傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

朝日新聞の『プロメテウスの罠』:小佐古敏荘教授の名前が登場

2011-11-29 20:29:31 | 社会

朝日新聞の特集記事『プロメテウスの罠 無主物の責任』で、本日、29日の6回目(国は切って捨てた)は、原爆症に認定されなかった被爆者の裁判で、肥田舜太郎氏は被害者側で証言し、国側の証人は、国が決めた年間20ミリシーベルトの被曝基準を涙ながら批判し、内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘教授だったと。

朝日新聞の連載記事『プロメテウスの罠 無主物の責任』の5回目のサブタイトル(「だるい」ピンときた)は、軍医で、被爆者で、被爆者の治療をした肥田舜太郎氏は、戦後、東京で診療所を開設し、原爆症ではないかと心配の人が多数、来訪。
彼らに共通することは、「だるさ」を訴えることだった。
これまで、肥田舜太郎氏は、広島、長崎での被爆関連患者6000人を診た。
そのうち4000人は、爆発直後は広島、長崎に居らず、後から市内に入ったり、少し離れた所に居た「入市被爆者」と。
症状は、10年後、20年後で現れ、30年以上後に症状がでた人がおり、その男性は、長野県から肥田舜太郎氏の診療所に来訪した。

肥田舜太郎氏は、被爆者と直感し、患者だけと相対した。
その理由は、当時、被爆者は就職、結婚で差別を受け、家族にさえ明かさなかった一人だった。
原爆投下直後は、岡山におり、翌日、父を探しに広島に行った「入市被爆者」の男性は、しばらくして体がだるく感じるようになり学校を休んだ。初めはあまり気にしなかったが、最近、急に体がだるくなり、仕事ができなくなり、大学病院に行ったがどこも悪くないと言われ、肥田舜太郎氏を訪ねてきたと。

肥田舜太郎氏は、
”「共通しているのは、原爆後、広島に入ったり、広島の近くに住んでいたりしていること。とすれば、原因は原爆の放射線以外に考えられない」”と。
しかし、国は、それが原爆のせいとは認めなかった。
記事は、今回、政府が被曝の認定をどうするかはまだわからないと結んでいます。

本日、29日の6回目のサブタイトル(国は切って捨てた)は、肥田舜太郎氏が内部被曝にこだわるのは、「入市被爆者」を数多く診てきたからだ。
国から、原爆症と認められなかった被爆者たちは、8年前に、裁判をおこし、肥田舜太郎氏は、被爆者側に立って大きな役割を果たした。

内部被曝の因果関係を証明するのは困難で、裁判で国は「内部被曝は無視し得る」と切って捨てた。
被爆者たちは、論理がなく、自らの体験を語るしかなかった中で、被爆者の治療を当ってきた肥田舜太郎氏の経験は大きかったと。
7年前の大阪地裁で、肥田舜太郎氏は、広島での経験したことを話した。
”「このような議論をするとき一番大事な発火点は、人間として被害を受けた被爆者なんです。
それは、物理学者の議論でもなく、医学者の議論でもないのです
。」と。
2年後、大阪地裁で被爆者は勝利する、国は控訴したが棄却された。

その大阪地裁で国側の証人だったのが、東大大学院教授の小佐古敏荘氏(62)だ。
国が決めた年間20ミリシーベルトの被曝基準を「私のヒューマニズムから受け入れがたい」と涙なからに批判し、内閣官房参与を辞めた、あの人だ。
小佐古敏荘教授は、証言後、
”「原爆放射線による人体への影響の主なものは、初期放射線による外部被曝であり、内部被曝によるものはほとんどない」”という報告書をまとめている。

記事は、一連の原爆症の裁判は、その後も各地で被爆者たちが勝ち続けている。
しかし、内部被曝を積極的に認めない国の姿勢は基本的に変わっていない。
補償を受けられない被爆者たちは、年老いた今もやむなく裁判を起こし続けていると。

肥田舜太郎氏は、政府が今回の事故後に、”「ただちに人体には影響はありません」”と何度も強調したことに立腹しており、
”「ただちにはないが、もしかしたら影響が出る人もいるかもしれませんと、ちゃんと付け加えなくてはいけないでしょう。
66年前の原爆の話が今もこじれているんだ。
福島でも、また、同じことが繰り返されるかもしれない
」”
と、記事は結んでいます。

