思い出の写真がでてきてきました。
1999年、私がシマノレーシングに加入し手2年目のシーズン。
「ツール・ド・KUMANO」が国際レースとなる前「3DAY CYCLE ROAD 熊野」として開催されていたレースの第1回大会。
当時、まだ若くひたすら必死に走っていた記憶があります。
よく考えたら現役選手中は余裕など無くひたすら必死だったので若いも何も関係なかったかもしれません。
強い雨に見舞われた最終日、最後の峠山頂の攻防です。
撮影した写真をくださったのは近藤純也さん。
雨で危険な状態となった峠道を下りきり、人生で初めてステージレースで勝つことができた思い出の写真です。
もう20年以上前の事、写真を見ると最近の事のように思い出すことができます。
あの雨と寒さの中、カメラを構えていた近藤氏の姿もしっかりと眼に焼き付いています。
私にとってはとても大切な瞬間であっただけに、写真に残して頂いたこと感謝の念を抱きます。
情熱をもって走っていたこと、そしてレースが多くの人の情熱で支えられていることを思い出させてくれる写真でもありました。
チャレンジした選手

ロードレース競技の選手として走っていた時代、強靭な身体を手に入れる努力を継続した一方で、身体のそこかしこに不具合が出る事も多かったと記憶しています。
無謀な計画でのトレーニングやレース、過度な食事の節制、とるべき休養を無視といった、いわば自己管理能力の低さがそうさせていたのですがその事自体は当時から理解していました。
身体に不具合が出る前に休養を取る事が出来れば良いのですが、あるいみそのラインを越えてしまう自分を確認する事で自分の競技への集中度に満足していた節もあったかと思います。
そんな意識が高い時ばかりでなく、やる気が無く、堕落した生活を繰り返していた期間もあった事は記憶の焼却炉に投入しておきました。
競技者として蓄積した長期的な身体ダメージはその生活から身を引いた後にも永く認識させられるものでした。
代謝能力や神経の不調和からと思われる体温調整の不具合や突然襲われる気だるさ、めまい等が主な症状です。
氷袋を抱えていなければ机にジッと座って居られなかったり、真夏なのに身体の芯に寒さを感じて長袖を着ていたり、突然通常の活動が困難になるような場面すらありました。
が、その症状は年々、徐々に改善されてゆき「今年は昨年よりも体調が良い!」とかれこれ10数年も思わされ続けています。
ダメージを抱えていたというとネガティブなイメージがあるかもしれませんが「歳を重ねるごとに体調が良くなる」という感覚。
これは、もはや、なんだか、、、
得した気分!!ヽ(^。^)ノ
このままいけば60歳を迎えるころには元気になりすぎて「競技に復帰する」とか言い出しかねません。
そのときは誰か止めてくださいね。
というお話でした。
今はトレーニングのストレススコアを管理する事で過負荷による弊害はある程度予防は出来ますが、誰よりも強くなるためには誰にもできない努力も必要。
データと感覚の隙間をどのようにうめてゆくか。
中々にして難しい問題でありますが、データが先行しているように見えるスポーツの世界でも感覚で突き詰める部分が残っていることは、生身の人間が争うスポーツに面白さを残していると言えそうです。
写真は2014年3月、インターバルトレーニングで追いこみ過ぎて道路に倒れ込むDarren Low選手(シンガポール)
彼にとってトレーニングによる身体的負荷だけでなく異国の地での精神的な負荷があったはず。
今日、久々に予定が何も無い休日ということもあり、昨日は油断してソファーに寝てしまい朝を迎えました。
睡眠6時間。
そのままベッドに移動し、ソファーでの睡眠では取れていないであろう疲労を取るべく2度寝。
睡眠6時間。
学生の頃はたまにしていた気がしますが、正午に起床するなんていつぶりでしょう。
起きてもろもろしていたのですが、夕方また少し横になっていたらそのまま気絶。
睡眠5時間。
じつに一日のうち17時間を睡眠にあてて過ごしてしまっていました。(少なく見積もって)
休めば休むほど自分の中にある疲れが表面に出てくる感覚。
直近のものだけでなく長期的な疲労もあるのだと思います。
自身の把握、当たり前にできそうで、なかなか難しいと言うことを、選手としての生活でもその後の生活でも感じています。
心身の不具合が出る前に、定期的にこんな日を設けることができれば良さそうです。
直近にあった身体的な負荷といえば、選手数名と近所の山に登ったこと。
日本中の山を登っている知り合いから「あのコースはめっちゃきつい」と聞いていた近所の登山ルート往復22㎞ほどの道のりです。
