太平洋戦争末期に国内各地の軍需工場「海軍工廠こうしょう」で働いた台湾人元少年工ら約40人が来日し、14日、呉市内で日本人の元工員らと交流した。
http://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20150514-OYTNT50257.html
元少年工たちは、日本が統治していた時代に「日本人」として少年期を過ごした。台北市の宋燈山さん(87)は「少年工の募集にクラスの半分くらいが手を上げたが、トップの成績でないと選抜試験に通らなかった。日本で『お国のために』と誇りを持って働いた」と語る。
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元少年工たちは、日本が統治していた時代に「日本人」として少年期を過ごした。台北市の宋燈山さん(87)は「少年工の募集にクラスの半分くらいが手を上げたが、トップの成績でないと選抜試験に通らなかった。日本で『お国のために』と誇りを持って働いた」と語る。