靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

長女の「ハンディーキャップ・プロジェクト」

2013-11-10 12:12:29 | 子育て風景
今週は長女の英語LAの課題、「ハンディーキャップ・プロジェクト」。

Hrrison Burgeron”( by Kurt Vonnegut Jr. 1961)という短編小説を基にした課題。小説の内容:

 2081年米国の憲法が改正され、全ての人々が「平等」であるよう定められる。賢さも見かけも身体的強さも、もし平均以上の能力であるならば、ハンディが与えられる。ハンディーキャッパー将軍が法の遵守の指揮をとり。
 知性容姿身体的能力全てにおいて突出した14歳の天才少年ハリソンは、その優秀さにより刑務所に入れられる。
父のジョージは、思考能力が高いので、常にヘッドギアをつけることが義務づけられ、思考が深まるとサイレンが鳴り、思考に集中できないようになっている。また強靭な身体を持つため、首回りに錘もつけている。母親のヘーゼルは優しく温厚だが知性が低いため、ジョージも経―ぜるも息子ハリソンに何が起こっているのかよく理解できない。
 ヘーゼルは重く苦しそうなジョージにたまには錘をとって休んだらと勧めるが、ジョージは「平等法」を支持しており、法が制定される以前の「競争社会」を悪しき時代と捉えているため、自ら錘をつけ続ける。
 ハリソンが刑務所から逃げたとTVのニュース。ハリソンの姿が流される、140キロの錘をつけ、大きなイヤフォンをかぶり、頭痛を起こさせる度の強いメガネ、鼻に赤・歯に黒のキャップ。革命を起こし政府を転覆させようとするハリソン、最後には将軍に処刑される。
 ハリソンが討たれる様子をニュースで見、悲しむ母ヘーゼル。部屋に入ってきた父ジョージが「なぜ泣いているのだい?」と聞くが、ヘーゼルは、なぜ泣いていたのかを思い出せない。


プロジェクトは、まず自分に与えられた「三つのギフト」を書き出し説明する、そしてそのギフトを平均以下にするための「ハンディーキャップ」を作る、最後に皆の前で発表、というもの。

こちら米国の社会は、私はこれもあれもできてね、この子はこういうことが上手でね、そう声高々に自分をアピールする人が多い。だからさぞかし、生徒たちも自分のギフトを易々と書き出せるだろうと思っていたのですが、「皆ね、ギフトを見つけるのに本当に苦労してるの。私は何をしても駄目だからって」という長女の言葉に少しびっくり。

あれもこれもできると傍から見て思う長女の友人達が、こんな風に自分を捉えているとは。年によっても、女の子と男の子ということでも、また違うのでしょうね。

長女が選んだギフト:
1.情報を素早く的確に処理できる。
2.指を動かすこと(書くこと、ピアノ)。
3.バランス感覚(ダンス)

ハンディーキャップ作り、

1を遮るヘッドフォン、2を妨げるガムテープを巻いた手袋、3の邪魔をする一枚板の下駄にガムテープをつけ肩から固定したもの。

こんな状態で皆の前でスピーチ(練習風景)。


スピーチの最後には、「私の自由へのスピリットは、どんなハンディを与えられても決して萎えることはない」という文句を発表者の皆が唱えることになっていたそう。


平等とは、秀でた能力を抑え付け、皆が同じになることではない。

個々に与えられたそれぞれ異なるギフトを最大限生かせる、それが平等であるということ。

ハンディを脱ぎ捨て、羽ばたけ! 


プロジェクトを通し、そんなメッセージを受け取ったようでした。

梯子の上と下と、二つのイメージ

2013-11-10 12:12:20 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

梯子の上の自分と梯子の下の自分(“Jacob's Ladder & The Baal Shem Tov’s Inferno”by YY Jacobseonを参考に):

ジェイコブは夢を見た。天へと続く梯子を下り上りする天使。梯子の上には「神」がいる。[Genesis 28: 12-13]

天使はなぜ下って上ってを繰り返していたのか?

様々な解釈がある中、ここでは「タルムード」の解釈を。

天使は、梯子の下にあるジェイコブのイメージと、梯子の上にあるジェイコブのイメージを何度か行き来し見比べていた。そして嫉妬により熱くなる。神は天使たちの嫉妬の炎を冷まそうと、上から扇であおっている。[Talmud Chullin 91b]

人には二つのイメージがあるとされる:

1.今の自分の姿(Who you are) 梯子の下のイメージ

2.自分がなれるだろう姿(Who you can be) 梯子の上のイメージ

1は、今この時点での姿。2は、自分であることを最大限生ききった姿。あなたはこうなれると「神」に元々形作作られた姿。この世に果たすために来たミッションを完遂した姿。真の姿。

