昨日、中国西部のウイグル自治区で、ウイグル人たちの暴動が起こり、140人を越える死者が出ましたが、今日は漢民族側が数万人規模のデモを起こし、ウイグル人の店舗などを破壊する報復の暴徒と化しています。
泥沼化しなければよいけれどと思う気持もあれば、このまま泥沼化して分離独立も良いのでは?と考えてもおり、どちらにしても「美女が多いほうの味方」です。
7月7日は「国辱の日」とも言われ、中国にとって意味の多い日なんですが・・・。
昭和12年7月7日、現在の北京郊外の永定河にかかる橋「盧溝橋」で響いた銃声から日本軍と蒋介石率いる中華民国軍の抗争が勃発し、日中8年戦争が始まります。当時、蒋介石は南京を首都と定め、北京はその名前さえ北平と変えていました。
この銃声に対して日本軍は中国側が発砲し、それに応戦したと言っていますし、中華民国軍は日本側が発砲したと主張。宣戦布告なき戦闘の開始となりました。
本来なら現地の部隊同士で解決できる小規模武力衝突で済んだ問題だったのですが、どちらが仕掛けたのかわからぬままにお互いの軍がやられたと言う意識の中で報復合戦へとエスカレートし規模が拡大してしまいました。
後に中国共産党の毛沢東が、盧溝橋をはさんで対立していた中華民国と日本軍の緊張状態の中、毛沢東が指揮する共産軍が発砲し、両軍の戦闘を招いたことを公言しています。ちなみに当時の中国共産党は正規軍ではないので、ゲリラでしかありませんでした。
いわば敵地駐留状態だった日本軍が本気で戦闘を始めるつもりだったのならば兵力の増強をしていたでしょう。少数の後方部隊を駐留させていた日本軍は戦闘勃発後に駐留邦人を守れないと判断し、他の地域に避難させています。
7月29日通州事件が勃発します。戦後、歴史の表舞台から消されてしまいましたが、通州の大虐殺として多数の在中日本人が虐殺された事件です。
このとき通州には「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や当時は日本国籍だった朝鮮人を含む居留民、軍人等200余人がいました。通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかった所へ、中華民国の保安隊千数百名が襲撃を掛けました。
非戦闘員である民間人への軍事攻撃は戦争に関する国際法においても厳しく禁止されていますが、中華民国保安隊は虐殺の限りをつくします。
通州事件勃発後に通州に派遣された元日本兵に話を聞いたことがありますが、子供の手足は切断され、女性は強姦された後、局部から串刺しにされてさらし者になっていたそうで、歴史的に中国ではありがちな残虐行為ですが、こうした行為が対中感情を悪化させます。
中国側にすれば自国に土足で入り込まれていたのですから、どっちもどっちと言うのは実感のない現代ならではの考えかもしれません。フランス、イギリスを始めヨーロッパにいいように蹂躙されていた中国ですが、日本に対しては特別な感情を抱かざるを得ないのは弱さだと思います。
もちろん、中国の歴史に盧溝橋事件は書かれていても、通州事件についてはかかれていません。通州事件に関しては本国では研究できないために、日本に来て研究している中国人留学生もたくさんいます。
通集事件が他人の土地に土足で入り込んできた「侵略者」日本人へのレジスタンスと言うなら、今回のウイグル暴動は他人土地へ土足で上がりこんできた漢民族へのレジスタンスとして正当化されるべきでしょうか?
対中感情を煽るコラムではないので、こんなことがあったんだということを理解してもらいたいと思います。感情を抑制できないほど日本人は幼稚ではないので安心です。