傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

保坂正康の著『天皇―「君主」の父、「民主」の子』の書評・・・今上天皇が歴史認識で苦悩(雑感)

2014-02-10 15:58:35 | 独り言

「現代ビジネス」サイトに、日本経済新聞編集委員の井上亮氏保坂正康氏の著『天皇――「君主」の父、「民主」の子』の書評を掲載。
井上亮氏は、保坂正康氏の著作に共感するとし、今上天皇が現下の歴史認識の風潮を苦悩していると。
適当で浅学の当方は、天皇制について意見は控えてきたが、保坂正康氏、井上亮氏の見解には同感の思いですね。

9日、「現代ビジネス」サイトに日本経済新聞編集委員の井上亮氏が保坂正康氏の著『天皇――「君主」の父、「民主」の子』(二人の象徴天皇――それぞれの「戦争と平和」に秘められた昭和史の真実)の書評を掲載しています。

井上亮氏は、

”「明仁天皇は明治以来の天皇のあり方を再定義し、昭和の天皇像のねじれを解消した。保阪氏が明仁天皇を「改革者」と呼ぶのはまことに当を得た表現である。明仁天皇が美智子皇后と災害被災地を見舞い、身障者や高齢者など社会的弱者をいたわる姿は国民の共感を得て、敬愛と高い評価を受けている。ただ、もっとも評価されるべきは改革者としての信念だと私は思う。」”

と、

”「保阪氏が定義した明治から昭和前期までを「君主制下の軍事主導体制」、戦後の昭和を「君主制下の民主主義体制」へ、明仁天皇が改革者とし、保坂氏が明仁天皇の具体的な改革をいくつかのキーワードで紹介しているが、一番重要なワードは「民主主義」で、戦前のような絶対天皇制の国家体制には二度と戻ってはならない。その固い決意が明仁天皇の発言の端々に感じられる」”

と記述し、

”「明仁天皇は記者会見で何度も戦前の天皇のあり方を“否定”しているとし、「皇室の伝統は“武”ではなく、つねに学問でした。(歴史上も)軍服の天皇は少ないのです」(1977年8月)、「大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います」(2009年4月、成婚50年で)の発言」”

を紹介し、改革の信念を表すキーワードを列挙すると、「戦争の記憶を風化させない」「平和」「憲法」「夫婦で一つという天皇制」などがあると。

明仁天皇は2013年に傘寿(80歳)となった。同年12月18日に行われた記者会見で、「80年の道のりを振り返って」という質問に対し、次のように答えている。

やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです
(戦後の日本は)平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています

奇しくも本書で取り上げているキーワードがすべて盛り込まれている。保阪氏の明仁天皇に対する理解の深さの証左といえる。そして「天皇は孤独」というはっとさせられる言葉に、明仁天皇が「大切にしたいと思うもの」への国民一般の理解がいかに乏しかったかが推察できる。その孤独感を癒し、「天皇の役割」を果たすための最良の伴走者が美智子皇后であったと。

井上亮氏が、明仁天皇の記者会見で、もっとも感銘を受けたのが2009年11月6日の即位20年にあたっての会見とし、「日本の将来への心配は?」と問われて、

”「天皇は高齢化や厳しい経済状況を挙げたが、これらは過去にも困難を乗り越えてきた日本人の英知で克服することを願っている、と“楽観的な”見方」”

を示した。一方で、

”「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです」といい、昭和期の戦争に触れた。そして「昭和の六十有余年は私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います」”

と語ったことに、

”「天皇は将来の日本にとって最大の懸念は歴史問題だと明言したのだ。それは2013年末に安倍晋三首相の靖国神社参拝が中韓のみならず、欧米からも批判されるなど、歴史問題が戦後平和国家として積み上げてきた日本の評価を無にしかねない状況にあることで的中したといえる。」”