夢の中の天使達は、ジェイコブの1と2が全く同じイメージであることに驚嘆し、こんな人間は見たことがないと嫉妬したと。「選択」というものは、人間にのみ与えられている。人間には瞬間瞬間の選択により、1と2のイメージを合わせていくことが可能。一方天使には、「選択」というものが与えられていない。

ジェイコブの息子ジョセフは、兄達に売られ、エジプトで奴隷として仕えていた主人の妻に、言い寄られる。故郷を離れ、奴隷として働くその家のみが、生きていくための全て。17歳の健やかな身体、目の前の誘いに今にも身を落とそうとする時、窓に、父ジェイコブの姿が映る。そして一気に自分を取り戻し、その場から走り去る。ジェイコブの1と2が合わさったイメージに、息子ジョセフは、梯子の上の自身を思い出したと。[Talmud and Zohar]


ウォーターゲート事件で辞職したニクソン氏。ホワイトハウスを後にする時、壁に並べられた歴代大統領の肖像画を眺め、JFKの画の前でこう話しかけという。「君がどうしてこれほどまでに人気があり続けるのか。君と私の違いが何か分かるかい? 君は国民が『こうなりたいと望む姿』なんだよ、私は国民の『今こうであるという姿』を代表しているんだ」


ユダヤには、「地獄」とは、炎燃えたぎり、ぐつぐつ煮える鍋に落とされ、針の山に横たわり、といったものではなく、二つの鏡を見比べることだという説明がある。「実際に生きた人生」と「生きることができたであろう人生」が映された二つの鏡を見比べること、その「違い」が大きければ大きいほど「地獄」なのだと。



ラクダの親子が話している。

ママ、どうして僕たちにはこんなぺちゃんと平たく大きな足があるの?

砂の上をはるか遠くまで歩くためよ。

じゃあどうしてこんなに長いまつげがあるの?

宙に舞う砂から目を守るため。

じゃあね、どうして背中にこんなコブをしょってるの?

長い間水や食物がなくても生きていけるように、脂肪を蓄えてあるのよ。

ふ~ん、じゃあもう一つ聞いていい?

ええもちろん。なに?

だったらね、どうして僕たちはこんな檻の中に暮らしているの?


多くの人生は、こんな動物園のラクダのようであると。これほど与えられているのに、活用するということがない。




自分自身の梯子の上のイメージを見つめてみる。そして、他者を前に、その人の梯子の上のイメージに向き合ってみる。

それは、師が生徒に対して、親が子に対して、という場合にも覚えておきたいこと。その子の、梯子の上の姿を見つめてみる。持てる力を最大限発揮する姿を。

ある夫婦が、ラビに相談に来る。父親が言う、9歳の息子にほとほと困り果てています。言うこと聞かず、嘘ばかりつき、盗みはするし、問題ばかり起こしている。私は分かっていたんです、あの子が三歳の時にこうなるだろうことを。あの三歳の時点で、あの子はもうこうなるだろうサインをいくつも放っていましたから。
ラビは答える。ではなぜ嘆くのですか? あなたの期待通りに成長しているじゃないですか。




子供達、かなり感じるところがあったよう。自分の梯子の上の姿、まだまだ出し切っていないポテンシャルを見つめるということ。

そして最後の9歳の男の子の話、ママよく考えてねと、長男長女。(笑) 確かに、子供達、私が何を見ているかに敏感に反応します。そういう目で見ないで! そういう話し方しないで! 彼彼女から、そんな言葉を聞くことがありますが、それは「そんな僕/ 私であらせないで!」という叫びでもあるのかもしれません。目の前の今ある姿を見止めつつも、その子のどんなイメージを見つめていくのか、心に留めていきます。

ママも心がけるね。あなたたちは、周りがどんなあなたを見ようが、どんなあなたを示してこようが、あなた自身で最大限の自分を見つめ続けてね、そんな言葉をかけつつ。

小鳥を叩く

2013-11-10 12:11:38 | 子育てノート
一昨日、次男が鳥かごをゆらし「叩いてやる!」と叫びました。少し離れ鳥かごの見えないところにいた私、驚いて咄嗟に「小さな鳥にそんな乱暴なこと言って!」と近寄ると、一羽がもう一羽を突いている様子が目に入ります。「止めさせたいの」と次男。

はっとしました。次男の意図は、もう一匹を助けてあげることにあったのです。

そこで、「ありがとう助けてくれたんだね、優しいね」と次男の意図の「良き部分」にフォーカスし、それから「こんこんと鳥かご叩くくらいでいいのよ、鳥にとってあなたは大巨人なのだから、大声あげたらびっくりしちゃうからね」と声をかけました。

