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小沢裁判:部分で全体像を問う朝日新聞の解説・・・本末転倒の論旨

2012-04-21 23:18:09 | 検察・メディア

21日の朝日新聞の特集記事『陸山会事件26日判決ーー公判ダイジェスト』(小沢元代表 VS 検察捜査)で、村山治・編集委員が解説『規正法の欠陥 浮き彫り』で小沢裁判の意義の一つに、政治資金規正法の欠陥を浮き彫りにしたとし、判決は予断を許さないと論説しています。
この論旨は、政治資金規正法云々での判決の予想であるが、陸山会事件は、西松献金事件から起点で、陸山会土地取引の収支報告書虚偽記載かどうか、小沢一郎氏が虚偽記載に共謀が問われているが、何故、検察が小沢一郎事務所だけを捜査し秘書を逮捕・起訴したかが全体像の本質であり、虚偽記載の共謀など枝葉末節の部分で本末転倒の論旨ですね。

朝日新聞の全ページ特集記事『陸山会事件26日判決ーー公判ダイジェスト』(小沢元代表 VS 検察捜査)は、小沢事件・裁判の経過、指定弁護士と小沢氏側の主張を記載し、村山治・編集委員が「規正法の欠陥 浮き彫り」の見出しで論説を掲載しています。
全文を転載すると、

”「規正法の欠陥 浮き彫り

 小沢一郎氏の裁判の意義の一つは、政治資金規正法の欠陥を改めて浮き彫りにしたことだ。
 同法は政治団体の収支報告書の記載・提出義務を、会計責任者に負わせている。理由は「政治家を複雑な会計実務から開放し、政治活動に専念させるため」とされる。この規定が、刑事責任追及から政治家を守る防波堤になってきた面がある。疑惑が浮かんでも、政治家は「知らなかった」と言い張れた。
 このため、検察は戦後長い間、政治家と会計責任者ら秘書との具体的で明白な共謀の証明ができない限り、政治家の摘発は困難との立場をとってきた。しかし、国民から選ばれた検察審査会は小沢氏の起訴を求めた。
 国会での説明を拒んできた小沢氏が、民意が求めた法廷の場で「収支報告書は秘書に任せ、報告を受けていない」「記憶にない」と繰り返した。国民にこの説明はど写ったであろうか。

 小沢氏の裁判でさらに特筆すべきは、検察捜査のずさんな実態が次々に明らかになったことだ。
 東京地裁は、石川知裕議員らの元秘書に対する検事の取り調べを、「虚偽供述に導く危険性の高い違法・不当なもの」と断じた。石川議員が語っていない事実を記載した操作報告書の存在も、隠し録音で発覚した。
 小沢氏の裁判で明らかになった捜査の問題点は、大阪地検の証拠改ざん・犯人隠避事件で指弾された検察組織の病弊と根を同じくするものだ。検察は徹底捜査で事実を明らかにし、改革に生かすことが求められる。

 さて、小沢氏は有罪なのか、無罪なのか。
 土地代として4億円を小沢氏が提供して決済し、その直後に小沢氏が同額の銀行融資を受けて陸山会に貸し付けたのに、収支報告書には片方の4億しか記載されていない。---という客観的事実はある。『石川議員の引き継ぎで、収支報告書のあと処理を小沢氏に報告した」とする池田光智元秘書の調書も証拠採用されている。
 法曹関係者の間には間接事実と池田証言などから、共謀を認めて有罪判決を導けるという声がある。その一方で、共謀を証明する証拠が希薄なことから、疑わしきは罰せずの原則に立って小沢氏を無罪にする声も多い。
 裁判官が指定弁護士と弁護団のどちらのストーリーに説得力が感じているか。予断を許さない。
」”

と解説しています。

当方は、この村山治・編集委員の論説を斜め読みし、バランスのある簡潔に要約している印象と小沢裁判は「そんな些細な法律的な話なのか」と違和感を覚え、精読し、小沢一郎氏の一連事件を、検察審査会の議決を「民意」と是認とし、収支報告書の虚偽記載を前提で、虚偽記載の共謀の是否の法律論です。
小沢事件は、西松献金事件が起点とした小沢一郎氏への恣意的な「小沢抹殺」の国家権力の乱用という全体像を収支報告書へ記載の些細な事案にし、法律論で犯罪性を語っていると思えますね。
部分的な事柄を法律的な是否で全体像の犯罪性を問う論旨ですね。

