ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『鵜飼』終了しました(その2)

2006-02-13 16:53:28 | 能楽
後見のうち一人は、能の終了する直前には切戸に先に引いて幕の中で待ち受けていて、舞い終えて橋掛りに引き揚げて来られるおシテが幕の中に入る時には平伏してそれをお迎えしなければなりません。ところが『西行桜』の後見は能の終了時にも舞台に居残って作物を引かなければならないので、誰か後見の代役がおシテをお迎えする事になります。

なぜか今回は ぬえにその代役のご指名があったので、おシテをお迎えして、面を外すところまでお手伝いさせて頂き、それから急いで胴着に着替えて『鵜飼』の装束を着けました。今回の前シテは濃い青(ほとんど紺色)の水衣に花色の無地熨斗目。腰蓑も上半分が黒。悪者の密漁者には良い姿でしょう。「鵜之段」で激しい動きをしても尉髪が乱れないように少し仕掛けをしておきましたが、これは成功だったようです。面は前後とも師家から拝借しましたが、どちらも出目是閑(大野出目家初代。16~7世紀の面打ちの作で、前シテは拝借する時に師匠から「この尉面は面白いだろう。三光尉のたぐいだとは思うんだが」とおっしゃるように、「笑尉」と「三光尉」の間をいくような面で、とくに頬の彫りが極端に深くて、ある程度下品。(笑) 『鵜飼』の前シテにはちょうど良いでしょう。面の裏がかなり狭くて、頬の面当て(面の角度を調整するために入れる手製のクッション)は不要でした。

一声で幕を揚げて出て、このときは ぬえ、いつもの悪いクセで足に力が入りすぎたのですが、次第にほぐれてきました。謡は当日になってから楽屋でおワキからいろいろと教示を受けましたが、もっともなご注意だったので、出来るだけそれを守りながら謡いましたが、これまたいつもの事で、稽古よりは微妙にピッチが上がり気味になりましたが、おワキからも「謡が抑えすぎじゃないか?」と言われていたので、これもまあ許容範囲であったのではないかと思います。「語り」も自分としては良くできた方だと思っています。

前シテの眼目の「鵜之段」は、これは力が入りました。「語る草」さんからもご指摘があったように、力が入りすぎ、という事もあろうかと思いますが。。それもさもありなん。。舞台でブチ切れた ぬえは手がつけられないのは有名で。。反省してます。。

中入の間狂言の山本家の文句については前述しましたが、開演前の楽屋でそれについてお伺いしてみました。やはりお家の語りは「密漁者を殺せと提案した本人」というものだそうで、これは ぬえも知っていたのですが、捕らえた密漁者をまず座らせて「ゆるりと休ませ」、その間に大竹を取り寄せてこれを細く割って簀に編み、さて漁師をその上に「とくと寝かせ」端より「くるりくるりと巻き込めて」この川の「一の深みに」沈める、というスゴイ描写。最初の「ゆるりと休ませ」が怖い。。お話しをしてくださった狂言方も「じつは殺されると分かった時はショックが大きいよねえ。。」なんて言っていました。実際には ぬえは後シテの装束を着付けて頂いていたのでこの間狂言の語りは聞いていません。はやく録画が届かないかなあ。

後シテは早笛で登場しますが、前述のようにあまり速くは演奏しない事に定められています。一方シテの方も「橋掛りは序・破・急と速度を上げて出るものだ」と教えられていますので、幕から出るところはややシッカリ、次第に歩速を速めて一之松で正面にずかりと出てヒラキ、謡い出しとなります。後シテの面は前述のように是閑の「小ベシ見」ですが、こちらはちょっと薄い面で、面当てに少し工夫をしました。面白いのはこの「小ベシ見」、グッと結んだ口のところを細く切り通して明けてあるのです。これは ぬえは見た事がないので師匠に伺ったところ、「小ベシ見には時々こういう造作の面もあるね。やはり謡い易くするためだろう」ということでした。なるほど、このようなベシ見系の面「大ベシ見」「小ベシ見」「長霊ベシ見」「熊坂」「黒ベシ見」などは、すべて口は裏側に貫通している彫りはないのです。裏側から見れば口だけはのっぺらぼう。こういう面で謡を謡うと、ときどき声が籠もってしまって何を謡っているのかわからない方もあるけれど、ぬえの経験では稽古で克服できるはずです。それ以上に困るのは、こういう面で激しく舞うと、次第に酸欠状態になってくるのですよ。やはり口が閉じられた状態の面ですから、呼吸が苦しくなってくる事はあります。幸い、今回は ぬえはそのような目には遭いませんでしたが。。なお装束はちょっと古い黒地の袷狩衣、赤地半切、修羅扇、唐冠。赤頭と紅黒段の厚板は ぬえの所蔵品でした。