当方は、原爆の後遺症の風評について、本ブログで、
”「被爆で苦い体験がありますから。
当方が高校1年の夏、運動クラブの仲間の同級生が自殺したことがあります。
クラブ仲間とお悔やみに訪問した際、自殺の起因について、両親から「被爆が起因ではないか?」と言われ、戦後生まれの団塊世代の当方は、「被爆?」が不可解でした。
両親の話では、両親とも広島で被爆され、”「同級生は、親の被爆が今後に何らかの後遺症がでるのではないかと悩んでいたのはないか?」”と語ったことです。
原爆が一過性の悲劇でないと思った記憶があります
。」”
と書き、5回目の記事にある”「当時、被爆者は就職、結婚で差別を受け、家族にさえ明かさなかった一人だった。」”には、実感しました。
当方は、その後、原爆について話題にすることは、被爆者を傷つけるという思いになり、他人事、傍観者でした。

肥田舜太郎氏については、本ブログ「原発事故:現場作業員の安全管理?・・・対策本部の守備範囲」の「付記」で、

”「ブログ「社会科学者の時評」様のエントリー『原発事故-体外被爆-内部被曝 』で、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著の『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』の書評しています。
その帯に、池田香代子女史が推奨とありますね。
内部被曝は、神経質になるべきです。
原発現場に従事作業員の安全管理に、対策本部は東電の指示することだけが仕事でなく、対策本部で安全管理に責任ある管理体制を設置すべきです
。」”

と書きました。

ブログ「社会科学者の時評」様が紹介した肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著の『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』の書評を一読すれば、原子力に潜在的な恐怖を感じます。

また、小佐古敏荘教授については、本ブログ「原発事故:小佐古敏荘教授の辞任事由は理想的で、現実は運用テクニック」で、
”「小佐古敏荘氏が内閣官房参与を辞任は、小佐古敏荘氏なりの信条の現われであるが、現実の世界は、「法」に準拠した現実的な運用テクニックが動かしているのです。・・・・・・」”
と書きましたら、外部コメントに、
”「小佐古教授には広島原爆訴訟で被害者を突き放す国側証人としての発言の数々を撤回してからヒューマニズム云々してもらいたい 。同氏は菅政権とまったく同じ事をしてかつての少年少女たちに二重の苦痛を強いているのですから」”
と指摘をうけ、小佐古敏荘教授の涙ながら辞任劇は何だったと思いましたね。

当方は、本ブログ「原発事故:「年間20ミリシーベルト」制限問題・・・馬鹿を見るのは国民」で、
”『「年間20ミリシーベルト」問題は、皆で、責任を転嫁し、誰も責任を取りませんね。
文科省は、安全委員会に問い、安全委員会のお墨付きを貰い、対策本部は専門家(安全委員会)の助言があったとし、参与辞任が発生したら、政府は参与の過去の発言を暴露し、安全委員会は、文科省には条件付けとしたとし、文科省は、政府の見解に準拠していると、結局は堂々めぐりで、誰も責任を負わないことです。
国民だけは、自己責任を求められているのです
。』”
と書きましたが、朝日新聞の特集記事『プロメテウスの罠 無主物の責任』を通読し、誰も責任を負わない社会と改めて思いましたね。

余談になるが、福島第一原発の吉田所長が検査で異常が発覚し、入院に入り、所長辞任が報道され、メディアは吉田所長の入院で、原発の収束作業に問題が生じないかと報道しておりますが、事故発生時には吉田所長の存在は大きかったが、収束作業の現下では組織で対応できると思いますね。
むしろ、仮に、内部被曝でドクターストップとなり、強制入院だったら、原発事故の内部被曝は深刻な事態が潜在していることになりますね。

吉田所長の入院が、『プロメテウスの罠 無主物の責任』の第4回目記事、サブタイトル(不思議な死に方)を取り上げた本ブログの体調不調ではないことを祈ります。
原発作業員には暫定的に被曝限度を上げており、心配ですね。

「追記」

肥田舜太郎氏が「内部被曝」を確信したことについて、板垣英憲氏のブログ『福島第1原発の吉田章郎所長「内部被曝」か、映画「ひろしま」肥田舜太郎元軍医の所見』で、肥田舜太郎氏は、
”「この「内部被曝」を知ったのは、敗戦から35年経て、訪米して、学会に出席したとき、核実験に投入された米軍兵士の診察をしたことのある米国人医師から、聞かされたのが、キッカケだった。このとき、臨床医として、いくつかの思い当たるフシがあり、「内部被曝」を確信したという。それまでも、それからもそうだが、日本政府も、日本医師会も、学会も、このことは、一切オープンにしてこなかった。正確に言えば、わからなかったのではないかという」”
と語ったと書いてます。

また、福島原発事故現場の危険性について、ブログ「カレイドスコープ」様のエントリー『4号機建屋の傾きと吉田所長の入院』が参考になります。




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