傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

独立検証委員会報告書:「ぞっとした」の真意はわかったが?

2012-03-06 14:34:03 | 社会

山口浩氏がブログ『「ぞっとした」にぞっとした話』で、福島原発事故独立検証委員会の報告書にある菅前首相が、「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた際、その場に同席した1人は、ヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」の「ゾッとした」の発言者は、内閣審議官の下村健一氏で、発言の真意は報道とは別であったと書いています。

報告書では、リーダーが些細な事柄まで問う事はリーダーの資質を問題視した報道であったが、「ゾッとした」の発言者の内閣審議官の下村健一氏が発言の真意は、ツィターで、

”「【民間事故調/3】私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。

【民間事故調/4】実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。

【民間事故調/5】それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?」”


を紹介し、

"「つまり下村氏は、「そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相」「実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した」というわけだ。」”

と、「ゾッとした」の真意は、日本の原子力のトップ達の萎縮した姿に戦慄したことだったと書いております。

当方は、独立検証委員会報告書の「ゾッとした」の報道に接したが、福島原発事故に関しては、事故沈静化への事故現場体制に関心があり、朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」を通読しており、政府対策本部の初動のお粗末さ、現場知らずの保安院の弊害など認識しており、違和感はありませんでした。

内閣審議官の下村健一氏が、菅前首相の問いに答えられず、原子力行政の幹部が、萎縮し、何も行動をしない姿に「ゾッとした」としたそうだが、当方に、言わせれば、報道された菅前首相の組織力を発揮できない気質にも、原子力行政の幹部の現場力の無さにも、それを他人事として傍観しているお側要人にも、報道と発言の真意の違いを得意げに広言する学識者にも、「ゾッとした」したというより、「コリャ、ダメだな!」という思いです。

政府対策本部の最大の馬鹿さは、現場経験のない人間が、現場の現状把握せずに、伝言ゲームの情報だけで、「どうする?、どうする?」と、喧騒しているだけであり、現場との情報手段を講じなかったことです。
現場の全体状況把握が最優先であり、停電で通信手段が途絶えたら、即、何らかの非常手段を講じて、現場と対策本部とのホットラインを開設すべきでした。
事故現場とホットラインの開設に、難渋すれば、東電対策本部とのホットラインを開設するのが常識であり、伝言ゲームでの情報不足で、過剰心配で組織力を発揮できなかったのです。
テレビ放送で、1号機の爆発を知ったとか、現場の前線整理で、間接的な作業員を第二原発に退避なり、避難なり、撤退なりを、全面撤退と過剰反応し、東電に乗り込むなど、政府対策本部の基本作業の欠落の証でしかないのです。

本ブログ「原発事故:現地対策本部は想定外の行動するのも責務」で、昨年2011年6月9日の朝日新聞の記事『原発災害マニュアル、全然使えず 政府、全面改訂へ』で現地対策本部(オフサイトセンター:現地指揮所)が機能不全について、

”「朝日新聞の紙面記事『使えぬ原発マニュアル』、『「現場で対応」誤算 原発マニュアルの指揮所 機能不全』 では、より詳細に報じていますが、総括することは当然であるが、想定外といえども、対策本部の初動の混乱、情報隠蔽の責任は免れないですね。
マニュアルなど想定の話であり、事故現場は想定外の連続の火急事案の沈静実務が責務であり、現地対策本部が想定外で機能発揮できなったなどは自己弁護の職務怠慢としか思えないですね。
想定外であれば、想定外の行動(現場に直行し、現場で機能を発揮すれば良く、現場への後方支援)すればいいからです。

当方は、事故当初から、現場作業体制と外部電源の確保に関心がありました。
3月15日の本ブログ「東日本大震災:原子力発電の爆発・放射線漏洩(所感)」で、
”「現場の責任者にとっては、優先順位は核分裂を抑えることと放射線漏洩はさせないと判断すれば、解決すべき問題別に担当責任者を任用し、外部電源を確保に非常手段を講じたと思いますね。」”
と、非常電源が使用不可能を把握した時点で、火急的な作業を現場に任せ、外部電源の確保、後方支援は東電本社・保安院の責務と思いましたね。

事実、朝日新聞の3月18日の記事『「立ち去るわけにはいかない」東電社員、放射線との闘い』で、現場作業に従事している作業者の苦労した内容は、”「外からの電力が断たれたのが一番悔しい」”と語っているのを紹介しており、同日の3面の記事「送電作業 接続難航」で、
”「原子力安全・保安院の担当者は地震当日の11日、「7,8時間のうちには外部からの送電の復旧があるのでは」と話していた。ところが、発電車と原発をつなぐ低圧ケーブルがなかなか確保できなかったり、技術者がそろわなかったりして作業は難航。 そのうちに原子炉が危険な状態になり、消防車のポンプで海水を入れる緊急手段に迫られた」”
と報じていました。
想定外の外部電源の喪失であれば、想定外の行動をして、即、外部電源の確保に行動するのが、現地対策本部の責務だったのです。

現地対策本部が機能せず、指揮所が使用不可能となれば、現地対策本部の機能を事故現場の免震棟に機能を移動させ、電源車の手配は一過性とし、外部電源の確保なり、通信手段の増強を手配したと思いますね。
現地対策本部は、事故現場の全体像を把握し、現場作業を指揮および後方支援が責務であれば、現地対策本部が機能しなかったのではなく、現地対策本部が責務を遂行しなかった職務怠慢だったのです
。」”

と、政府対策本部、東電対策本部、現地対策本部、保安院も、事故現場を全体把握への直接的な努力もせずに、現場の支援をせずに、やれ、「どうなっている!」と報告だけを求めたに過ぎず、馬鹿なトップに、用立たずの対策本部に事故現場は翻弄されたのでしょうね。

内閣審議官の下村健一氏は、

民間事故調/5】それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?

