Hidenori Nodera 野寺秀徳『輝く路の上で』

SHIMANO Racing野寺監督のブログ

今更節制、何のため?

2019-04-24 23:57:35 | 日記
 
つい先ほど、選手の一人から「最近お酒飲んでいないんですか?何のため?」
 
と問われました。
「健康のためかな、不健康を感じてお酒絶つ期間がだいたい年に一度あるんだよ。」
と答えました。
 
決して禁酒はしていなく、誰かとお酒を飲む機会があれば喜んで飲んでいるのですが、最近自宅での飲酒は我慢しています。
 
きっかけは飲酒の習慣化や体重の増加に気づいたからです。
運動や食事の節制を心がけ、身体をシェイプアップしようと思い立つことが定期的にやって来るんですよね。
 
かしかし「健康のため」と言った自分に多少違和感を感じたのも事実です。
 
なぜなら、健康が著しく低下した記憶が実際には無かった気がしたからです。
 
むしろ体重が多少増えたほうが筋力はアップし荷物を運ぶときに身体が安定する気がしますし、選手時代よりも脂肪を蓄えた身体のほうが病気をしにくく感じます。
 
ではいったい・・・。
 
何のため?
 
と、湯船の中で考えること3分04秒。(答えが出たの意外と早い。笑)
 
つまりは自分のアイデンティティを守り貫こうとしたのかな?
と思い当たりました。
 
このままの自分など自分で無い。自分は、何物の支配もうけず自分自身がコントロールできるのだ。
 
と。勇ましく言えばそんな感じでしょうか。
 
エンデュランススポーツ(サイクルロードレース)をしていた私は、やはりシェイプされた身体を手に入れたときに最高のパフォーマンスを発揮できていたし、その自分を失いたくない、まだそうあれる。
 
と、潜在意識に・・・いや、正直あからさまな意識にあるかもしれません。
 
引退して10年も経とうとしているのにです。自分で言っていてなんだかちょと恥ずかしい。笑
 
でもあれですね。
 
こんな風にセルフコントロールができているときは気持ちも充実しているし、ただ単に食事の節制をし、身体をシェイプアップする。
 
ということ以外にも、様々な面でプラスの効果があるような気がしています。
 
生活の中のもろもろに集中力が出て、先延ばしにしていたような事もテキパキ行えている。
 
と。
 
私はその昔、選手として、日々の努力や節制を常に怠りませんでした。
 
というのは全くの嘘で、実はそこかしろに甘え、妥協、堕落がありました。
 
しかし、大きな目標に向かい集中しきれた時は、見方によれば《過剰》とも捉えられそうなくらいトレーニングに打ち込み、食事等、生活の節制を行った経験もあります。
 
自分でも、やりすぎか?と気づいていたし、実際その事が原因と推測できる失敗をしたことも少なくありません。
 
しかし、失敗したとしても、厳しく自律したうえでの結果であれば、それが望んだものでなかったとしても受け入れられるし満足度も高い事を理解していました。
 
結果への満足度を最大化するため、自らをコントロールする。
 
ということなのでしょうか。
 
 
未来を想像してみましょう。
 
シェイプアップされた身体を手にいれ、チームの選手と海を目指しロードバイクにて走り、最後の丘で一人残らず置き去り。
 
輝く海では引き締まった身体で力強く遠泳。
 
これこそ私だ!素敵すぎる、素晴らしい未来。
 
なんて自分は過去にも居ませんでしたがね。妄想ですね。
 
が、5-6月の怒涛の遠征予定を見たら・・・。
 
疲労により理性が飛び、ドカ食い、飲酒、寝不足。。。
 
・・・想像すると夏が怖い。
 
ま、たまーにでも自身と向き合い「まじめ」な自分を引っ張り出すのは悪いことではありませんよね。
 
人生、緊張や苦労、ストレスがあってこそ成長できるし、息抜く時が素晴らしく感じられますからね。
 
あ、日付が変わった! 寝よ。
 
 
↑2010年3月、引退の110日ほど前。大分県のイベントへ参加したさい、現シマノレーシング黒枝選手のお父様と出会い(この時まだ御子息の存在は知りませんでした)大分名物「とり天」のおいしさを知った私はこの場でドカ食い。
 
 
 
 
↑が寄ってらっしゃい見てらっしゃい。6月の引退レース直前。人生の大一番を控えた私のおなかは、とり天のそれより皮が薄く。
って、そんなの地鶏、いや自撮りするなんて気持ち悪いですよね。でもあれです。人生でもう二度と来ないであろう、限界まで自律したボディーを撮影したくなる気持ち。わかるかなー。
 
 
コメント
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