嬉しそうに頷く次男。


小鳥を叩こうとする、そんなとんでもなく見える行為も、そんな「意図」を基にしている場合があります。

言葉行為の解釈、それは時にグレーで見えにくいもの。

それでも子供というのは、意図のネガティブな面(小さな鳥を傷つけようとする)に重きをおくより、意図のよき部分を励ますよう接する内に、本当に「良くなっていく」という面があるように思います。

そして周りの大人は、子供達の言動に「白い部分」を見出し、示し続けてやる。そんな役割を担っているように思うのです。



 これは大人同士の関係にもある程度当てはめることができるのかもしれません。成長過程にある子供に比べ、成熟した大人同士というのは、確かに難しい場面が多々あります。それでも関係というのは流動的なもの。こちらが相手のどの部分にフォーカスするかで、変化していくこともあります。

 ひょっとしてその人の90パーセントは、ネガティブなことを言いたいという気持ちにあるのかもしれない。それでも、人の意識というのは複雑なもの、その奥には必ずポジティブな面があるはず、それは、例え口にする本人が意識していないとしても。

 言うは易しで、実際私自身争いの渦中には、あれよあれよという間に渦の中に溺れてしまいますが、だからこそ、普段から心がけ鍛えていきたい、そう思っています。ポジティブな解釈にフォーカス、日々の子育て、そして人付き合いの中で。

サポートし続けるということ

2013-11-09 11:38:03 | 子育てノート
九月の初めに、小学四年生次女の学習状況についてのミーティングがあった。二人の先生方と、小学校と学区全体のギフテッドプログラムコーディネーターのお二人と、夫と私。先生のお一人は二年間担任をしてくださった方、もう一人は今年赴任された方。

夏休み明けのテストの結果を見ると、できているはずの問題に穴がぽつぽつあいている。以前記事に書いたのですが(「ディスレクシアの克服について」「毎晩ドアを閉め、次女と二人の時間」「ディスレクシア、弱点の認識と人並み以上の努力と」)、何が原因か、次女に最適な学習環境とは、といった内容が話し合われた。

算数については、今のレベル(飛び級)から、学年どおりのレベルに移してみたらどうだろう(この学年のプログラムでは飛び級と学年どおりが半々ほど。学年が上になるにつれ飛び級の
割合が増える)という提案もミーティングの前にあり、試しに一週間程、学年どおりのクラスで体験学習してみるという試みもされていた。

問題は「言語面」と特定できるというのが、皆の一致した意見。

他言語を聞く環境にいる子は、高学年になるにつれ追いついてくるし、もし家庭で弱い面のサポートができるというのなら、現状レベルで様子をみてもいいのではないか。もし問題が続いたりひどくなるようならば、学年どおりのレベルに移し、ディスレクシアのスクリーニングなどもしてみよう、そう話がまとまりつつあった。

一週間体験学習した次女の様子から、去年したことをまた一年繰り返すということにかなりのフラストレーションを感じているようで、大好きな算数への意欲が削がれるのではと危惧していた夫と私も、それがベストに思うと伝え。

そこへ、今年赴任された先生(PhDを持たれ、子供達やスタッフも「先生」ではなく「ドクター(博士)」と呼ぶ)が、一週間次女のクラスでの様子を見たところ、と話される。授業中話を聞かず絵を描いていたりと気になる様子も見られるが(次女は「外では」かなり真面目タイプで先生の話を聞かないということは普段ない)、当てたら確かに答えるものの、言い回しを変えたり、より複雑な言葉で表すと、すぐに答えられないことがある。学年どおりの子に混ざっても、一番というわけでなく三番くらいだろう。テストの結果を見ると、このまま飛び級のクラスを続けるなら、○パーセントの確率で失敗しますよ。

「それはうまくいく確率も○パーセントあるということですね」と夫。

「まあそうですね」と先生。

それだけ言うと「行かなければならないので」とその先生は席を立ち、部屋を後に。

結局、話し合いは、苦手部分の家庭でのサポート、ひとまず現状のままで様子見ということになった。



それから、夜最低三十分は次女と二人でじっくりと苦手部分に向き合うということを一ヶ月程続け。

ミーティングから二ヶ月近くたっての今週水曜日、何度かのテスト、授業の様子から、「穴」がなくなり伸びている、算数の先生からも、今のレベルか次女にとって最適だと確信していますと知らせを受け取った。そして何よりも、以前より自信に溢れた次女の笑顔。

その通知を片手に帰宅した夫と、これで安心というわけはなく、これから勉強はますます複雑になるだろうし、様子を見守っていこうと話し合い。そして「失敗する確率」を示し、席を立った先生について、「それにしても、私もあなた方と同じ人数の子供がいます、とおっしゃっていたけれど、ああいった態度で母親に向かわれる子供達を、気の毒に思う」とコメントする私。