と、明仁天皇は「日本の将来への心配?」に歴史認識を懸念していると書いています。

結語は、

”「明仁天皇は「『非軍事、戦後民主主義体制下の天皇』といった像を確立していくことを自らに誓った天皇制そのものの改革者」だと保阪氏はいう。そして「天皇のその姿勢は安心感と信頼感を与えてくれるように思う。この天皇の時代に私は生きて、死んでいくのだという充足感」があるとまで述べている。

現在までのところ、平成は近代以降唯一戦争のない時代である。後世、同時代のわれわれが思っている以上に、平成は安心感と充足感に満ちた時代と評されるかもしれない
。」”

と結んでいます。

当方は、安倍首相の靖国参拝について、本ブログ『安倍首相の靖国神社参拝の雑感・・・今上天皇が苦悩・熟慮』(2014-01-16)、本ブログ『靖国神社の「A級戦犯を合祀」の正統・正当性?・・・今上天皇は「親の心子知らず」と苦悩?(雑感)』(2014-01-27)と、今上天皇が苦悩していると書き、国民には、

”「靖国神社は、敗戦後体制の変革で、神社存亡の危機に直面し、一方で、「靖国で会おう」とお国の為に犠牲を強いた事実もあり、この両者の合作が「A急戦犯の合祀」で、他方、靖国に祀られた戦死者の身内縁者も多数いることも事実で、日本人には靖国神社は特異な存在心情があり、安倍首相の言う、”「日本のため尊い命を犠牲にされた英霊に対し、尊崇の念を表し、平和をお祈りした。二度と戦争の惨禍に苦しむことのないよう不戦の誓いをした」”は表層的には容認できる側面もあり、安倍首相の靖国参拝を支持する世論が半数(備考*1)いることも現実ですね。」”

と、国民には、”「靖国に祀られた戦死者の身内縁者も多数いることも事実で、日本人には靖国神社は特異な存在心情」”があり、昭和天皇が靖国神社の「A級戦犯の合祀」を「親の心,子しらず」と嘆いた真情と国民心情とは遊離している点があるとし、安倍首相は靖国神社参拝を国民心情とし、靖国神社参拝するのは歴史認識、思慮不足と書きました。

当方の父親は、昭和11年1月召集で、歩兵第一連隊(赤坂)に入隊し、2.26事件に関与し、その後は中国に派兵、昭和14年10月現役延期解止除隊、昭和16年7月臨時召集で歩兵第一連隊に編入後、中国には派兵、昭和19年12月召集解除という、軍隊生活が長く、皆が召集されている最中の終戦の前年に除隊帰国という略歴で、お国(天皇)の為に戦ったという潜在意識があり、天皇制については別次元の存在で、天皇制批判を意識することは無く、人生の後年は戦友会出席し、兵隊時代を懐古していました。
 ちなみに、母親は、新婚早々に旦那が臨時召集され、焼け出されて疎開し、疎開先で苦労したが、天皇制云々と一言も言った事も無く戦争は絶対反対と口にしており、美智子妃成婚パレードを皇居前広場に当方を連れ見学に行き、当方は目の前の馬車パレード見て異次元の景色を見た思いで皇太子殿下・妃殿下には親近感を持ったことは事実です。
また、親族には靖国神社に祀られている戦死者もあり、終戦記念日に招待された者もおり、当方は、靖国参拝を反対する意見や天皇制の批判に違和感を持ち続けていたことは事実です。

しかしながら、現役を退き、歴史問題に目が行くようになり、戦死者が葬られている墓地でもない靖国神社の正統性に疑問を持ち、この度、井上亮氏が保坂正康氏の著『天皇――「君主」の父、「民主」の子』の書評に接し、明仁天皇と美智子皇后が変革者であるという見解には啓発されました。
この度の都知事選で田母神俊雄氏が若年層の支持で60万票が投票されたことを鑑みすると、変革者の今上天皇の苦悩が尽きないと思いましたね。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。