2月11日(土)の梅若研能会2月例会にて『鵜飼』を無事に勤めてまいりました。
木白山さんへのコメントでも申したのですが、本当に久しぶりに、終演後にガックリと落ち込むことなく(←ホントに自分が勤めたあとはいつもこんな感じ)、手応えを感じた舞台となりました。なんとなく序之舞を舞う曲を勤めさせて頂く機会が多い ぬえなのですが、ああ、やっぱり ぬえって切能が好きなんだなあ。。とつくづく思いましたー。(^^;)
当日は午後1時の開演だったので、11時に楽屋に入り、装束の準備や下ごしらえ(?)をしたり、またちょっとした仕掛けを装束にしたりして、あれよあれよと開演時刻が近づいて来ました。
ぬえ、今回は、後輩のKくんが初番に勤める『箙』の能の主後見もさせて頂く事になっていたので、本当の事を言えば、催しの当日が近づくにつれてかなりナーバスになっていました。後見というのは見た目よりも大変で、おシテの装束の着付けもしますし、万が一お舞台に事故があった場合はすぐに対処しなければならないのです。
たとえばおシテが万一絶句した時には間髪を入れずに文句を付けなければならない(プロンプター、ですな)ので、おシテやおワキの文句は完璧に覚えていなければならない。ところが『箙』と『鵜飼』には微妙に似た文句があるのです。『箙』でおシテが絶句した時に『鵜飼』の文句を付けちゃったら大変な事になるし、また『鵜飼』のおシテを勤める時に『箙』の文句が口を衝いて出たら、これまた大惨事。。(^◇^;)
また、上演中に装束が乱れて演技に支障が出た場合にはすぐにそれを直しますが、これもおシテの演技やお客さまがご覧になる邪魔になってはならない。このように装束の乱れを直すにもタイミングがあるので、「こういう事態になったらこのタイミングでこう直す。ここで事故がある可能性があるから、その場合はこうして対処する」と、何通りものアクシデントのシミュレーションを予めしておくのです。それに、そもそも装束の乱れというの楽屋で着付けをする際に不備があった場合が多いから、事故そのものが後見の失態です。しかも後輩の数少ない舞台の機会に先輩の ぬえが失態で傷をつけるわけには絶対にいかないのです。そんな事があったら、確実に ぬえは自分のお役の『鵜飼』に後悔を引きずってしまって、こちらでも失策をしかねない。。
このへんについては副後見のUさんが ぬえに気を遣ってくださって、「あとにおシテが控えているのだから、『箙』のおシテの文句は私に任せて、ぬえさんは覚えなくても良いですよ」と言ってくださったのですが、ぬえも主後見のお役を師匠から頂いた以上、やはり自分で後見の仕事が全うできるよう、舞台当日までに細心の注意を払っていました。また『箙』のような修羅物の曲は、事故が起きやすい能なのです。。それでも結局『箙』は何のアクシデントも起こらず、おシテのKくんも稽古や申合よりも良い出来でしたね。もう少し発声のの鍛錬をした方がいいんじゃないかな、とは思いしたが、型はのびのびと演じていて、囃子方ともうまく合って舞っていました。
ところが、さて『箙』が終わってみて。。ぬえは疲労困憊。後見役の精神的な重圧から解放された途端、ヘタってしまいました。これから『鵜飼』のおシテ。。でも『箙』の直後には師匠が『西行桜』を勤められて、これがかなり長大な曲だったので、その上演中に『鵜飼』の文句をもう一度おさらいする余裕もあり、ようやく気力を回復できました。
木白山さんへのコメントでも申したのですが、本当に久しぶりに、終演後にガックリと落ち込むことなく(←ホントに自分が勤めたあとはいつもこんな感じ)、手応えを感じた舞台となりました。なんとなく序之舞を舞う曲を勤めさせて頂く機会が多い ぬえなのですが、ああ、やっぱり ぬえって切能が好きなんだなあ。。とつくづく思いましたー。(^^;)
当日は午後1時の開演だったので、11時に楽屋に入り、装束の準備や下ごしらえ(?)をしたり、またちょっとした仕掛けを装束にしたりして、あれよあれよと開演時刻が近づいて来ました。
ぬえ、今回は、後輩のKくんが初番に勤める『箙』の能の主後見もさせて頂く事になっていたので、本当の事を言えば、催しの当日が近づくにつれてかなりナーバスになっていました。後見というのは見た目よりも大変で、おシテの装束の着付けもしますし、万が一お舞台に事故があった場合はすぐに対処しなければならないのです。
たとえばおシテが万一絶句した時には間髪を入れずに文句を付けなければならない(プロンプター、ですな)ので、おシテやおワキの文句は完璧に覚えていなければならない。ところが『箙』と『鵜飼』には微妙に似た文句があるのです。『箙』でおシテが絶句した時に『鵜飼』の文句を付けちゃったら大変な事になるし、また『鵜飼』のおシテを勤める時に『箙』の文句が口を衝いて出たら、これまた大惨事。。(^◇^;)