朝日新聞の記事では、陸山会事件を、10年1月13日 東京地検特捜部が小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の捜索を起点と記載しているが、小沢・陸山会事件は、09年3月の西松献金事件が発端で、西松献金事件の公判の見通しが不透明なり、西松献金事件で捜査中に収支報告書に4億円の記載漏れを、東京地検特捜部が事件化し、市民団体が小沢一郎氏も告発し不起訴処分を、市民団体は検察審査会に申出により、強制起訴となったのです。
事件は、西松建設献金の収支報告書の虚偽記載容疑による強制捜査・秘書逮捕起訴が起点であり、収支報告書の記載云々の共謀など枝葉末節のなのです。

村山編集委員の論説を考察すると
陸山会事件を、タイトルにあるように、政治資金規正法の欠陥を問題視していますね。
収支報告書の記載・提出義務を会計責任者に負わせているので、政治家は、「知らなかった」と政治家を守る防波堤になっており、検察は、政治家と会計責任者ら秘書との具体的で明白な共謀の証明ができない限り、政治家の摘発は困難との立場であったが、国民から選出された審査員による検察審査会は、小沢一郎氏に強制起訴を議決したと。
村山編集委員は、前段で、検察は、小沢一郎氏を政治資金規正法の欠陥で起訴できなかったが、検察審査会を民意とし、民意が小沢一郎氏を起訴し、犯罪の是非を法廷に求めたと論じていますね。

そして、”「国会での説明を拒んできた小沢氏が、民意が求めた法廷の場で「収支報告書は秘書に任せ、報告を受けていない」「記憶にない」と繰り返した。国民にこの説明はど写ったであろうか。」”と、小沢一郎氏は説明不足の上、法廷では都合の良い弁明を繰り返し、果たして政治家の資質として疑問ではないかと投げかけていますね。
まるで、小沢一郎氏は、政治資金規正法の欠陥を自己防衛に悪用し、検察が不起訴にしたが、検察審査会がNOを結論したことは市民感覚では当然であり、そんな小沢一郎氏は政治家の資質はないという論調ですね。

そして、小沢裁判では、検察捜査のずさんな実態が明らかになったとしているが、ずさん捜査ではなく、大膳裁判長は、組織的な違法・不当捜査と指弾しているのです。
「ずさん」という手抜きではなく、小沢抹殺を「小沢 VS 特捜部」の全面戦争とした国家権力の乱用で検察の組織的な違法行為であり、問われるのは組織的違法行為の検察なのであり、本末転倒の論調です。

村山編集委員は、結語に、”「小沢氏は有罪なのか、無罪なのか。」”と投げかけのスタイルをとっているが、
”「土地代として4億円を小沢氏が提供して決済し、その直後に小沢氏が同額の銀行融資を受けて陸山会に貸し付けたのに、収支報告書には片方の4億しか記載されていない。---という客観的事実はある。『石川議員の引き継ぎで、収支報告書のあと処理を小沢氏に報告した」とする池田光智元秘書の調書も証拠採用されている。
 法曹関係者の間には間接事実と池田証言などから、共謀を認めて有罪判決を導けるという声がある
」”
と有罪判決にも妥当性があるとしておりますね。

当方の記憶では、収支報告書を精査する総務省の担当部門は、陸山会の収支報告書を問題にあたらないとしたはずですね。
また、公判で、会計専門家も陸山会の収支報告書には犯罪性を問う事はできないと証言しており、何らかの組織運営には、手元に運転資金を常時用意しておくことが常識であり、村山編集委員のいう客観的事実は何ら常識的な資金繰りであり問題はなく、池田光智元秘書が収支報告書のあと処理を報告したのは、担当者として当然の行為であるが、小沢一郎氏には、もう終わった事柄でどうでもよく、もし、何らかの不調で、資金がショートし、新たな資金調達が必要になり、その報告であれば、留意したと思うが、問題ない処理の報告などは「ア、そう」程度で、共謀などではないのです。
それは、本ブログ「小沢公判:小沢一郎氏の「任せて任す」反論は、松下幸之助氏の「任せて任さず」の上を行く(雑感)」で書いた、「任せたら任す」で、問題なければ報告無用の小沢一郎氏の特異性に過ぎないのです。

