じつは昨夜パソコンがクラッシュしてしまいまひた。。
ほとんど徹夜状態で、あちこちいじって。。とうとうシステムリカバリになってしもうた。。あああああああああぁぁぁぁぁ
今日は松戸市にお弟子のお稽古に行っていたのですが、帰宅してなんとかインターネット環境だけは復旧しました。メールの復旧はまだなの。。
さて研能会で『鵜飼』を勤めた翌日、伊豆の国市(旧・大仁町・伊豆長岡町・韮山町が合併して昨年誕生した新市)に「子ども能」の初稽古に行って参りました。これは大鼓方の大倉正之助氏がはじめた薪能『狩野川薪能』の中で、小学生を中心にした地元の子どもたちを出演させるもので、特筆すべきは、この「子ども能」が地元の民話を題材にた新作の能で、地元の子どもたちが(囃子を除いた)すべての役を演じる、というところなのです。もう今年で第七回を迎える『狩野川薪能』の「子ども能」。ぬえはその第一回から関わっていて、子どもの稽古を中心的にさせて頂いております。
思い起こせば七年前には大仁町独自の催しで、子ども能も地元のご当地ソングってなものを選んで、主にワキ方のY氏が中心となって『城山(じょうやま)の大蛇』というのを作りました。ぬえは主に節付けを担当して、最初は居囃子の形式で上演したのですが、翌年には「子どもたちをただ座らせて謡わせるだけじゃもったいない」という事になり、型をつけて能の形式に作り直しました。その後も数回の上演を経て内容も段々に充実させて、出演する役も増やしたり、地元の神社などに歴史を取材に行って本文に反映させたり。
ところが去年から新「伊豆の国市」が誕生した事で、大仁町に偏った能を演じるばかりでは不具合がありますから、再び民話を取材して、子どもたちの指導をする能楽師が寄り集まって『江間の小四郎』(北条義時の前名)というお話の能を新作しました。『城山~』も『江間~』も、どちらも地元に出没する大蛇を勇者が退治する、というストーリーで、子どもたちにはチャンバラする事で発散できてよい経験でしょう。
もっとも、ぬえは子どもたちに「能」をやらせている、という意識はなくて、「能のエッセンスを取り入れた」、言葉は悪いかもしれないけれど「お遊戯」の延長のようなもの、というスタンスで教えています。ですから、子どもたちには悪ふざけをしたり、他の子の迷惑になる事をしない限り、滅多に怒ることもありませんね。こういう年頃の子どもたちには古典芸能のエッセンスに触れてもらえれば、それで良いのではないか、と思っています。そのうち、古典の能や日本の文化の深さにいつか気づいてくれれば良いのでね。。
お稽古の詳細はまた改めてアップする事にします。とりあえず今日はここまでで。。パソコンの復旧に専念いたしまする。。
狩野川薪能→ 次の記事
ほとんど徹夜状態で、あちこちいじって。。とうとうシステムリカバリになってしもうた。。あああああああああぁぁぁぁぁ
今日は松戸市にお弟子のお稽古に行っていたのですが、帰宅してなんとかインターネット環境だけは復旧しました。メールの復旧はまだなの。。
さて研能会で『鵜飼』を勤めた翌日、伊豆の国市(旧・大仁町・伊豆長岡町・韮山町が合併して昨年誕生した新市)に「子ども能」の初稽古に行って参りました。これは大鼓方の大倉正之助氏がはじめた薪能『狩野川薪能』の中で、小学生を中心にした地元の子どもたちを出演させるもので、特筆すべきは、この「子ども能」が地元の民話を題材にた新作の能で、地元の子どもたちが(囃子を除いた)すべての役を演じる、というところなのです。もう今年で第七回を迎える『狩野川薪能』の「子ども能」。ぬえはその第一回から関わっていて、子どもの稽古を中心的にさせて頂いております。
思い起こせば七年前には大仁町独自の催しで、子ども能も地元のご当地ソングってなものを選んで、主にワキ方のY氏が中心となって『城山(じょうやま)の大蛇』というのを作りました。ぬえは主に節付けを担当して、最初は居囃子の形式で上演したのですが、翌年には「子どもたちをただ座らせて謡わせるだけじゃもったいない」という事になり、型をつけて能の形式に作り直しました。その後も数回の上演を経て内容も段々に充実させて、出演する役も増やしたり、地元の神社などに歴史を取材に行って本文に反映させたり。
ところが去年から新「伊豆の国市」が誕生した事で、大仁町に偏った能を演じるばかりでは不具合がありますから、再び民話を取材して、子どもたちの指導をする能楽師が寄り集まって『江間の小四郎』(北条義時の前名)というお話の能を新作しました。『城山~』も『江間~』も、どちらも地元に出没する大蛇を勇者が退治する、というストーリーで、子どもたちにはチャンバラする事で発散できてよい経験でしょう。
もっとも、ぬえは子どもたちに「能」をやらせている、という意識はなくて、「能のエッセンスを取り入れた」、言葉は悪いかもしれないけれど「お遊戯」の延長のようなもの、というスタンスで教えています。ですから、子どもたちには悪ふざけをしたり、他の子の迷惑になる事をしない限り、滅多に怒ることもありませんね。こういう年頃の子どもたちには古典芸能のエッセンスに触れてもらえれば、それで良いのではないか、と思っています。そのうち、古典の能や日本の文化の深さにいつか気づいてくれれば良いのでね。。
お稽古の詳細はまた改めてアップする事にします。とりあえず今日はここまでで。。パソコンの復旧に専念いたしまする。。
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