そう話したすぐ後、市内の東地区の小中高を合わせたコーラスの発表会があり、次女も参加するということで出かけた。

高校の講堂にぎっしりの人。座席が足りず、折りたたみ椅子を次から次へと運び入れるスタッフの方々。「観客が多いので、参加中学生が座っていた座席を空けます」という放送に、前の席へかけつける。開始時間ぎりぎり到着だったけれど、こんな前に座れてラッキー! と子供達と言い合いながら席に着き、ふと横を見、目を疑う。家を出る前に話していた、「あの先生」が座っている。この広く満員の会場に、隣同士。小さな子や大きな子に囲まれ、何だか私と全く同じ状況で。(笑)

コーラスは予想していた以上に楽しめるもので、子供達の声に癒され元気をもらい。

一時間ほどしてショーが終わり、子供達を迎えにステージ近くへ向かう親でごったがえす。先生の子供さん達が嬉しそうに駆け寄る。皆生き生きと飛びっきりの笑顔。先生の顔にも、柔らかな笑顔。

はっとする。私は一体、この方の何を知っていたというのか? 心の中で、頭を垂れ謝った。



プロフェッショナルとして、その経験と知識に基づき、最善を尽くされようとしただけのこと。

物事を決める際は、リスクも含めプロとコンを並べることで、より確かな道を選べる。

先生としての立場、親としての立場、それぞれが力を合わせ、子供の未来を思い。



では「親の立場」とは? 今回の出来事を通し、改めて確信したこと:

その子の可能性を信じ サポートし続ける

例え目の前に並べられたデータに 「無理」と明らかであったとしても

例えどんな「プロフェッショナル」とされる方が 「不可能」と示したとしても

例え望むような「結果」に 出会うことがないとしても 

そしてそれが 最後の最後まで続くとしても

可能性を信じ サポートし続けること



心に刻んでおきます。


東地区の小中高10校近く集まって。父兄でぎっしりの講堂。


最後は皆で「アフリカの民謡」を合唱。素敵でした。

「ギフテッドチャイルド・カテゴリー」でできること

2013-11-09 11:37:26 | 思うに
ブログランキングのアウトポイントに参加させていただいている「ギフテッド・チャイルド」カテゴリーで、文章の解釈の行き違いなどから問題がもつれてしまい、何人かの方が抜けられました。

楽しみにしていたブログが、カテゴリーのリストにないこと、とても寂しいですが、それぞれ新しいステップを踏み出された方々の、これからを応援しています。皆さん戻って来られたらいいなあと願いつつ。



入り始めの頃は、場違いに感じ、何度も抜けようかと考えたカテゴリーですが、皆さんのブログを読ませていただき、乗りかけた船、こういった状況の中、今の私に何ができるだろうと考えています。

十四歳から四歳までの二男三女を抱え、今はまだまだ日常生活でいっぱいいっぱい。次から次へと問題も起こり(今週もドアを閉めて涙流すことあり)、何らかの「成功法」などを提示できるわけでもありません。それでも、そんな日常生活に葛藤する姿、気づきなど、現在進行形でシェアさせていただくことで、「事例の提供」になればと。関係のないつぶやきも多々あったりしますが。(笑)

八年という間、四人の子供達の通う「HGプログラム」を見回し気づくのは、本当に様々な子がいるということです。日常生活の描写を通し、ささやかながら、その「一例」を示すことができたら。

この後に、「これといった飛びぬけた特技があるわけでもない我が家の子供達、より『ギフテッド』というものを身近に感じていただけるのではないか」と続けて書いたのですが、こういった表現も、不快に感じられる方がいるのだと、今回の件で考えさせられました。私自身の正直な気持ちですが、「相対的なこと」というのは難しいですね、これから気をつけていきたいです。



私自身、「ギフテッド」という世間的なくくりには、抵抗感があり、「『ギフト』は全ての子に与えられている。教育とは一部を集めて『ギフテッド』とくくるのではなく、全ての子に与えられた異なるギフトを引き出し伸ばすためのものであってほしい」という考えに変化はありません。プログラムに通うのも、親があれこれ考える間にも待ったなしで成長を続ける子供達に、恵まれたカリキュラムと教育環境を提供したいという理由からです。

東海岸の一部などでは、「ギフテッド・プログラム」といったものは不要、なぜなら全ての学校がハイレベルに子供のギフトを伸ばす試みをしているから、といったことを聞きます。私自身は、それが理想の形であると思っています。皆がそれぞれ「ギフテッド」としての扱いを受ける。

また同時に、「ギフテッド」というコンセプトによって、希望を取り戻し救われる方々がいるのだという事実も、このカテゴリーを通し学んでいます。

プログラムの恩恵を受けてきた者として、何ができるのか考えていきたいです。


読んで下さってありがとうございます。週末一気にいくつかの記事アップといったペースの更新ですが、これからもどうぞよろしくお願いします!