と呟いていますが、政府の一員として、傍観者の発言ですね。
傍観者であり、菅前総理の気質を知っていれば、建設的な意見具申するのが務めではないでしょうか?

また、当方には、山口浩氏は、報道姿勢を問題にしているが、山口浩氏の言うところの、

”「これならわかる。誰だってぞっとするだろう。一番の当事者が、事態への対応を何ら打ち出すことすらできずにいたわけだ。このとき東電が福島第一原発から「全員退避」する方針だったかどうかについて、東電側には異論があるらしいが、仮に東電の言い分が正しくて、本当は全員退避という話ではなかったとしても、緊急事態を前に固まったままのこういう人たちを見ていたら、本当に全員退避するつもりなのかも、と疑ってしまったかもしれない。」”

が何を言いたいのか意味不明です。

15日の菅前首相が、東電側から、「一時、作業員の退避」要請を、菅前首相が「全員撤去」を拒絶し、東電に乗り込みを指しているとは思うが、東電の言い分は正しくても、官邸に詰めていた原子力分野の幹部が、萎縮しており、反論も意見具申も出来ずに、東電は「本当に全員撤去するつもりでなのか」を疑うことも想像できると言っているのでしょうか?
要は、官邸の雰囲気を踏まえれば、間接作業員の一時退避を、官邸側が「全員撤退」を理解するのは自然だと言いたいのでしょうか?
どっちつかずの意見ですね。

当方は、東電を擁護する気は毛頭ないし、原子力ムラの安全神話が原発事故の潜在的要因という意見であるが、現場は現場に任せ、本部は、現場を最大限の後方支援すべきという意見であり、この度、現場の事故沈静化に従事した作業員の決死の作業で、微妙な冷温停止状態に持ち込めたと思っており、原発事故の沈静化で最大に懸念したのは、本ブログ「原発事故:現場がコケれば皆コケる危険性」で、
”「福島原発事故は、未経験の事故であり、対策本部が現場作業を全面的に支援しなければ、現場から「やってられねえッ!」が最大の懸念要因でしょうね。」”と書き、

”「東京電力執行役員 福島第一原発所長の・吉田昌朗氏は、対策本部の傘下で現場作業を預かっている人間であり、現場と対策総合本部との関係は、

”「それにしても、本ブログで、ドラマ『踊る大捜査線』で、湾岸署の刑事の青島俊作(織田裕二)が、本庁組織に「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」と叫んでいるのを連想したと書きましたが、吉田所長の「やってられねえよ!」は、「事故は対策本部で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ!」ですね。」”

と、吉田所長は「現場は任せろ」の自負はあるが、東電本店には、「やってられねえっ!」と怒鳴っても、決して、対策本部の政府の人間には、怒鳴ることはしないタイプでしょうね。

原発事故の沈静化は、菅首相が権限をもって、現場の人間を怒鳴ったら、現場が「やってられねえっ!」とプツンしたら、事故の沈静化は遠のくでしょうね。
事故沈静化の最大の懸念は、現場の反乱ですね。
それにしても、東電本店および対策本部は現場知らずのお粗末ですね
。」”

と書きました。

吉田所長は、現場を預かっている人間であり、東電の組織の人間でもあり、組織の常識はわきまえ、現場の所長が、越権行為までして、政府に盾突くようなことは絶対しないと思っており、黙々と仕事する現場の人間を、権限をかさに怒鳴り、現場が作業放棄されたら、最悪の事態になると懸念しました。

対策本部内の混乱など、現場は関係なく、現場は出来ることを粛々とするだけであり、現場の人間を怒鳴り散らす馬鹿なリーダーが最悪のです。
「ゾッとした」の真意が別にしても、報道各社が、リーダーの資質を問う報道は、何ら問題などないのです。

現場の責任者の吉田所長が、不眠不休で、食料も不十分で、家族の安否も判らずに、放射能被曝を心配しながら、沈静化作業に従事した作業員(東電社員、協力会社社員)の前線整理に、間接要員を第二原発に、一時退避させるのは常識で、東電本部に要請するのは当然であり、清水社長も必死に、官邸に許可を求めたのでしょうね。
官邸側は、事故現場の全体像を洞察すらできておらず、一時退避が撤退になり、全員撤退という過剰反応で菅前首相に判断に委ねたと推測しますね。

東電は、この撤退さわぎについては、昨年3月17日 読売新聞が記事『政府と東電すれ違い、作業員退避巡り押し問答』にしており、朝日新聞の連載記事連載「プロメテウスの罠」の記述については、反論『【東京電力】「プロメテウスの罠」に反論 「全員撤退の申し入れ事実は無い」』しており、事故現場の状況を知る立場の東電が自ら、「全面撤退」など要請するなど常識的にはありえない話です。
菅前首相も最悪であったが、政府対策本部の要人は、自分らは精一杯の努力をしたとし、菅前首相と東電を悪者にし、唯一、結果オーライの政府・東電統合対策本部の設置を菅首相の英断としているだけと憶測しますね。

それこそ、菅首相を政府対策本部の各大臣が、菅首相の前で、沈思する姿を想像すれば、「ゾッとした」の思いになります。



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