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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

古希記念幸清会(その2)

2006-11-28 23:07:43 | 能楽
師匠・梅若万三郎の『檜垣・蘭拍子』と長男・梅若紀長の『卒都婆小町』と。いずれにしても、この会は ぬえの師匠家にとって名誉の一日でありましたですね。幸清流としても宗家・清次郎師のご子息・正昭さんが観世宗家をお相手に『姨捨』を、名古屋の後藤嘉津幸さんが金剛宗家の『鸚鵡小町』を、そして東京の国立能楽堂の養成会出身の森澤勇司くんが『卒都婆小町』を、それぞれ披かれました。まさに一門・一流をあげてのこのような大きな催しを統率された清次郎師のバイタリティには驚嘆するばかり。

ところで、それ以上に ぬえが驚いているのは、この古希記念幸清会の前日の11月22日に、まったく同じ名前の会の「古希記念幸清会」という、清次郎師のお弟子さんによる発表会が行われたことです。この日も朝10時から ぬえの師匠・万三郎が『砧・梓之出』を勤めたところから始まって、観世宗家の『三輪・誓納』、浅見真州師の『大原御幸』と、三番の能(それも重い能ばかり!)をはじめ、数多くの舞囃子、一調、独調が、夕方まで掛けて上演されました。

これらの曲の小鼓を打つお弟子さんのサポートのための後見は、主に子息や門人に任されて、清次郎師は楽屋で監督に専念されておられたようでしたが、それにしても2日間、清次郎師は(そしてその門下の方々も)一日中能楽堂にカンヅメ状態で催しの監督をされ、出演者への挨拶に余念なく過ごされておられましたし、それだけでなく清次郎師は気負うこともなく、我々にも冗談を飛ばされたりして、終始リラックスしておられましたね。それでも、この2日間の催しの最後の最後に、清次郎師は2時間20分近くを掛けたクライマックスの大曲『檜垣・蘭拍子』の鼓を打たれたのだから。。この体力はちょっと超人的、と言うべきでした。。

ぬえは初日の素人会はシテ方としては一番に楽屋入りしましたが、清次郎師やそのご門下はすでに楽屋にお出でになっていました。。結局、初番の『砧・梓之出』の地謡を終えてから、ぬえは観世宗家の『三輪・誓納』までは拝見しましたが、そこで翌日の地謡のために大事を取って帰宅しました。そして翌日の玄人会では、ぬえは初番の『卒都婆小町』の地謡はついていなかったけれど、やはり師家の嫡男の披キですので早めに楽屋入りして拝見していましたが、やっぱりトメの大曲『檜垣・蘭拍子』に備えて、その後は少し休息を取らせて頂きました。。(でもこの日、終演後に ぬえは朝まで飲んでいたから、ん~~まだまだ ぬえも体力は大丈夫か? (。_゜☆\ベキバキ(~_~メ))

『檜垣・蘭拍子』は古い記録や伝書をもとにして、演者で何度も研究が重ねられ、ぬえも参加した、囃子方を交えての稽古だけでも2度、さらに下申合と本申合と、2度の申合を経て当日を迎えました。『檜垣・乱拍子』は、それでももう数回各地で上演されていると思いますが、今回は乱拍子のあとで老女之舞の初段になったり、二段ヲロシを笛の一管の演奏にするなど、随所に工夫が凝らされていましたね。ぬえもとっても足が痛かったのだけれど、このような重大な催しの地謡の末席に加えて頂いた幸福を感じます。ホントに足は痛かったですけれど。。(T.T)

かくも盛大で、画期的な催しを企画され、それを貫徹された幸清次郎師の気力と精神力には心からの敬意を表させて頂きたいと思います。