近況整理、「なに?」と涼しげな声

2013-11-03 05:02:10 | 今週の整理
1.11月に入ってもこんなに暖かいの初めてかもしれない。日中10度近くになることも! いつもなら銀世界のこの時期、冬タイヤが雪のない道路に当たり、ガツガツゴツゴツと賑やかです。


2.友人家でのプレーデート、一歳の赤ちゃんが可愛くてしょうがない様子の次男。「ママ~、赤ちゃんってどうやって『手に入れる』の?」そう帰りの車の中で。家に戻り図鑑を見ながらこうして出てくるのだよと説明。それ以来、私がトイレに行くたび、赤ちゃんがトイレで溺れるのじゃないかと心配になる次男。(笑) 


3.週の始まり、長女サイエンス・プロジェクト「細胞の仕組みアナロジー」。細胞を「何か」に喩え説明し、3Dの模型も作るというもの。去年長男は「車」に、今年長女は「レストラン」に喩えた。Nucleusをボスに、Golgi apparatusをウェイターに、Vacuoleを冷蔵庫に、 Endoplasmic Reticulumをキッチンに、Lysosomeを食器洗浄機に、Cell Membraneをドアに、 Cell Wallを建物に、Ribosomeをシェフに、Cytoplasmを客に、Chloroplastをオーブンに。ジュースの入っていた箱に色紙を貼り、厚紙でテーブル・椅子・レンジなど作り、レゴのフィギュアを人にして。レストランの名前は「セル(細胞)・ベル」。「タコ・ベル」にかけたらしいけれど、誰にも理解されなかったそう。(笑)

 提出前夜10時に完成!やったあ!と大はしゃぎで眠り、翌朝友人から送られた完成写真に息を呑む。す、すごい!「ガーデン」に喩えた友人ちゃん、土から造花から柵からまるで本物の花園を小さくしたよう!「空港」に喩えた友人君はライトがフラッシュする仕組みになっている! 学校に持ち寄られた素晴らしい3D模型の数々にも大興奮な長女。「今度は、もう少し時間かけて作る!」そう張り切り。皆宿題課題が溢れ限られた時間の中、よくこれほどのものを作られるなあと感心。


4.シラミ状況再びなのですが、小学校ナースよりお知らせ、今年シラミ大発生(influx)! 三女のクラスで新たに見つかった子、シラミをケースに入れて教室に持参、皆で観察したそう。この際、「学ぶ機会」にしてしまおうという親御さんの心意気、いいなあこういうの、あっぱれ。今度もし見つけたら、見習うぞ。


5.六歳三女、昨夜初めてのスリープオーバー。指折り数えて楽しみにしていたクラスメートの誕生会。お母さんは何度かブログでも取りあげた、あのいつも面白いシャツを着ている「社会面・感情面のカウンセラー」。クラスに五人だけの仲良しガールズ(男の子は十七人!)、三人の息子さんは親戚宅に出払ってのガールズナイトだそう。昨夜寝る前兄姉弟が電話すると、家では甘えっこな三女、涼しげな声で「なに?」、「楽しい?」「たのし~い!」と元気一杯の様子。

 三女だけいない夜そして朝というのも初めてのこと。○○どうしてるかなあとつぶやく姉、夜いつもくっついて寝てるのに一人で寝られるのかしらと思う母、朝から三女を探す次男。今から迎えに行ってきますね。


今日は長男長女をNPO活動に降ろし、三女を迎えに行き、次女はネイチャーセンターにて火のおこし方の実験に、夕方から長男ロボッティックス・ミーティング。明日は長男長女宿題課題、合間に散歩、プール or サイクリング!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

長女「細胞アナロジー」模型作り、


できた!


プロジェクトの合間には、ひゃっほ~!と飛ぶ。

近所のアラスカ大学プールにて。


次男とお出かけな午後。


白熊の舌!


そ~れ!


スクーターで、


どこまでも。


友人君とプレーデート。紙飛行機に夢中!



お泊りの三女に電話な昨夜。

スピーカーフォンに耳澄ませ。

おやすみ~!


