宿所に歩いて帰ると、みんなすでに寝静まっていました。いやいや、お疲れさまです。明日もよろしくです~