銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

幸村ブーム、来るか?

2016年01月30日 | Hの生きる喜び、それは

さて、これは何神社でしょうか


鳥居からして賑やかですが、奥の社殿まわりも幟やら旗やら所狭しと・・・
こんなに賑やかな神社を見たのは久しぶりです


大阪市平野区の「志紀長吉神社」
鳥居の看板の下には節分の提灯、その裏には「開運厄除け参り」の赤い幕
その横には、「厄除け大根接待所」の黄色の旗
見えにくいですが、境内の赤い幟は、六文銭のマークが入っています→真田幸村ゆかりの神社
拝殿横には大きな「勝」の絵馬→「勝戎」ということで、何とえべっさんもおられます!

あれやこれやと、まあ忙しい神社です
真田幸村が戦勝祈願のために立ち寄られた際に奉納された六文銭軍旗がこの神社の社宝
月に一度の公開です
今年は幸村大河とあって、このチャンスを逃すまいとする神社の姿勢が、
大根炊きを一生懸命作るおばちゃんたちと重なり
何ともほほえましかったです

真田幸村と言えば、本拠地の信州上田か、真田庵のある和歌山を思い浮かべますが
大阪にもゆかりの地はたくさん残されています
そもそも大河タイトルの「真田丸」というのは、幸村が築いた大阪城の出城の名称です

大阪の地はあまり知られていないのか、
参拝する人も少なく静かなもの
案外、穴場かもしれません

長吉神社からとことこと駅に向かって歩いていくと平野郷に入ってきました
今日一番感動したのは、ここで出会ったお地蔵さんです

今も地域に大切にされている様子が伝わってくる地蔵堂

お賽銭箱の横に、この辺りの人たちが作った案内資料が置いてありました


(手作り資料と絵はがき)


平野郷は、中世、堺とともに自治都市として栄え
戦国時代には、自治と自衛のために
濠と土塁をめぐらせた「環濠集落」を築いていました


濠の入口にはすべてお地蔵さんが見守っています
こんな広い地域を自分たちで治めていたなんて、すごいですね!
しかも今も大切にお地蔵さんがまつられており、
今も住民を見守ってくれているという事実
住民の横のつながりが強いことを感じさせます

その中の「樋ノ尻口地蔵」にはこんな話が伝わっています

真田幸村は、この地蔵堂内に地雷を仕掛け
大阪城へ引き揚げました
幸村の予想通り、家康が来て、ここで休息しましたが、
ちょっと座を外したときに地雷が爆発し、危うく命拾いしたといいます
お地蔵さんのご加護があってのこと
そんなことがあって、今もお地蔵さんがおられるのです

この平野郷は、家康の陣が置かれていたので幸村は敵方です
幸村のこんな捉え方が残っているのも、他と違っておもしろいですね

そのほか、大阪城の南、幸村の作った大阪城への抜け穴が残る三光神社、
幸村の墓が残る心眼寺など、けっこうたくさん残されています

はてさて、幸村ブーム、来るでしょうか?

六文銭軍旗と大阪夏の陣、歴史ウォークはコチラ!


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