本当に大切なものをシンプルに見つめて

2013-11-03 05:00:24 | 子育てノート
毎週のように会う三人小さな子がいる友人、毎日それは大変そう。私も上三人が四歳、二歳、零歳の時ってしゃれにならないくらいきつかったのを覚えている。赤ちゃんの世話だけでも目が回るのに、反抗期の二才児に、まだまだ自分でできないことだらけの四歳児。本を読んだり書いたりする時間どころか、食べる寝るといった生きるための最低限を搾り出すのがやっと。

昨日ジムで子供達を追いかけながら話していると、その友人が言った。「三人目のママと四人目のママを調べると、断然四人目のママの方が余裕があるらしくて。どうしてかというと、四人目になると確かに『慣れる』ということもあるのだけれど、色々なことを『諦めるようになる』のが大きいんだって。そういうことってある?」と。

ああ、確かにそうかもしれないなあ、と思った。

四人目になると三人目まで何とかぎりぎりのところで頑張っていたことも、諦めざる得なくなる。ひょっとしたらできるかも、そう「できる・できない」の境界で必死に頑張りへとへとの三人目、そんなわずかな期待さえ完全に閉ざされ、一気に振り切れ「無理」とあっけらかんな四人目。(笑)

それは部屋の片づけから、手の込んだ食事、整った花壇、家族が起きている時間に自分の時間を持つこと、そして私にとっては、こうしてやろうこうあるべき、そんな自分が作り上げていた子育ての理想を手放すことでもあった。そうして三人目の妊娠からしばらく壊していた身体と精神も、四人目にはすっきりとし。


一旦がらがらと崩れ落ちた理想。四人目五人目は孫を見ているような気持ちと聞いたことがあったけれど、こういうことかなと感じた。もうただただ可愛い。(笑)

それでも祖父祖母の存在は父母とセットだからこそいいのであって、「おばあちゃん」だけだとどうしても甘やかしすぎてしまう、そう緩んだねじを締め、子供達に向き合う。


今度は、本当に必要なものだけで自分なりの子育てを作り上げていきたい、そう思っている。余分なものは削ぎ落とし、どんな枠組みであっても、生き残ることのできる、シンプルに大切なものによって。

成績重視という傾向、コンスタントなハイクオリティーさ

2013-11-03 04:59:25 | 子育てノート
来年から、高校のHGプログラムの審査が「成績重視」に変わる。これまで成績とIQテストと全国テストのスコアをクリアする必要があったのが、成績の基準が上げられ、もっぱら成績のみを見るようになると。

テストのスコアが良くても、授業についていけない子があまりにも多かったためらしい。

プログラムでは、かなりの量の課題を、コンスタントに効率的ハイクオリティーに仕上げ続ける力が求められる。そして、それは確かに年に一度のテストのスコアよりも、ABCなどの成績に表れるだろう。

普段だらだらしているように見えても、テストになると強い、そういったタイプにはきつい環境といえる。

プログラムに限らず、高校生の親御さんを持つ日本の方と話していると、「こちらは日本で言うと本当に『内申書重視』よね、だからある意味こつこつできるのなら安心」といったことをよく聞く。そういった全体的な傾向、学年が上がるにつれ実感してます。

「コンスタントにハイクオリティー」が苦手というの、私自身も学生時代まさしくそう。中高とテストも気分によって凸凹、高校時代は欠席も多かったし(家で映画見てた)、大学では代返の常連、テスト前に周りからノートを借り何とかパス。大学院に入ってから、時々現れるハイクオリティーをいかに満遍なく日常に下ろしてこられるかといったことをようやく考えられるようになった、それは好きな課題にだけ向かえばよくなったためといえるでしょうが、そうしてこつこつ歩く楽しさを学んだ。

こちらの学校の様子を見ていると、私のようなタイプなどいっぺんにアウトだっただろうとつくづく思う。そして私自身、もう少し早く努力していたら、また違った人生になっていたかなという思いも。

我が家の子供達をみていても、「コンスタントにハイクオリティー」が苦手タイプがいる。そこで、どうしたらアップビートに最大限の力を出し続けられるか、最近よく話し合っている。

・まずは何といってもモーティベーション、「夢」を掲げ続けること。好きなことにはものすごい勢いで向かい続けられるもの。一見興味ないと思えることでも、いずれ好きなことのできる環境にたどりつくためのステップなのだと、日々思い出し続けること。

色々と調べ中試し中ですが、その中で面白いと思ったものに、「自分を導く質問を意識する」というのがある。

以下“Study Smarter, Not Harder” by everyday Genius Instituteより引用:


助けにならない質問例

・どうしたらこれをやり過ごせるか?

・どうしたら先生に当てられるのを避けられるか?

・どうしたら周りをあっと言わせられるか?

・ここにあとどれだけ座っていなくてはならないか?

・どうしたら先生にワークが終わったと思わせられるだろう?

・いつフェースブック(や電話)をチェックできるか?



強力な助けとなる質問例

教室にて

・ここで時間を費やすべき重要なこととは何か?

・これは将来どのように自分の役に立つだろう?