きついと言うからには無理はしないよう「一定のペースで歩こう」と話していましたが、一緒に行動しているとついつい争うようなペースになってしまうのは競技者の特徴なのでしょうか。
結局皆、最後は身体のあちこちに痛みがはしりまともに歩けないような状態になったことで、満足し帰路に。
通常、時間があれば何かに追われるように行動してしまう私ですが、ジンジンと痛む身体のおかげで、焦ることなくしっかりと休養を取ることができたと考えています。
高強度の運動と、しっかりとした休養。
一週間のリズムにこの2つを常に入れることができたならなお素晴らしいですね。
休養の時間捻出が苦手なのは私だけではないはず。
Photo:Satoru Kato
チームが活動する2021年のレースシーズンが終了しました。
今年もコロナウイルスの影響を受け思うように活動できないことも多くありましたが、関係者のご尽力によりいったんは中止されていた全日本選手権が10月に開催されることになり、チームは全力でそこへ向けた取り組みを行いました。
チームとしての結果は到底受け入れられるようなものではない惨憺たるもの。
と考えています。
レースは事前ミーティングで6名まで絞り込んだ有力なライバル選手全員が存在する、9名のグループによるゴール勝負で決するものでした。
全日本選手権は「チームの誰かで勝つ」と多くのチームが考える他のレースとは異なる空気があります。
直近に相応の結果を残しフィジカル&メンタル的にも研ぎ澄まされたほんの一握りの選手が、'このチャンスを必ずものにする’ために「チームやその他すべてを利用し勝ちを目指す」ことをする特殊な価値観をまとうレースです。
路面や気象のコンディション、レース展開によるリスクは常に存在しながらも基本的にはその一握りの選手が終盤まで有利になるチャンスを探し続け、最低でも不利にならぬよう慎重に駒を進めてゆくことが殆ど。
今回、勝利ヘ向け具体的なイメージを持つことができているであろうライバル選手を絞り込むことは難しい事ではありませんでした。
勝利までわずかと迫った彼らの最後の攻防は息をのむものでしたが、そこに加わるまでの展開はあまりにも予想通りかつシンプルなレースであったと思っています。
その'一握り’をシーズン中に排出できなかったチームが行うことはただ一つ、彼らの作り出す流れに徹底的に乗り続け終盤へ駒を進め僅かに'見えるかもしれない隙’を探し続ける事。しかし、レースが始まってみればチームの選手は待つことの重圧から逃れるように動きを作り出そうとし、僅かなチャンスを自ら放棄していくように見えてしまいました。
「プライドにかけて攻撃する」「先手を打って流れを作る」という意識はチームの成長には不可欠です。しかし、どんな状況でも最後まであきらめないと誓った今回、プライドをかけて、批判されようが罵声を浴びようが、待ち続け食らいついてゆくこと、が必要であったと考えていました。
絶対的なエース不在のチームで、多くの選手がそこにチャレンジできる滅多にない機会でもあったとも思っています。
意識を共有しきれていなかった事は、監督である私の力不足であったと強く反省しています。
もちろん、結果へ繋がる最も大きな要因は力不足。
レース開催が決まってから本番へ向けたトレーニングで、選手は最大限の努力をしてきました。
しかし、数週間のデータを収集してみればチームの状態が最高に良かった過去と比べると、高強度でのトレーニング時間が圧倒的に足りていないことも判明しました。
レースを繰り返し良い状態を作り上げた過去に対して、コロナの影響でそれができなかったと理由付けることは簡単です。
しかし、自らを律し高いハードルを設け痛みや苦しみに耐えられるか否かは、ストレスデータなど無かった遠い過去から一流の選手とそうでない選手を分けてきた決定的な要素。
特別な立場にある競技者である以上、他の誰よりも高いレベルでの取り組みを目指すべきだと考えています。
今回の全日本はチームとして苦い経験となりました。
大切な事は苦さを経験しないことではなく、その経験を生かし未来の成功につなげる事。
今回の敗戦が素晴らしい未来に無くてはならないものだったと思えるようチームと共に成長を目指します。
今シーズンも多くの方々のご支援を頂きました。
チーム一同心より感謝しております。
ありがとうございました。
Photo:Satoru Kato
※監督といえどレースが始まってしまえば外側からの目しか持てません。好き勝手書いてごめんなさい。監督がカチカチに緊張していたのが選手に伝染していた説も否めない・・・。