村山編集委員は、小沢一郎氏は、起訴も、有罪も妥当性があるという心証有罪の論調であり、この論調が朝日新聞の姿勢であり、御用新聞と言われるのでしょうね。
当方が、村山治・編集委員をブログで最初に取り上げたのは、エントリー「西松献金事件で「民主の有識者委員会が初会合」と「文藝春秋の記事」について」(2009-04-12)であり、文藝春秋(2009.05)にタイトル「小沢一郎の罪と罰」(総理の座を目前にしてなぜだ?、検察がつかんだ疑惑の核心」で、評論家の立花隆氏と朝日新聞編集委員の村山治氏の対談記事であり、村山治氏を検察擁護派と決め付けました。
村山編集委員の論説は、陸山会事件を収支報告書の虚偽記載なり共謀だけで焦点にし、事件を矮小化させ、小沢一郎氏の有罪判決の妥当性を匂わせていますね。

前述の本ブログ「西松献金事件で「民主の有識者委員会が初会合」と「文藝春秋の記事」について」で、鈴木宗男氏が09年4月10日号の「週刊朝日」に寄稿文を紹介しました。
鈴木宗男氏は、
”「「目に余る捜査情報のリーク・・・メディア誘導で国民に予断」の標題で、自分の体験を含め、検察側は捜査の過程をリークし、有利な世論形成する 語っていますね。
 また、検察は警察と違い捜査の手足が無く、検察は情報を基に頭でストーリーを組み立てるので、時には間違った判断がされる恐れがあるとしています。
 検察側が国民に予断を与える情報を流すやり方がまかり通るのであれば、裁判員制度も危ういと言わざるを得ないと語っています。」
と、検察は、情報で頭で考えるが、間違った判断する危険性を指摘しています
。」”
と語っており、メディアは検察リーク情報で、検察に有利な世論形成すると批判しています。
村山編集委員の論説は、まさに、検察擁護の世論形成の論調ですね。

当方には、村山編集委員は、「否小沢」の検察擁護派としか思えず、この度の「規正法の欠陥 浮き彫り」はタイトルから違和感を持ちましたが、この論調は他のメディアも同様ですね。
本ブログ「小沢裁判:刑事裁判から政治家の資質を問う心証裁判への変質を予感」(2012-02)で、2月17日のNHKの「時論公論」(解説委員:友井秀和で、友井解説委員は、今回の小沢元代表裁判では、政治資金の透明性を確保するために政治家がどこまで責任を負うべきかという問題も浮かびあがっていますと解説しており、刑事裁判の判決より、政治資金の透明性に、もっと高いレベルを政治家は求められており、政治資金規正法が、今のまま良いのか問われていると総括していました。

また、本ブログ「毎日新聞社説の論調はNHK解説と類似・・・本末転倒の論調」(2012-03-22)で、3月20日の毎日新聞の社説「小沢元代表公判 意味あった法廷の審理」も、”「刑事責任と政治家としての道義的責任は、切り分けるべきだ。だが、法廷での元代表の発言などを通じ、改めて国会の場での説明責任の必要性が示されたことは指摘しておきたい。」”と結んでおり、NHKの解説と類似と書きました。

朝日新聞の村山編集委員の解説も、NHKの友井秀和解説委員の解説も、毎日新聞の社説も、「政治とカネ」問題を持ち出し、なんだかんだと言っても、小沢一郎氏の政治家として資質を問う論調です。
まさに、検察擁護、小沢否定の世論形成の論調で、心証有罪は妥当性があるということになりますね。
小沢事件裁判は、収支報告書の記載云々の問題ではなく、小沢一郎氏の資質の問題でもなく、政治家、検察、検察審査会、司法の国家権力の乱用とそれに協働するマスメディアが裁かれるかどうかが本質の問題なのです。



1 コメント

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今朝のBLOG (tad)
2012-04-26 03:15:17
今朝のBLOGを書く上で本記事を参考資料として提示させていただきましたことお断りもうしあげておきます。
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