上歌、と言いますが、「神風や」からの小段の中でシテは舞台に歩み行き、常座に止まります。このときツレは立ち上がり、シテに声を掛け、以下問答となります。
ツレ「いかに申すべき事の候。
シテ「何事にて候ぞ。
ツレ「さて御身は何処の人にて渡り候ぞ。見申せば若き人にて候が。何とて白髪とはなり給ひて候ぞ。
シテ「げにげに普く人の御不審にて候。これは伊勢の国二見の浦の神職なるが。われ一見の為に国々を廻る。ある時俄に頓死す。又三日と申すによみがへる。それより斯様に白髪となりて候。是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべきと怠りを申して候。
ツレ「扨はその謂はれにて候な。さらば歌占を引き申し候べし。
ここで初めてシテの素性が明かされます。シテは伊勢の二見の浦の神職なのだそうですが、二見浦と言えば「夫婦岩」で全国的に有名な観光地。。もとい、現代ではそうかもしれませんが、根元的には著名な霊地です。神職とは禰宜とか宮司に限らず広く神に仕える者の総称で、神官と言った方が解りやすいでしょうか。ぬえも以前 夫婦岩を見に行ったことがありますが、正確には海岸にへばりつくように鎮座する「二見興玉神社」(ふたみおきたまじんじゃ)の「境内」にあります。大注連縄を渡したこの夫婦岩、じつは海中にある神石を拝するための鳥居なんですよね。その神石とは猿田彦にゆかりの「興玉」で、この神社の祭神は天照大神と猿田彦です。そしてこの神社の所在地こそは。。三重県「度会郡」。シテの苗字はのちに明かされるのですが、その苗字「渡会(わたらい)」には度会の表記もあって、どうやら二見興玉神社と『歌占』のシテとは、虚構ではなく密接な関連があるようです。これについてはもっと面白い事もわかったので、それはまた後日お知らせしましょう。
それにしてもここで語られるシテが白髪となった理由は、淡々とした語り口ながらなんともショッキングな内容です。諸国一見の旅に出たところが、ある日突然 死亡してしまった。え?え?え? しかしまた三日後に蘇った。なに?なに? そしてその時にはすでに髪は真っ白になってしまっていた、と言うのです。シテはいわゆる臨死体験をしたわけで、その時に見た地獄の有様が、これまたのちに出てくる彼が創作した曲舞の原拠で、これを披露している事が有名であることも、のちに語られています。
さてここで分からないのは、その臨死体験をした原因が「神の御咎」である、とシテが認識しているところでしょう。このへん、下掛りの詞章では「われは伊勢の国二見の浦の神子にて候が、廻国の望みあるにより神に御暇も申さで、諸国を廻り候ひしその神罪にや頓死し、三日と申すによみがへる。その間の地獄の苦しみかやうに白髪となりて候」となっていて、これは非常に納得できる合理的な説明です。神に仕える身でありながら、神に暇を申すこともなく突然 諸国を巡る旅に出てしまった神官に対して神罰が下った、というわけで。このへんの事情は観世流の詞章には書かれていないけれど、観世流の役者も下掛りのこの説明を念頭に置いて、そのつもりで演じなければならないでしょう。
しかしまた、シテは「是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべき」とまで語っているのに、「怠りを申して候」と、急いで二見浦に戻って神に謝罪することもせずに、辻占いを続けているのです。要するに神に仕える身として得た「力」としての歌占を生活の糧にしているままで諸国行脚を続けているわけです。なぜ彼はそこまでして諸国を巡っているのでしょうか。
ぬえはこの『歌占』のシテの姿に、『邯鄲』のシテ・廬生のような、一所に留まっていては得られない、と彼が感じる「人生の目的」のような物を探し求める求道者の姿を感じています。神に仕えていながら、それでも得られない安堵感。その神を裏切るように出奔してしまった若者。こんな構図が『歌占』のシテの姿に見え隠れしています。
ツレ「いかに申すべき事の候。
シテ「何事にて候ぞ。
ツレ「さて御身は何処の人にて渡り候ぞ。見申せば若き人にて候が。何とて白髪とはなり給ひて候ぞ。
シテ「げにげに普く人の御不審にて候。これは伊勢の国二見の浦の神職なるが。われ一見の為に国々を廻る。ある時俄に頓死す。又三日と申すによみがへる。それより斯様に白髪となりて候。是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべきと怠りを申して候。
ツレ「扨はその謂はれにて候な。さらば歌占を引き申し候べし。
ここで初めてシテの素性が明かされます。シテは伊勢の二見の浦の神職なのだそうですが、二見浦と言えば「夫婦岩」で全国的に有名な観光地。。もとい、現代ではそうかもしれませんが、根元的には著名な霊地です。神職とは禰宜とか宮司に限らず広く神に仕える者の総称で、神官と言った方が解りやすいでしょうか。ぬえも以前 夫婦岩を見に行ったことがありますが、正確には海岸にへばりつくように鎮座する「二見興玉神社」(ふたみおきたまじんじゃ)の「境内」にあります。大注連縄を渡したこの夫婦岩、じつは海中にある神石を拝するための鳥居なんですよね。その神石とは猿田彦にゆかりの「興玉」で、この神社の祭神は天照大神と猿田彦です。そしてこの神社の所在地こそは。。三重県「度会郡」。シテの苗字はのちに明かされるのですが、その苗字「渡会(わたらい)」には度会の表記もあって、どうやら二見興玉神社と『歌占』のシテとは、虚構ではなく密接な関連があるようです。これについてはもっと面白い事もわかったので、それはまた後日お知らせしましょう。
それにしてもここで語られるシテが白髪となった理由は、淡々とした語り口ながらなんともショッキングな内容です。諸国一見の旅に出たところが、ある日突然 死亡してしまった。え?え?え? しかしまた三日後に蘇った。なに?なに? そしてその時にはすでに髪は真っ白になってしまっていた、と言うのです。シテはいわゆる臨死体験をしたわけで、その時に見た地獄の有様が、これまたのちに出てくる彼が創作した曲舞の原拠で、これを披露している事が有名であることも、のちに語られています。
さてここで分からないのは、その臨死体験をした原因が「神の御咎」である、とシテが認識しているところでしょう。このへん、下掛りの詞章では「われは伊勢の国二見の浦の神子にて候が、廻国の望みあるにより神に御暇も申さで、諸国を廻り候ひしその神罪にや頓死し、三日と申すによみがへる。その間の地獄の苦しみかやうに白髪となりて候」となっていて、これは非常に納得できる合理的な説明です。神に仕える身でありながら、神に暇を申すこともなく突然 諸国を巡る旅に出てしまった神官に対して神罰が下った、というわけで。このへんの事情は観世流の詞章には書かれていないけれど、観世流の役者も下掛りのこの説明を念頭に置いて、そのつもりで演じなければならないでしょう。
しかしまた、シテは「是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべき」とまで語っているのに、「怠りを申して候」と、急いで二見浦に戻って神に謝罪することもせずに、辻占いを続けているのです。要するに神に仕える身として得た「力」としての歌占を生活の糧にしているままで諸国行脚を続けているわけです。なぜ彼はそこまでして諸国を巡っているのでしょうか。
ぬえはこの『歌占』のシテの姿に、『邯鄲』のシテ・廬生のような、一所に留まっていては得られない、と彼が感じる「人生の目的」のような物を探し求める求道者の姿を感じています。神に仕えていながら、それでも得られない安堵感。その神を裏切るように出奔してしまった若者。こんな構図が『歌占』のシテの姿に見え隠れしています。