ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『鵜飼』終了しました(その4)

2006-02-16 13:06:41 | 能楽
引き続きまして幽玄堂さんへのレスですー

あ、その前に、
>>…「融の大臣の能に、鬼になりて、大臣をせむる」と有る。大臣を責める。大臣が
 怨霊になるのではなく、責められる方だったとは…。

これはやはり融が「鬼になり」「大臣をせ」めた、読むのが自然ではないでしょうか。いまの「白式舞働之伝」という小書がこの古い形の『融』の名残だ、という説もあるけれど。。どうなんでしょうね。。


さて「石」に経文を書く、という事について、幽玄堂さんのおっしゃるように「賽の河原」のイメージは、なるほど確かにこの場面に埋め込まれているように感じます。そう考えてくると、ぬえのイメージもふくらんできました。

「賽の河原の石積み」のイメージ。。贖罪のために石を積んでも積んでもそれを壊しに来る地獄の鬼。。でも『鵜飼』の鬼はそのような 罪人に責め苦を与える存在ではなく、仏による救済の代理人です。。すると、そもそも「石積み」に我々が持つイメージの方がどこかで歪曲されてきたのでは?

贖罪のための石積みの行為と、それが永久になし得ない事は、そのまま『鵜飼』の前シテの姿~死後、僧に懺悔のために見せる鵜飼の有り様の中でも、やっぱり「後の世も忘れ果てて面白や」と言ってしまう欲望に負ける人間の業の姿~と重なって見えてきます。すると、石積みを邪魔しに来る鬼、というのも じつは永久に続く石積みという輪廻を断ち切る役目なのかも。。

この能が作られた頃は末法思想の絶頂期ですし、『地獄草紙』『病草紙』が流布したように、むしろ来世への恐怖から地獄が「悪人が連れて行かれる恐ろしい場所という観念ばかりが先行して、ある種の「俗化」をしたように ぬえには感じられて、ひょっとすると『鵜飼』の作者は、それをもう一度仏の慈悲との関係にリンクさせて再構築しようとしたのかも。するとこの曲は作者の「忘れられた鬼」へのオマージュ。。?

う~~ん。。この曲は脚本に本当に破綻がないので、あるいは二重三重に作者の意図が込められているのかもしれません。。でも ぬえにはいまそれを証明する証拠がない。。

『鵜飼』は研究者によって「護法型」と分類される好例の曲だそうで、それについても言いたい事もあるし、また「鵜飼」という職業そのものについても、鵜は本来「神聖な鳥」だという見解があったりで、知っておくべき事は多いのだけれども。。今回は問題提起、というところで諦めざるを得ません。また機会があれば調べてみましょう。


。。閑話休題。

>>…この曲の発祥とされる石和付近では、丸石を積み上げた“道祖神”が現在でも祭られている。

石和には『鵜飼』に関係する数々の寺宝が伝えられる「鵜飼山 遠妙寺」というお寺がありまして、そこには「南無妙法蓮華経」の七字を記した経石、鵜の形をした「鵜石」、そして鵜を入れる「魚篭(びく)石」というものまであるそうです。う~ん、これはどうなんだろう。。

おまけに この「七字の経石」は一つが割れていて、それは同寺の記録に「正保年中 松江少将松平出羽守直政公 当山へ参詣霊宝等拝礼あり、七字の経石墨薄く文字判明ならず、住職立善院日祐上人と交渉 鉄扇を以て割りたるに、妙字の墨色石中に通徹しあるを見、感涙を流し、この霊跡を幕府へ上奏、慶安元年七月 三代将軍家光より御朱印を賜る」とのこと。

事実はさておき、ぬえは「ここにも家光さんが!」と思いました。この人は本当にスゴイ人で、東照宮を造った事は有名ながら、信仰厚く精力的にいろいろな寺社の援助を惜しまなかった人。東京にいると家光さんの功績はすぐに気がつくけれど、地方に行っても「ここにも!」と思う事がよくあります。まあ、伝説のようなものもあるでしょうけれど。。


『鵜飼』終了しました(その3)

2006-02-16 12:23:34 | 能楽
幽玄堂主人さんが「その2」に付けて下さったコメントへのレスのつもりだったのですが、興味深い内容なので新規記事にしました。

閻魔大王の本地は地蔵菩薩。。ふーむ無知な ぬえは知りませんでした。。『鵜飼』のテーマは「欲望に負ける弱い人間の業」だと思いますが、答えの出ないテーマだけを観客に突きつけておいて、曲自体は「超自然力による救済」で納めて終わりになる。能にはよく使われる脚本の手法ですが、だからこそ ぬえは後シテは獄卒だと考えた方が、実際には登場しない閻魔大王の「大きさ」が連想されるのではないか、と考えますねー。

たとえば『石橋』では、演者も観客も後シテの獅子の激しい舞に焦点を合わせてこの能を見るわけですが、お客さまは獅子の演技の切れを楽しみになさいますし、演者も師匠から「そんなダラダラした舞じゃダメだ!」と叱られながら稽古をします。ところがある研究者が次のような事を言ったのを聞いて ぬえは愕然としてしまった。。

  私は『石橋』で、なぜ後シテに獅子が登場するのか ずっと疑問に思っていま
  した。これは言うなれば西部劇の映画でカウボーイが主役じゃなくて、それが
  乗る「馬」が主役になっているようなものですから。。 この理由をずっと考え
  ていたのですが、ある時にはたと気がつきました。

  「『石橋』という能の作者は、後シテの獅子が激しく舞い狂ったあと、それが
  去った静寂の中に「文殊菩薩の浄土の静謐な世界を現出させようとしたのでは
  ないか?」

。。これは恐るべき卓見で、これが正解であるならば、シテが去ってから、お客さまが席を離れるまでの間に曲の本質がある、という事になってしまう。。演者も観客もそのどちらもが、舞台上に最後まで登場しないものを現出させるためにギリギリの緊張感を舞台と見所のあいだに構築して、じつはそれは作者が作った「仕掛け」に乗せられているのだ、という事になるのです。演者もそんな事は考えずに必死に身体を作って切れのある舞台になるように努めるし、お客さまもその派手な演技の舞台を固唾をのんで見守る。。でも作者の意図は、その能が終わった後にはじめて姿を現す。。その時には演者はすでに楽屋に引き上げていて、演者同士で挨拶を交わしたり、自分の演技を反省したりしているし、お客さまも長い観能に疲れた体を席から持ち上げて、家路につこうとしている、その時に、です。

ぬえはこのお話を聞いた時は総毛がよだつ思いでした。やっぱりこの国の文化はすごいなあ。。

程度の差こそあれ『鵜飼』にも、ぬえはそのような作者の「虚構」を感じます。まあ、この前シテは「密漁者」ふぜいなのですし、ここに閻魔大王が救済に現れた、と考えるよりも、その手下のひとりにしか過ぎない「獄卒」が現れる方がつりあいも取れるでしょう。なにより その「獄卒」でさえもが大きな救済の力を持っていると見せる事によって、地獄や閻魔大王そのものの大きさ=悪人を責め立てるばかりではない救済の力の大きさ=が暗示され、地獄と言えども極楽と表裏一体の関係にあって、さらに言えば仏の深遠な慈悲のようなものが観客に印象づけられる、と思うのです。この曲のテーマは「人間」にありながら、単純に神様仏様を登場させて大団円を迎えさせないあたりが、作者のすばらしい力量だと感じました。