後見のうち一人は、能の終了する直前には切戸に先に引いて幕の中で待ち受けていて、舞い終えて橋掛りに引き揚げて来られるおシテが幕の中に入る時には平伏してそれをお迎えしなければなりません。ところが『西行桜』の後見は能の終了時にも舞台に居残って作物を引かなければならないので、誰か後見の代役がおシテをお迎えする事になります。
なぜか今回は ぬえにその代役のご指名があったので、おシテをお迎えして、面を外すところまでお手伝いさせて頂き、それから急いで胴着に着替えて『鵜飼』の装束を着けました。今回の前シテは濃い青(ほとんど紺色)の水衣に花色の無地熨斗目。腰蓑も上半分が黒。悪者の密漁者には良い姿でしょう。「鵜之段」で激しい動きをしても尉髪が乱れないように少し仕掛けをしておきましたが、これは成功だったようです。面は前後とも師家から拝借しましたが、どちらも出目是閑(大野出目家初代。16~7世紀の面打ちの作で、前シテは拝借する時に師匠から「この尉面は面白いだろう。三光尉のたぐいだとは思うんだが」とおっしゃるように、「笑尉」と「三光尉」の間をいくような面で、とくに頬の彫りが極端に深くて、ある程度下品。(笑) 『鵜飼』の前シテにはちょうど良いでしょう。面の裏がかなり狭くて、頬の面当て(面の角度を調整するために入れる手製のクッション)は不要でした。
一声で幕を揚げて出て、このときは ぬえ、いつもの悪いクセで足に力が入りすぎたのですが、次第にほぐれてきました。謡は当日になってから楽屋でおワキからいろいろと教示を受けましたが、もっともなご注意だったので、出来るだけそれを守りながら謡いましたが、これまたいつもの事で、稽古よりは微妙にピッチが上がり気味になりましたが、おワキからも「謡が抑えすぎじゃないか?」と言われていたので、これもまあ許容範囲であったのではないかと思います。「語り」も自分としては良くできた方だと思っています。
前シテの眼目の「鵜之段」は、これは力が入りました。「語る草」さんからもご指摘があったように、力が入りすぎ、という事もあろうかと思いますが。。それもさもありなん。。舞台でブチ切れた ぬえは手がつけられないのは有名で。。反省してます。。
中入の間狂言の山本家の文句については前述しましたが、開演前の楽屋でそれについてお伺いしてみました。やはりお家の語りは「密漁者を殺せと提案した本人」というものだそうで、これは ぬえも知っていたのですが、捕らえた密漁者をまず座らせて「ゆるりと休ませ」、その間に大竹を取り寄せてこれを細く割って簀に編み、さて漁師をその上に「とくと寝かせ」端より「くるりくるりと巻き込めて」この川の「一の深みに」沈める、というスゴイ描写。最初の「ゆるりと休ませ」が怖い。。お話しをしてくださった狂言方も「じつは殺されると分かった時はショックが大きいよねえ。。」なんて言っていました。実際には ぬえは後シテの装束を着付けて頂いていたのでこの間狂言の語りは聞いていません。はやく録画が届かないかなあ。
後シテは早笛で登場しますが、前述のようにあまり速くは演奏しない事に定められています。一方シテの方も「橋掛りは序・破・急と速度を上げて出るものだ」と教えられていますので、幕から出るところはややシッカリ、次第に歩速を速めて一之松で正面にずかりと出てヒラキ、謡い出しとなります。後シテの面は前述のように是閑の「小ベシ見」ですが、こちらはちょっと薄い面で、面当てに少し工夫をしました。面白いのはこの「小ベシ見」、グッと結んだ口のところを細く切り通して明けてあるのです。これは ぬえは見た事がないので師匠に伺ったところ、「小ベシ見には時々こういう造作の面もあるね。やはり謡い易くするためだろう」ということでした。なるほど、このようなベシ見系の面「大ベシ見」「小ベシ見」「長霊ベシ見」「熊坂」「黒ベシ見」などは、すべて口は裏側に貫通している彫りはないのです。裏側から見れば口だけはのっぺらぼう。こういう面で謡を謡うと、ときどき声が籠もってしまって何を謡っているのかわからない方もあるけれど、ぬえの経験では稽古で克服できるはずです。それ以上に困るのは、こういう面で激しく舞うと、次第に酸欠状態になってくるのですよ。やはり口が閉じられた状態の面ですから、呼吸が苦しくなってくる事はあります。幸い、今回は ぬえはそのような目には遭いませんでしたが。。なお装束はちょっと古い黒地の袷狩衣、赤地半切、修羅扇、唐冠。赤頭と紅黒段の厚板は ぬえの所蔵品でした。
後シテは前回にも書いた通り太鼓のKくんと打合せが出来ていたので、これまた型と齟齬なく合いましたし、飛び安座も、もともと飛び上がる高さはあまり挑戦する気はなかったのですが着地はうまく決まりました。その後のキリは型が余るところですが、師匠がサラッと謡ってくださって、これまたうまく文句にはまって舞う事が出来たと思います。
ああ、やっぱり ぬえは切能が好きだ。。