・これはどのように現実世界に関係づけられるか?

・どうしたらこの授業から最大限学ぶことができるだろう?

・どうしたらこれを楽しく興味深くできるだろう?


宿題をしながら

・どうしたらこの知識を維持し易いだろう?

・どうしたら早くハイレベルに終えられるだろう?


放課中

・どうしたら今この時間を最大限生かせるだろう?

・どの課題をこの時間に終えられるだろう?



自身に投げかける質問を意識するというの、子供達のインスピレーションになったようです。

夫も次のステップに向け勉強中、私も何とか限られた時間の中で目指していきたいことがあり、親子で学んでいきます! 

井戸を掘り続けるということ

2013-11-03 04:58:15 | 子供言葉
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

1.「与える」ということ(“Why Infants Have To Grow Up on Milk” by YY Jacobsenより):
他の人に与えたら自分の持分は減る。自分の玩具コレクションから一つ他人にあげたら、自分の玩具は一つ減る。

それでも「与える」という仕組みの例外に見えるのが、母乳。母乳は乳児が吸えば吸うほど作り出される。与えれば与えるほど何倍にも増える。そして与えるのを止めれば、作られなくなる。

ユダヤ神秘主義のカバラでは、「授乳」というのは、こうした「与える」という仕組みの秘密を、乳児の柔らかな意識の中に深く染み込ませるという意味があるとされる。

与えることで一見その物自体は減るように見えても、実は違う面から眺めるのならば「与えること」で多くを得ているもの。周りと玩具をシェアすることで、その子の心が成長していくように。

チャーチルの言葉。「私達は、私達の手に入れるものによって生活を成り立たせる、そして私達が与えるものによって人生を成り立たせる。We make a living by what I get, we make a life by what I give」

ある大富豪に「あなたの価値はどれほどですか?」と聞く。数字を示すその富豪。「えっ、あなたはそれよりもっと裕福でしょう?」すると答える「あなたは私がどれほど持っているかと聞いたのでなく、私の価値はどれほどかと聞いたでしょ。だから私は今年どれほどチャリティーに与えたかを答えたんです」



2.自分自身の源泉と繋がること(The Diplomat and the Digger  Does Our Need for Public Relations Compromise Our Inner Core? By YY Jacobsonを参考に):

アブラハムの息子アイザックが井戸を掘る場面は、聖典『トラ』の中でも、とても重要とされる。なぜ一人の男がこつこつと七つの井戸を掘り続けるといった地味な場面が、それほど重要なのか?

アブラハムは七つ目の井戸を「 Shovo」と名づけた。その土地に住む人々との平和の「誓い」という意味を込めて。彼の死後、その土地の人々によって埋められた井戸。息子アイザックは井戸を掘り返し続け、七つ目を掘り返した終わったとき、その井戸を「Shiva」 と名づけた。Shivaには「誓い」という意の他に「七つ」という意もある。そしてその地は「永遠に」Shivaと呼ばれることになる。[Genesis]

アブラハムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の基となる人物。世界人口の半分近くにインスピレーションを与えたことになる。その息子アイザックは、こつこつと井戸を掘り続ける。

このアイザックの行為は、自分自身の内面を掘り下げていくことを象徴しているとされる。とてつもないインスピレーションに触れ、稲妻が走り、回心し、悟り、山の頂に到達し、それでもいつしかそれらの感動も薄れ、山を降りる。インスピレーションの井戸も、土に埋まる。

自らの手で井戸を掘ること、自身の内面奥深くに堀り続けること。そうするならば、そのインスピレーションは「永遠」となる。

祖先、父母に与えられた井戸、既に作られた井戸、それらの源泉からの水を飲み続けるのみでは、いずれ枯渇する。自らの手で井戸を掘る、自らの内面に潜り続け、自身の源泉にたど
り着く、そして自分自身とそのインスピレーションの源泉「神」との関係を築き続けるのならば、その井戸は永遠となる。


上の子達も、強烈なインスピレーションやアイデアのスパークがいつしか薄れ、気がつけば何も変わっていない、といった感覚をよく分かるよう。井戸を自らの手で掘り続けるイメージ、彼らなりに理解したようでした。

スズキ式ピアノ、母語のような音楽

2013-11-03 04:57:07 | 子育てノート
週末、友人息子君9歳のピアノリサイタルへ。自宅にお友達を招き、バッハ、ベートーベン、モーツァルト、シューマンなど8人の音楽家の14曲。合間にそれぞれの音楽家についての生涯などの説明も本人から。9歳にしてよくこれだけ全て暗記し弾ききったなあと感心。