チームとしては今シーズン最後のレース。
一枚のメモが小さな手帳の中から出てきました。
それは自然豊かな(←良く言えば)伊豆の山間で暮らしていた私が、自転車競技を志し大学進学のため東京へ旅立つ日、大きな不安と共にまさに出発しようとしていた時に友人が届けてくれた手紙です。
おとづれた友達は幼少時代毎日のようにBMXで2人で遊び回り、競技用の自転車へ共に憧れを抱いていた近所の同級生。
今の道へ進むきっかけを与えてくれた存在です。
高校へ進み、それぞれのコミュニティができ、ほとんど会うことが無かった彼が、実家に続く坂を歩いて来た姿に驚き、嬉しかったこと今でも鮮明に覚えています。
そしてこの手紙を彼に託してくれたのは小学生の時から仲の良かった別の友人。学校帰りに彼の家に寄り道し、お母様が漬けた梅干しをこっそり食べさせてくれていた思い出。
最高に美味しく感じた記憶があります。
その彼は今から10年以上前、30代前半で突然の発作で他界しました。
東京から帰省しロードバイクでトレーニングしていた時、偶然出会ったスクーターに乗る彼と水田を貫く直線路で競争したこと。
就職先の大阪から帰省時は、実家近くでホタルを見に出かけた暗闇の中、私の声に気づいて一緒にいたお子様に紹介してくれたこと。(思えばこれが彼と会った最後なった)
これもまた鮮明な記憶となり蘇ります。
向こうでガンバレ!
頑張れFight !!
今見るこの言葉に、涙が止まりません。
自分が今、本当に頑張れているかは少々疑問ですが、彼や同様に自分の心に火を灯してくれる多くの人のためにも、頑張らなくてはなりません。
同じように勇気をつなげられるように。
向こうでガンバレ!!
今日は会社をお休みさせていただきましたが、朝からオンラインでの英会話レッスンを5時間受けることを決め行いました。
選手として長期海外滞在の経験もあり、チームのスタッフとして今でも国外の大会にも参加する私ですが、実は今まで会話は秘伝「7割のYES&3割のNo会話法」(←存在しません)そして秘儀「愛想笑い」でなんとかやり過ごしてきた感があります。
ま、これからもたいして変わらないかもしれませんが、少しでも改善しようという意思はあります。
ある程度年齢を重ね、レベルは低いながらも何かを学び続ける気になっているのは「勉強が嫌いで自転車ばかり乗っていた」事が運よくつながり、素晴らしい環境に身を置くことができているからだと感謝しています。
素晴らし環境、とは時間や教材、機材が揃っているという事ではありません。
困難な状況、自分より能力の高い隣人、守る義務や重圧を受ける何か。
等が周囲にあることと考えています。
考え方次第ではネガティブな要素ですが、私のように気が小さく、困難から逃れたいと思い続けていた人間にとっても、それらが自分を成長させてくれる大切な要素ということを自分にとってはハードルが高いと感じている活動を通じて知ることができました。
所属する集団の中で相対的に自分の能力が低いことは決して悪い事ではありません。
彼らが自分を引き上げるきっかけを作ってくれるような存在であれば、勇気を持ちその中に飛び込むことは最良の選択なのだと思います。
私は、それを「安請け合い」というある意味無責任な方法で実現してきました‼
はたしてそれが誇れることなのか?ですが、結果は良かったと思っています…。
とにかく今はキャパシティーを超えた脳稼働によりオーバーヒートした頭の上から煙が出ています。
壊れない程度にこれからも頑張ります。
フィリピン人講師の皆様が優しいことが私にとっては救いです(*'▽')Thank you.



驚きで声をあげ飛び上がるわたくし。




数時間かけて築き上げた大きくたくましい大黒柱のイメージは最後の一瞬でもろくも崩れ落ち、異なるイメージに支配されました。

第一印象も大切ですが。
今回のは。。。それはそれで良かったかもしれないかもしれないかもしれない。