また、上演中に装束が乱れて演技に支障が出た場合にはすぐにそれを直しますが、これもおシテの演技やお客さまがご覧になる邪魔になってはならない。このように装束の乱れを直すにもタイミングがあるので、「こういう事態になったらこのタイミングでこう直す。ここで事故がある可能性があるから、その場合はこうして対処する」と、何通りものアクシデントのシミュレーションを予めしておくのです。それに、そもそも装束の乱れというの楽屋で着付けをする際に不備があった場合が多いから、事故そのものが後見の失態です。しかも後輩の数少ない舞台の機会に先輩の ぬえが失態で傷をつけるわけには絶対にいかないのです。そんな事があったら、確実に ぬえは自分のお役の『鵜飼』に後悔を引きずってしまって、こちらでも失策をしかねない。。
このへんについては副後見のUさんが ぬえに気を遣ってくださって、「あとにおシテが控えているのだから、『箙』のおシテの文句は私に任せて、ぬえさんは覚えなくても良いですよ」と言ってくださったのですが、ぬえも主後見のお役を師匠から頂いた以上、やはり自分で後見の仕事が全うできるよう、舞台当日までに細心の注意を払っていました。また『箙』のような修羅物の曲は、事故が起きやすい能なのです。。それでも結局『箙』は何のアクシデントも起こらず、おシテのKくんも稽古や申合よりも良い出来でしたね。もう少し発声のの鍛錬をした方がいいんじゃないかな、とは思いしたが、型はのびのびと演じていて、囃子方ともうまく合って舞っていました。
ところが、さて『箙』が終わってみて。。ぬえは疲労困憊。後見役の精神的な重圧から解放された途端、ヘタってしまいました。これから『鵜飼』のおシテ。。でも『箙』の直後には師匠が『西行桜』を勤められて、これがかなり長大な曲だったので、その上演中に『鵜飼』の文句をもう一度おさらいする余裕もあり、ようやく気力を回復できました。
後ろにすわってるヒトでしょ
そんな大変な役立ったなんて
見ている側はぜんぜん知りませんでした
キンチョーが伝わってきます
大事なお役目ごくろうさまでした
立場上、率直に感想を申し上げられないのです、批判をすれば本業にひびき、誉めればお世辞となってしまう。すっかり離見の見が身について、演能中は無の境地。事前に頭に入れた舞台展開の通り体が自然に動きます。しかしながら私も根ッからの「能好き」なのです。おシテと直接やり取りできる機会ですから、虚心坦懐、見所からの印象などをお伝えし、私も研鑚いたします。
ぬえ師のお感じの通り、とても切れ味のあるお舞台でした。特に後は舞台入りも拍子も飛び安座もGOODと拝見しました。鵜之段前半は激しすぎたか?とも思います。その激しさが中入りまで続いてしまった印象です。不思議やな以降しんみりしても良かったのではと感じました。
会としては西行の地がよかったです。東中野はこうか!と。床机は・・・忘れちゃったのかなあ。
自己評価としては、前、常座に立った時、左肩がへにょっと垂れてしまっていたのです。移動して「や、これは」をワキ柱下から狙うべきでした。反省。
後見は「こうけん」です。後見は基本的にシテより先輩が勤める事になっていて、しかもその曲を舞った経験者が望ましいのですよ。昔はシテが舞台で昏倒した場合、副後見がシテを引きずって切戸口に運び込み、主後見が紋付きのままで残りのシテの舞を舞い継がなければなりませんでした。囃子もそのほかの役も決して演奏を止めてはならない。なんせお客さんが「お殿様」で、ほかの大名の饗応の席などで演じられる事が多かったので。。
ところが戦後、本当に舞台でおシテが倒れた例が大阪であります。でもこのときはさすがに演奏が止まったそうです。すぐに舞台の上で面を外して装束の胸元をくつろげ、見所に医者がおられて、舞台の下から手を伸ばして脈を診て「できるだけ動かさないように楽屋へ運べ」と指示が出されました。その後、このおシテは病院で亡くなりました。。
(かく言う ぬえも舞台で倒れられてそのまま病院で亡くなった方を目の前で見てしまった事が。。)
>語る草さん
西行桜の床几が。。? 。。。。詳しくは聞くまい。。
演者以外でなかなか楽屋で懇意に話せる人がいないので、あなたは貴重な存在ですよ。写真屋さんの中には、かつては ずうっとロビーでくつろいでおられて、地謡の文句を聞いて、すっと見所に来て見どころをパチリ。そんでまたロビーに。。という方もおられましたが、ここ10年ぐらいでずいぶん変わってきました。それにつれてできあがった写真もずいぶん質が良くなりましたね。今後ともよろしくお願いします~
その時は副後見と地謡の数人でシテの方を切戸から運び出し、主後見がシテから扇だけを受け取って後を続けました。この間囃子も地謡も止まりませんでした。
幸い大事には至らず、今もお元気に活躍されておられます。
あの時の舞台の上の冷静さには驚愕しました(主後見はちょっと慌てていましたが)。本当に何が有っても続けるものなのだなぁと。
2度と遭遇したくないけれど、貴重な忘れられない舞台でした。