傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

小沢国会招致:菅首相が感情的になるのは器の小ささの証

2010-12-22 11:49:54 | 民主党(菅政権)

菅首相が小沢一郎氏の政倫審への招致要請で感情的になったと報道あり。
感情的、衝動的な言動と酒の席での失言で後悔するのは世の常であり、また、感情的になりやすく声の大きい人間には、ちょうちん持ちの人間しか近寄らず、影響力が限定的になり、人間の器が小さいのです。

小沢・菅二者会談について、有田芳生議員は、ブログ『菅直人首相の恣意的引用は認識を誤る』で、

”「菅首相が感情的になったと報じられている。根拠は小沢さんから鳩山由紀夫前首相にかけた電話内容だ。感情が前面に出てくれば認識はぶれる。会談の途中で首相はスタッフを呼び、10月7日の小沢発言をプリントして持ってこさせた。菅さんは「国会で決めた決定に私はいつでも従います」という部分を指してこう言った。「小沢さん、政倫審に出なければうそをついたことになりますよ」(以上、朝日新聞から)。
菅さんの激情は眼を曇らせている。
小沢発言は正確にはこうだ。「国会で決めた決定にいつでも従う。ただ、法廷で事実関係を明らかにしろということなので、その場で事実関係を明らかにしたい」。都合のいい引用をしてはならない。
」”

と、小沢一郎氏の発言は、「国会の決定には従うが、検察審査会の起訴相当の議決を最高裁が刑事訴訟手続きの中で判断されるべきと決定しており、司法の場で事実関係を明らかにしたい」という意味で、議決云々ではないですね。
菅首相からは、最高裁の決定についてのコメントが何もないですね。
与野党・メディアも最高裁の決定より、国会招致が優先されるということでしょうね。

また、小沢一郎氏の感想を、NHKニュースが、

”「小沢氏は、昨夜、みずからに近い議員との会合で、菅総理大臣との会談について、「菅総理大臣はずいぶん感情的になっていた。あんな菅総理大臣は初めてで、1時間半、ずっと言われっぱなしで肩がこった。仲間から責められるのはつらい」と述べ、菅総理大臣の対応を批判しました。そのうえで、小沢氏は「せっかく政権交代したのに、国民の期待に応えられないのは残念だ。結束して、この難局を乗り切ろう」と述べ、党の結束を呼びかけました。」”

と、小沢一郎氏の会談の印象を報道。

小沢・菅2者会談直後の報道は、小沢一郎氏は「政倫審の議決されても出ない」ということが強調されていたが、一方、小沢一郎氏の会議内容の印象を、鳩山前首相は「菅首相は感情的になっていたらしい」、輿石参議院議員会長は「菅首相は壊れたテープレコーダーのように同じ話を繰り返し話していた」と代弁していましたね。

民主党の広報は、「菅総理(代表)、小沢元代表と会談 全党的な立場からの協力を要請」では、菅首相は大局的な立場で、小沢一郎氏に協力を要請したと広報していますね。
広報の立場であれば、菅首相が短絡的に、小沢一郎氏に政倫審に出席を感情的に強要し、小沢一郎氏は「議決されても出ない」ことのみを強調することはできず、菅首相を持ち上げることが使命であり、全党的な立場を強調せざるを得ないのでしょう。
菅首相の会談後の記者会見では、「小沢一郎氏は政倫審が議決しても出ない。組織の長とすれば、何らかの善後策を行使しなければならない」と強調しており、民主党の広報と強調内容が矛盾しており、広報の人間の宮使いの気苦労を垣間見しますね。

当方は、ブログで、菅首相は小沢一郎氏に政倫審招致を要請するのであれば、小沢側の姿勢(司法での決着)を踏まえて合理的・建設的な案で折衝(説得?)すべきとし、

”「政倫審招致問題など枝葉末節の話で、「政治とカネ」問題は、行政の世界から司法の世界に物事が移ったとすればいいだけの話」”
とし、
”「政権交代の功労者で民主党の「中興の祖」の小沢一郎氏と日本の最高権力者の菅首相との会談であれば、現在の政治の混迷を反省し、「国民生活第一」に挙党一致で取り組みを話し合う好機だったが、「言った」「環境が変わった」の応酬の会談など子供会レベルの話ですね。」”
と、2者会談を酷評しました。

その後、会談内容の情報に接するほど、菅首相の「器」の小ささを感じますね。
菅首相とは、岡田幹事長が小沢一郎氏を説得できず、「俺が説得させる」と気張り、それが党の代表の面子ということだったのでしょうが、説得できずに権限を行使し国会招致させなければ、代表の面子がつぶれるという感情的になっているのでしょうね。

菅首相を傍観してて、権限を持ち決断が使命という偏狭な思考で、権威が見えないのです。
権力を行使し決断しなくても、権威があれば、周りが智恵をだし、自然に落ち着く所に着地するのです。
権威は権限者に自動的に付帯するものでなく、人格(品格、風格)があれば、人望(衆知)が集り、「あの人が言うのであれば、」と皆が納得できる方向に着地するのです。
現在は、「総理・党代表が言う」のでという雰囲気ですね。

政権交代の功労者で民主党の「中興の祖」の小沢一郎氏と日本の最高権力者の菅首相との会談であれば、現在の政治の混迷を反省し、「国民生活第一」に挙党一致で取り組みを話し合う好機で、小沢一郎氏の国会招致の件は、最高裁が行政から司法の世界で決着せよと判断があり、環境が変わったとし、小沢一郎氏の国会での説明は無用(人権問題もあり?)とし、菅首相は全党的立場で小沢一郎氏に協力を要請すれば、権威が醸成され、器も大きくなるのです。

本日の朝日新聞に、記事『”孤食の総理”』で、”「(菅首相は)、政権が苦難続きとなるにつれて首相官邸の執務室で「孤食」をするように。首相周辺が「熟慮の時間」と見る一方で、「首相の引きこもり」(官邸スタッフ)と心配する声も漏れている」”と孤食が常態化となってきた報道しています。

一方、菅首相は、夕食は、夫人同伴で、身近な側近と豪華な食事が多いと報道されていますね。
菅首相は、「イラ菅」を称されるように、感情的に大声だす人間であり、ちょうちん持ちしか近寄らず、衆知が集らず、一人よがりの人間になりますね。
恐妻夫人が側近No1で、「あなたは、日本の最高権力者よ! 決断するのよ! 何をしているのよ! 決断よ! 切りなさいよ!」と始終、決断を迫れているのでしょうね。
横綱白鵬ではないが、修羅場では腰を低くした大局観が必要で、ギャーギャー声高にさわがれては、やっていられないと周辺は思うでしょうね。
バランス感覚のある側近は距離を置くようになり、菅政府は自壊するのは時間の問題でしょうね。

マアー、小沢一郎氏も、渡辺乾介氏が小沢一郎氏の人物像では、「サービス精神の欠落」と評し、「一を知ったら、十を知れ」では側近も距離を置きたくなると評していましたが、小沢一郎氏の言葉足らずの発信力不足は否めないですね。


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