ご来場頂きました方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞ ぬえのお舞台にお運び頂けると幸甚ですー (おわり)
なぜか今回は ぬえにその代役のご指名があったので、おシテをお迎えして、面を外すところまでお手伝いさせて頂き、それから急いで胴着に着替えて『鵜飼』の装束を着けました。今回の前シテは濃い青(ほとんど紺色)の水衣に花色の無地熨斗目。腰蓑も上半分が黒。悪者の密漁者には良い姿でしょう。「鵜之段」で激しい動きをしても尉髪が乱れないように少し仕掛けをしておきましたが、これは成功だったようです。面は前後とも師家から拝借しましたが、どちらも出目是閑(大野出目家初代。16~7世紀の面打ちの作で、前シテは拝借する時に師匠から「この尉面は面白いだろう。三光尉のたぐいだとは思うんだが」とおっしゃるように、「笑尉」と「三光尉」の間をいくような面で、とくに頬の彫りが極端に深くて、ある程度下品。(笑) 『鵜飼』の前シテにはちょうど良いでしょう。面の裏がかなり狭くて、頬の面当て(面の角度を調整するために入れる手製のクッション)は不要でした。
一声で幕を揚げて出て、このときは ぬえ、いつもの悪いクセで足に力が入りすぎたのですが、次第にほぐれてきました。謡は当日になってから楽屋でおワキからいろいろと教示を受けましたが、もっともなご注意だったので、出来るだけそれを守りながら謡いましたが、これまたいつもの事で、稽古よりは微妙にピッチが上がり気味になりましたが、おワキからも「謡が抑えすぎじゃないか?」と言われていたので、これもまあ許容範囲であったのではないかと思います。「語り」も自分としては良くできた方だと思っています。
前シテの眼目の「鵜之段」は、これは力が入りました。「語る草」さんからもご指摘があったように、力が入りすぎ、という事もあろうかと思いますが。。それもさもありなん。。舞台でブチ切れた ぬえは手がつけられないのは有名で。。反省してます。。
中入の間狂言の山本家の文句については前述しましたが、開演前の楽屋でそれについてお伺いしてみました。やはりお家の語りは「密漁者を殺せと提案した本人」というものだそうで、これは ぬえも知っていたのですが、捕らえた密漁者をまず座らせて「ゆるりと休ませ」、その間に大竹を取り寄せてこれを細く割って簀に編み、さて漁師をその上に「とくと寝かせ」端より「くるりくるりと巻き込めて」この川の「一の深みに」沈める、というスゴイ描写。最初の「ゆるりと休ませ」が怖い。。お話しをしてくださった狂言方も「じつは殺されると分かった時はショックが大きいよねえ。。」なんて言っていました。実際には ぬえは後シテの装束を着付けて頂いていたのでこの間狂言の語りは聞いていません。はやく録画が届かないかなあ。
後シテは早笛で登場しますが、前述のようにあまり速くは演奏しない事に定められています。一方シテの方も「橋掛りは序・破・急と速度を上げて出るものだ」と教えられていますので、幕から出るところはややシッカリ、次第に歩速を速めて一之松で正面にずかりと出てヒラキ、謡い出しとなります。後シテの面は前述のように是閑の「小ベシ見」ですが、こちらはちょっと薄い面で、面当てに少し工夫をしました。面白いのはこの「小ベシ見」、グッと結んだ口のところを細く切り通して明けてあるのです。これは ぬえは見た事がないので師匠に伺ったところ、「小ベシ見には時々こういう造作の面もあるね。やはり謡い易くするためだろう」ということでした。なるほど、このようなベシ見系の面「大ベシ見」「小ベシ見」「長霊ベシ見」「熊坂」「黒ベシ見」などは、すべて口は裏側に貫通している彫りはないのです。裏側から見れば口だけはのっぺらぼう。こういう面で謡を謡うと、ときどき声が籠もってしまって何を謡っているのかわからない方もあるけれど、ぬえの経験では稽古で克服できるはずです。それ以上に困るのは、こういう面で激しく舞うと、次第に酸欠状態になってくるのですよ。やはり口が閉じられた状態の面ですから、呼吸が苦しくなってくる事はあります。幸い、今回は ぬえはそのような目には遭いませんでしたが。。なお装束はちょっと古い黒地の袷狩衣、赤地半切、修羅扇、唐冠。赤頭と紅黒段の厚板は ぬえの所蔵品でした。
後シテは前回にも書いた通り太鼓のKくんと打合せが出来ていたので、これまた型と齟齬なく合いましたし、飛び安座も、もともと飛び上がる高さはあまり挑戦する気はなかったのですが着地はうまく決まりました。その後のキリは型が余るところですが、師匠がサラッと謡ってくださって、これまたうまく文句にはまって舞う事が出来たと思います。
ああ、やっぱり ぬえは切能が好きだ。。
ご来場頂きました方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞ ぬえのお舞台にお運び頂けると幸甚ですー (おわり)