話がちょっと飛躍したかも知れませんが、謡本が役者の手控えから出発したとするならば、舞台で実演上定型となっている問答が割愛されるのもあながち不思議ではないような。
ところで前回「僧のワキと従僧のワキツレであれば、主の立場にあるワキが「しばらくこの所に休もうずるにて候」と宣言すれば、従の立場のワキツレは「尤もにて候」と応じて。。」云々と書いた件について補足しますが、ワキの提案に対してワキツレが同意するこの定型の言葉、おワキの流儀によって違いがあります。関西ではまた違いがあるかもしれませんが、東京の場合で言えば、下掛り宝生流では上記の通り「尤もにて候」ですが、福王流の場合は「然るべう候」とおっしゃるようです。まあ例外の曲もありましょうが。
さて『歌占』に戻って、ツレの言葉に促されて子方は脇座に行き、ツレもその隣に行って、二人とも着座します。なお二人の装束は以下の通り。
ツレ=直面、襟…萌黄、着付…無地熨斗目(または段熨斗目)、素袍上下、小刀、鎮折扇
子方=直面、襟…赤、縫箔、稚児袴、黒骨扇
両人とも至って一般的な庶民の服装ですね。ツレが段熨斗目を着れば少し格が上がるけれども、小書などによって重く扱われる事のない『歌占』という曲は、別会など大きな催しには出しにくく、ツレが段熨斗目を着るような公演は多くないと思います。
ツレ、子方が着座すると囃子方が「一声」を打ち、やがてシテが登場します。
シテは男神子という特異な役割の人物ですが、能の役の扮装の中でもかなり特徴的です。
シテ=面…邯鄲男、今若、また直面にても。白垂(尉髪にも)、白鉢巻、翁烏帽子、襟…浅黄、無色厚板、白大口(また色大口にも)、縷狩衣(肩上る)、白無地腰帯、神扇、小弓(四尺五寸。白布にて巻きても)短冊を五枚付る
観世流の大成版謡本に記載された装束付けによれば、直面が本来で、邯鄲男の面を掛ける方が替エになっているようですが、ぬえの師家の装束付けによれば面を使うのが本来で、直面が替エのようですね。
それにしても。。面を使っても使わなくてもよい、という能はめったにありません。強いて例を挙げれば。。『鷺』でシテを勤める者が元服までと還暦後の年齢であれば直面、その間の年齢の時には基本的には勤めてはならないけれども、仕方ない場合には「延命冠者」を掛けて勤める。。というのが有名ですね。要するに役者に「色気」がある年齢の間は勤めない、どうしても勤める場合には面を掛けて素顔を隠すのです。もっとも、現代では子どもは早熟だし還暦はまだまだ若いうち。この年齢制限は平均寿命が短い時代に定められたものなので、現代ではあまり拘泥されていないようです。
あとは。。『善界』の前シテを「鷹」で勤める場合ぐらいでしょうか。。この曲も本来前シテは直面なのですが、日本に魔道を広めるために中国から来日した天狗が、日本の天狗に会って密談する、という内容。前シテ・前ツレとも山伏姿ですが、天狗の化身、しかも人知れず山奥で密談する、というストーリーのため、役から人間性を廃するためにシテが「鷹」、ツレが「千種怪士」などを掛ける事が行われています。これは装束付けに記載はなく、演者の工夫が広まったもので、ぬえも『善界』を勤めた時は前シテから面を掛けました。この類例として『車僧』や『大会』の前シテで面を使う演者もあるようですが、これらの曲は同じ天狗の化身とはいえ、直面の方が合うのではないかな、と ぬえは思います。
ところで前回「僧のワキと従僧のワキツレであれば、主の立場にあるワキが「しばらくこの所に休もうずるにて候」と宣言すれば、従の立場のワキツレは「尤もにて候」と応じて。。」云々と書いた件について補足しますが、ワキの提案に対してワキツレが同意するこの定型の言葉、おワキの流儀によって違いがあります。関西ではまた違いがあるかもしれませんが、東京の場合で言えば、下掛り宝生流では上記の通り「尤もにて候」ですが、福王流の場合は「然るべう候」とおっしゃるようです。まあ例外の曲もありましょうが。
さて『歌占』に戻って、ツレの言葉に促されて子方は脇座に行き、ツレもその隣に行って、二人とも着座します。なお二人の装束は以下の通り。
ツレ=直面、襟…萌黄、着付…無地熨斗目(または段熨斗目)、素袍上下、小刀、鎮折扇
子方=直面、襟…赤、縫箔、稚児袴、黒骨扇
両人とも至って一般的な庶民の服装ですね。ツレが段熨斗目を着れば少し格が上がるけれども、小書などによって重く扱われる事のない『歌占』という曲は、別会など大きな催しには出しにくく、ツレが段熨斗目を着るような公演は多くないと思います。
ツレ、子方が着座すると囃子方が「一声」を打ち、やがてシテが登場します。
シテは男神子という特異な役割の人物ですが、能の役の扮装の中でもかなり特徴的です。
シテ=面…邯鄲男、今若、また直面にても。白垂(尉髪にも)、白鉢巻、翁烏帽子、襟…浅黄、無色厚板、白大口(また色大口にも)、縷狩衣(肩上る)、白無地腰帯、神扇、小弓(四尺五寸。白布にて巻きても)短冊を五枚付る
観世流の大成版謡本に記載された装束付けによれば、直面が本来で、邯鄲男の面を掛ける方が替エになっているようですが、ぬえの師家の装束付けによれば面を使うのが本来で、直面が替エのようですね。
それにしても。。面を使っても使わなくてもよい、という能はめったにありません。強いて例を挙げれば。。『鷺』でシテを勤める者が元服までと還暦後の年齢であれば直面、その間の年齢の時には基本的には勤めてはならないけれども、仕方ない場合には「延命冠者」を掛けて勤める。。というのが有名ですね。要するに役者に「色気」がある年齢の間は勤めない、どうしても勤める場合には面を掛けて素顔を隠すのです。もっとも、現代では子どもは早熟だし還暦はまだまだ若いうち。この年齢制限は平均寿命が短い時代に定められたものなので、現代ではあまり拘泥されていないようです。
あとは。。『善界』の前シテを「鷹」で勤める場合ぐらいでしょうか。。この曲も本来前シテは直面なのですが、日本に魔道を広めるために中国から来日した天狗が、日本の天狗に会って密談する、という内容。前シテ・前ツレとも山伏姿ですが、天狗の化身、しかも人知れず山奥で密談する、というストーリーのため、役から人間性を廃するためにシテが「鷹」、ツレが「千種怪士」などを掛ける事が行われています。これは装束付けに記載はなく、演者の工夫が広まったもので、ぬえも『善界』を勤めた時は前シテから面を掛けました。この類例として『車僧』や『大会』の前シテで面を使う演者もあるようですが、これらの曲は同じ天狗の化身とはいえ、直面の方が合うのではないかな、と ぬえは思います。