4歳から習っていたピアノ、3年前に「スズキ式」に変え、ぐんと伸びていったと友人。

スズキ式の大きな特徴は、「音から学ぶ」というものだけれど、確かに、楽譜をなぞった音でなく、身体に染み込んだ音。「楽譜」を覚えるというより、身体の中に入った「音」を覚えているといった様子。

もう一つのスズキ式の特徴は、「競争」を排した環境のなかで音楽性を育むというもの。息子君のリサイタルも他と比べられることのない自宅で一人という環境。


今我が家の子供達が習っているのは、全く反対のメソッド。初めからセオリーもしっかり習い、楽譜をきちんと読めるよう教える。音だけを頼りに弾こうとすると、楽譜から目を離さないよう注意される。他の先生に習ったこともあったけれど、この先生に行き着いたのは、ひとえにこれほど技術面を細かく丁寧に見てくださる方はいないと思ったため。拍子強弱姿勢全てにおいて完璧でなければ、次の曲にはいけない。そしてピアノ・コンピティションも、この先生の生徒が上位をずらりと占める。徹底的に「勝てる」弾き方の教授。

上の四人が習ってきて二人止めたのだけれど、今更ながら、ああ、あの子達には、スズキ式の方が合っていたかなと思う。もっとその子自身の音の探索を楽しませてやればよかったと。長女も一旦止めたところ今年から戻り、それでも過密スケジュールに以前のようなペースでは練習もできず、ゆったりと楽しむためのみにしているのだから、ここまで完璧を求める必要もないなと思ったり。

どちらにしても毎日の練習の積み重ねというのは、必須。それでも楽譜をしっかりなぞることに力を入れるのと、とにかく聞いて音を身体に入れるのと、練習の仕方も随分と違ってくるでしょう。


昔の職場の上司が、スズキ式開発者鈴木鎮一氏(1898–1998) 直々にバイオリンを習った方だった。鈴木氏はいつも言っていたという「お豆腐屋さんの子でもね、素晴らしい音楽を奏でられるようになるんだよ」

楽譜を読めずとも、セオリーなど知らなくても、心に響く音を奏でられるようになると。

母語は読み書きやグラマーによって身につくわけではない、小さな頃からの環境によって話せるようになるもの、そう幼児の母語習得からヒントを得たとされる鈴木氏。いい音に囲まれることで、母語のように、音楽がその子の内に自然に息づき始めると。


止めた子も、ピアノを触りながら、「もう一度したいなあ」と言うことがあるのですが、他にやりたいこととのスケジュール&経済的な面とで、なかなか難しく。五人目、もし「ピアノしたい!」と言うならば、今度はスズキ式でいってみようかな、そう思っています。


友人息子君リサイタル。


その後のスナックタイム!

ハロウィン!キャラいろいろ

2013-11-02 23:59:15 | 出来事や雑感や (行事)
ハロウィン祭会場にて、


長女のダンスショー。


キャンディーより分け作業真剣な下三人。



当日中学校は仮装してきてもよいとのこと。お友達と相談して決めたらしい長女、

NERD(いけてない人)。


いえ~い、NERD!

サスペンダーとメガネ、友達が用意したらしい。この日皆「いけてない集団」に。

長男は「さわやかそうで怖い人」らしい。分かりにくい!

時々にこにこしながら切れるらしい。

中学校にもなると、何だか微妙なキャラになってきますねえ・・・。こうして自分の中にもあるキャラクターを笑いにして相対化しているのでしょうか。

次女は先生方へカードをプレゼント。



夜、友人息子君三人と。

長男は、友人宅にてトリックオアトリート。五人で、血塗りした友人を担架に乗せて運び続けたそう・・・。

晩御飯食べて、


さあ行くぞ!


トリック、


オア、


トリート!


家々を回って回って回ります。


スパイダーマンがキャンディーくれた!くもの巣シューター手に持ってた!


人形かと思ったらこの人動いた!

泣き叫ぶ次男。(笑)

家中お化け屋敷にデコレートされ、屋内へ大歓迎の家もあり、すごい!ハロウィンにかけるこの情熱!

いただきものより分け真剣作業。




親としては、お菓子のゆきどころに頭を悩ませるところですが、家では事前に話し合い、あまりにもカラフルなものはナチュラル系のものに変え、食べる数を決めるということに。お金やプレゼントに代える、週に何個食べていいか決め、年が変わると残りはドネーションという友人宅も。
 
寝る前下の子達が「これがいるね!」と持ってきたもの、 

ロリブラッシュ。ロリポップを食べ終わると歯ブラシが出てくる発明品。(笑)


この“The Klutz Book of Inventions” By John Cassidy & Brendan Boyleという本、シリーな発明品がずらりと載せられ、五人とも大好き。ロリブラッシュの隣のページは、「防音パンツ」。


甘~くて楽しいハロウィンでした!