傍観者の独り言

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嘉田知事の大敗分党騒動の懺悔告白・・・政治家資質を疑う内容(雑感)

2013-01-16 04:02:05 | 日本未来の党・嘉田由紀子

週刊朝日」(2013.1/25号)の記事『小沢さんとの”成田離婚”すべて明かします』は、独占懺悔激白のサブタイトルで、嘉田由紀子滋賀県知事が「日本未来の党」の破局の真相を明らかにしたと記載しています。
記事の概容は、13日、嘉田知事が後援会の新年会での挨拶で小沢一郎氏に嵌められたという弁明の報道とほぼ同じであり、他者を悪者にする自己弁明は、政治家としての資質を疑いますね。

嘉田知事の後援会の新年会での挨拶については、ブログ「Shimarnyのブログ」のエントリー『嘉田知事が被害者面で小沢氏に「100人通る」と騙された、責任転嫁と被害妄想の釈明 』で、各新聞メディアの報道を掲載し嘉田知事を酷評しており、田村秀氏のブログ「暴走する地方自治」のエントリー『情けない滋賀県知事の発言』で、嘉田知事が内幕を公表する神経を疑問視しています。

「週刊朝日」の記事は、嘉田知事が「日本未来の党」の結党の経緯、12月末の嘉田知事の人事案の騒動、その騒動時、小沢一郎氏と連絡不通、12月24日の党の幹事会を「非民主的」の嘉田談話へ生活系議員の「独裁的」と非難の泥沼の対立、12月26日に亀井静香議員が小沢一郎氏と「平和的な分党」調整の仲介の労、そして、亀井調整案について、飯田哲也氏が小沢一郎氏と分党協議にと。

記事は、
”「「選挙に、7,8億円かかった。年内に分党問題が決着できなければ。そちらが負債も引き継ぐことになる」と小沢側にすごまれ、未来の党は結局、生活系に乗っ取られる形になったのだ。」”
と記述し、12月28日の分党の正式発表し、小沢一郎氏からは、”「ご迷惑をおかけましたね」”の一言だったと記述。

そして、記事は、
”『「未来の党は衆院選で投票率2%以上を取っていたので、議員が阿部さん1人になっても、1月1日まで未来の党を維持すれば、国政政党の資格を確保できました。しかし、『嘉田代表の名前で1月1日に政党交付金の申請書を総務省に出すのは絶対に嫌だ』と生活側の議員に拒否され、昨年末に分党手続を取らざるを得なかった。平和主義者の私はけんかが苦手なので、仕方ないなと・・・・・・。この結果は、相手がどうこうというより、私の判断が甘かったために招いたことと反省しています」』”
と記述し、結党に難色を示してた嘉田知事が未来の党代表就任を決断した背景に、11月23日付の中日新聞の記事に、脱原発を主張する民主、旧国民の生活が第一、旧減税日本などの前衆院議員役120人のリストが掲載されており、嘉田知事が結党を薦める小沢一郎氏に、
”「(小沢氏との会談の)最後に、『私が脱原発の旗を立てれば何人、通りそうですか』の問いに、小沢一郎氏は『脱原発を訴える候補者を120人出せば、100人は通す自信がある』とおっしゃった。中日新聞のリストを思い起こし、一人でも多く残ったら、という義侠心に駆り立てられ、小沢さんの言葉を信じて挑戦してみようと決意しました」”
と記述しています。

当方が14日の未来の党の後援会の新年会の新聞記事で違和感を持つのは、14日 朝日新聞の記事『「あなたが出たら100人当選」小沢氏、嘉田氏を説得?

”「嘉田氏は総選挙では未来の候補者の多くが小選挙区で民主党と競合し、原発ゼロが十分争点にならなかったとし、「負けるべくして負けた」と述べた。講演後には記者団に「(結党前に)候補者リストを見ていたら100議席取れるなんて信じない」と話し、競合が多いことが分かっていれば、党の代表に就かなかったとの考えも示した。 」”
の部分です。
「週刊朝日」の記事では、嘉田知事が11月23日付の中日新聞の記事に、脱原発を主張の衆院議員120人リストを覚えており、義侠心で結党し代表就任を決断したとあり、勝手に取らぬ狸の皮算用したのに、今頃(1月13日)になり、結党前に候補者リストを見ていれば代表には就かなかったとは、嘉田代表は、どういう神経の持ち主なのか疑いますね。

それと、14日の読売新聞の記事「出てくれれば100人通ると言われた…嘉田知事」の
”「嘉田知事は、結党の意向表明の直後、小沢氏との連携に対し県庁に批判の電話が相次いだと振り返り、「小沢さんに『何でこんなに評判が悪いんですか。これでは到底やれません』と言い、一兵卒として表から引いてくださいと申し上げた」と述べた。」”
の部分ですね。

当方は、未来の党の大敗・分党騒動については、本ブログ「「未来の党」の嘉田代表辞任、安部代表で荒海に船出・・・身の丈知らずの顛末」でも書きましたが、悪名の風評があろうが、「小沢一郎氏を要職に就けない」と公言したことで自ら整合性のない選挙活動を制約したことになり、森ゆう子議員が言う「脱原発が市民の勉強会レベル」で本気度が問われた選挙結果なったとの反省の弁に共感しました。
大敗は、自称「平和主義でけんかが苦手」の嘉田知事の慢心の戦略ミスが主たる要因であることは否めませんね。

「週刊朝日」の記事は、商売ですから、斜め読みすれば、嘉田知事が「小沢一郎氏に嵌められた」という印象の書き方ですが、14日の未来の党の新年会での嘉田知事の新聞記事と合わせて読めば、北原ミレイの唄「ざんげの値打ちもない」の歌詞「ざんげの値打ちもないけれど 私は話してみたかった」を連想させるだけですね。

「週刊朝日」の記事の最後は、嘉田知事の新党結成の報道の翌日に、橋下徹市長から嘉田知事へのメールを取り上げ、嘉田知事は、11月22日の関西広域連合の会合で、橋下市長が国の出先機関の移管の反対に自民党へ改めて申し入れの議論に、申し入れなど甘い自民党とは選挙で戦わなあかんの意見に賛同したこともあり、”「本当に戦うことになってしまったんです」”と記述しています。

当方は、本ブログで、橋下市長は現実主義者で、
”「橋下徹氏は、法律に抵触しなければ何でもやるドライさ、利用できる物はなんでも利用する利口さ、一旦公言しても形勢不利と思えば方向転換する機敏さ、特徴的な例えで説得する機知さ、高圧的な言い回しで相手の本音を出させるテクニックのうまさなど特徴点はあるが、一番のすごさは、目標設定を明確にし、その実現に権限を手中するために組織力(政治力)を形成する戦略性でしょうね。」”
と書きました。

嘉田知事は、自ら平和主義者でケンカが苦手で称しており、橋下市長とは相反する資質であり、国政政党の代表の器ではなく、懺悔の値打ちもなく、メディアに愚痴を言ってみたかっただけなのでしょうね。

マアー、嘉田知事の言動を打算的なメディアで取り上げるのも最後でしょうし、嘉田知事を好感した当方も最後になるでしょうね。



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