銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

禅問答 「どうやって猫を助けるのか」 その2

2016年01月22日 | のほほん同志Aの日常

先日たずねた南禅寺、禅問答の障壁画、
「南泉斬猫」(なんぜんざんみょう)。

くわしくはこちら

 

あのときは確かに、あ~、そういうことかぁ!!と
この禅問答の謎が、きれいに解けたのに。
世界の果てまで見晴らせた気がしたのに。

一昼夜たってみると、 もう、頭のなかはいつものぐずぐずになっていました。

かろうじて思い出せたことを、留めておきます。 

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弟子たちを前に、この猫を生かすのか殺すのか、と迫る禅師、南泉。

生かすのか、殺すのか
生か死か

愛か憎か
苦か楽か

是か非か
善か悪か


私たちは、ものごとを二元対立でとらえがちです。

きっぱりNoと言える人を讃えたり、
歯切れのよい口調でものごとを断定する人に、
その内容の如何も問わず、拍手を送ったりしがちです。

でも、この二元対立のとらえ方こそが、
本来あるべき、ものごとを自在にみる「観自在」の視点を固定化し、
ひいては、あらゆる苦悩の元凶となっている――

禅師は、その理解を弟子たちに問うたのかもしれません。

それに対し、高弟の趙州は、草履のひとつを頭に乗せます。

草履はふたつそろって意味をなします。
片方だけでは役に立たない草履を、足に履くのですらなく、頭に乗せる。
これほど無意味なことはない。

この猫を生かすのか殺すのか。
生か、それとも死か。

二元対立がそもそも偏った捉え方である以上、
二者択一で選びとられた片方も、また無意味でしかありえない。

趙州は、草履を頭に乗せることで、そう答えた、のかも。

以上、まる。

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そういえば、こないだ新聞で、こんな記事を読みました。
ある人のインタビュー記事。

「自分の得意な相手や相性のいい人をつくると、その逆の苦手な人も出来てしまう。
 そういう感情を持たないことで、苦手な人もなくせると考えたんです。」

まったくファンではないのだけれど、これいいなぁ…とちょっと興味がわいた
 SMAP 中居正広さんのことばでした。


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