後シテは前回にも書いた通り太鼓のKくんと打合せが出来ていたので、これまた型と齟齬なく合いましたし、飛び安座も、もともと飛び上がる高さはあまり挑戦する気はなかったのですが着地はうまく決まりました。その後のキリは型が余るところですが、師匠がサラッと謡ってくださって、これまたうまく文句にはまって舞う事が出来たと思います。

ああ、やっぱり ぬえは切能が好きだ。。

ご来場頂きました方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞ ぬえのお舞台にお運び頂けると幸甚ですー   (おわり)

『鵜飼』終了しました

2006-02-13 00:58:30 | 能楽
2月11日(土)の梅若研能会2月例会にて『鵜飼』を無事に勤めてまいりました。

木白山さんへのコメントでも申したのですが、本当に久しぶりに、終演後にガックリと落ち込むことなく(←ホントに自分が勤めたあとはいつもこんな感じ)、手応えを感じた舞台となりました。なんとなく序之舞を舞う曲を勤めさせて頂く機会が多い ぬえなのですが、ああ、やっぱり ぬえって切能が好きなんだなあ。。とつくづく思いましたー。(^^;)

当日は午後1時の開演だったので、11時に楽屋に入り、装束の準備や下ごしらえ(?)をしたり、またちょっとした仕掛けを装束にしたりして、あれよあれよと開演時刻が近づいて来ました。

ぬえ、今回は、後輩のKくんが初番に勤める『箙』の能の主後見もさせて頂く事になっていたので、本当の事を言えば、催しの当日が近づくにつれてかなりナーバスになっていました。後見というのは見た目よりも大変で、おシテの装束の着付けもしますし、万が一お舞台に事故があった場合はすぐに対処しなければならないのです。

たとえばおシテが万一絶句した時には間髪を入れずに文句を付けなければならない(プロンプター、ですな)ので、おシテやおワキの文句は完璧に覚えていなければならない。ところが『箙』と『鵜飼』には微妙に似た文句があるのです。『箙』でおシテが絶句した時に『鵜飼』の文句を付けちゃったら大変な事になるし、また『鵜飼』のおシテを勤める時に『箙』の文句が口を衝いて出たら、これまた大惨事。。(^◇^;)

また、上演中に装束が乱れて演技に支障が出た場合にはすぐにそれを直しますが、これもおシテの演技やお客さまがご覧になる邪魔になってはならない。このように装束の乱れを直すにもタイミングがあるので、「こういう事態になったらこのタイミングでこう直す。ここで事故がある可能性があるから、その場合はこうして対処する」と、何通りものアクシデントのシミュレーションを予めしておくのです。それに、そもそも装束の乱れというの楽屋で着付けをする際に不備があった場合が多いから、事故そのものが後見の失態です。しかも後輩の数少ない舞台の機会に先輩の ぬえが失態で傷をつけるわけには絶対にいかないのです。そんな事があったら、確実に ぬえは自分のお役の『鵜飼』に後悔を引きずってしまって、こちらでも失策をしかねない。。

このへんについては副後見のUさんが ぬえに気を遣ってくださって、「あとにおシテが控えているのだから、『箙』のおシテの文句は私に任せて、ぬえさんは覚えなくても良いですよ」と言ってくださったのですが、ぬえも主後見のお役を師匠から頂いた以上、やはり自分で後見の仕事が全うできるよう、舞台当日までに細心の注意を払っていました。また『箙』のような修羅物の曲は、事故が起きやすい能なのです。。それでも結局『箙』は何のアクシデントも起こらず、おシテのKくんも稽古や申合よりも良い出来でしたね。もう少し発声のの鍛錬をした方がいいんじゃないかな、とは思いしたが、型はのびのびと演じていて、囃子方ともうまく合って舞っていました。

ところが、さて『箙』が終わってみて。。ぬえは疲労困憊。後見役の精神的な重圧から解放された途端、ヘタってしまいました。これから『鵜飼』のおシテ。。でも『箙』の直後には師匠が『西行桜』を勤められて、これがかなり長大な曲だったので、その上演中に『鵜飼』の文句をもう一度おさらいする余裕もあり、ようやく気力を回復できました。