靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、すれ違うお爺さんの笑顔

2013-11-17 08:08:38 | 今週の整理
1・先週末、「見慣れぬ雪なし冬景色」を楽しみたい、と書いたその日から、こんこんと雪が降り。「見慣れた雪だらけ冬景色」、楽しんでます! 初めて雪の積もった日、毎年あれほど皆見慣れているのに、何だか街中うきうきとした雰囲気。子ども達はもちろん大はしゃぎ、大人までも、とうとうきたねえと口元緩め。四月まで、この銀世界!



2・昨日久しぶりに友人達と集まった。去年までは毎週のように集まっていたママ達だけれど、子どもが大きくなるにつれ、幼稚園や保育園が長くなったり、ママも仕事を始めたり、大学の授業を取り始めたりと、生活リズムも大きく変わり、皆予定もなかなか合わず。長男長女のママ友ともなると、今はもう全く違うライフスタイル。ああ、この雰囲気懐かしいねえ、このカオス!子ども達の走り回る様子に、そう皆で笑い合いながら。五人の子育て期間、どれほどこうした交わりを通し、気づかされ励まされ支えられてきたか。ばりばりお菓子食べながら、時にしんみり時に笑い転げ、本当にありがとう!



3.雪こんもりな朝。「今日はバレーボール部の最後の日でピザ・パーティなの」と言いながら長女十二歳が準備している。夫がささやく、「あの格好、ちょっとあれじゃないか。」 長女を改めて見ると、真っ白ひらひらのミニスカートに素足。そう言われるとそうねえと、レギングスをクローゼットからいくつか出してくるも、皆小さい。普段ジーンズばかりでスカートなんて履きやしませんから。結局、二ヶ月程前の長距離走部の大会で、チーム合わせて作ったピンクのハイソックスを履いていくということで同意。

 ティーンネイジャーの女の子がねえ、真冬にミニスカート生足で外歩いてて、凍傷にかかったんだってえ、さすがティーン、無茶苦茶だよねえ。むか~し、そう友人達と話していたことがあったけれど、じ、自分の娘が、「さすが無茶苦茶ティーン」になる日が来るとは~~! 感慨深いです。(笑)



4.今週の七年生長女のS.A.T単語の宿題(英語の授業)、demure, cacophony, benign, nefarious, burgeon, vapid onerous, stratify, verdant, hackneyedなど十五単語を、どういう方法でもいいからとにかく「グラフ」にしなさいというもの。長女は母音の数と子音の数などから折れ線グラフを作り。数学の先生でないと理解できないかなり複雑なものを作ってきた子もいたそう。単語の練習に「グラフ」、新鮮でした



5.長男十四歳、週に一度のロボティックス・ミーティング、アラスカ大学のエンジニア学部の教授や学生がコーチしてくれ、五人一組のチームでロボット(VEX)を作っている。先週末は家に持ち帰り、部屋は部品で足の踏み場なし。平日は宿題課題でちょこちょことしか取り組む時間もなく、昨夜ようやく少しまとまった時間がかけられると目を輝かせ。「今日寝ないでもいい?」と。結局真夜中過ぎまで組み立てていたよう。組み立て玩具からレゴリーグ、ロボテッィクスへ。小さな頃からパッションを持ち続けていることの一つ。好きなことをしているときの勢い、表情、傍で見ていると、嬉しくなりますね。



6.朝三女と次女を小学校へ送った帰り道の住宅街、お爺さんが白いラブラドール犬を散歩させていることがある。すれ違う度に、背筋をしゃんと伸ばし、手を上げ、運転席に向かって笑いかけてくれるお爺さん。今からあれを済ませてここに行ってこうしてああしてと、予定でぎちぎちいっぱいの頭に、ほかりと隙間ができ、懐かしくて温かい気持ちに満たされる。お爺さんの笑顔が、私の一日を調整してくれる、そんな風に感じたり。いつか、お礼を言いたい。



今日は長男長女をNPOに降ろし、落ち葉の山などトレーラーに積んで、ゴミ捨て場に。夕方はロボティックス。明日は長男の友人君が朝から来て、二人課題宿題にジムに映画に。残りは長女が課題をすませたら、お友達とそりに!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

降った! 積もった!


雪の舞う公園で遊ぶ。


スマイルフェース!



友人宅での集まり。


持ち寄りお菓子。

チョコやクッキーに混ざり、たくわんが素敵。これでしょっぱい甘いしょっぱい甘いと永遠にいけるじゃない、と友人。おかげさまで永遠でした!

子ども達も憩いの一時。



ガムテープアート。by 次女九歳

何年位前からだろう、小学校中高学年の子達の間で流行っている。クラフトショップなどには、カラフルなガムーテープがずらりと並ぶ。

ビーズな僕四歳。

アイロンかけて色々な形に。最近は3Dのものまで売っている。

翌日の弁当準備をする次女。アルファベット型サンドイッチ。

手の込んだことは自分達でね。(笑)

昨夜のパン作り。

毎週金曜日のファミリーディナーでいただきます。

長男部屋。足のふみ場なし。

次男くっつきっぱなし。昔の長男を見ているようです。

あの心理博士の言葉、ゆっくりね

2013-11-17 08:07:00 | 子育てノート
長女が五歳の時IQテストを受けた心理学博士は、リタイヤ間近の男性だった。

テストの結果を聞き終え、帰り際、息子さん夫婦とお孫さん達の写真を見せてくれた。息子さんの奥さんは日本人なのだと嬉しそうに。

息子さんは、高校を出たものの、これといって何をしたいのか分からず、しばらく働きながら旅を続け、パートタイムの仕事を続けながらコミュニティーカレッジ(誰でもすぐに入れる大学)に何年も席を置き(その時学生結婚)、二十代も終わり頃、マイノリティーの言語に興味を持ち、それから猛勉強を始めたという。そして学部大学院と進み、もうすぐ博士号を修得するのだと。暖かい家族に囲まれ、ネイティブ・アメリカン居住区でのフィールドワークに大学講師にと、毎日生き生きしていると。

「急いで焦って、芽を潰しちゃいけない。ゆっくりとね、いくんですよ。」

最後に握手すると、私の目を見つめ、そうおっしゃった。



こんなことをしていては間に合わないんじゃないか、子ども達を前にそう思う度、この心理学者の言葉を思い出す。そして思う。

一体、何に間に合わないのだろう?

でもでも現実的には・・・、そんな自身の内の声も、年とともに、大声からささやき声へ。

いつか蚊の鳴くような声になって、消えるかな。(笑)



その時その時の精一杯で進んでいこうね

その小さな積み重ね一つ一つの全てが

今はまだはっきりとは見えないかもしれないけれど

いつかは必ずたどり着く地点へと 繋がっている


そう子ども達に声をかけつつ。

病室の情景を眺める視点

2013-11-17 08:05:33 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

病室を外から眺める視点("inoculations" by Charlie Hararyを参考に):

八ヶ月の赤ちゃんを連れて小児科医へ定期健診に出かける父親。二人で出かけるのは初めてのこと。心躍る父親、きゃっきゃと腕の中ではしゃぐ赤ちゃん。

病室に着き、白い服を着た人々が現れる。あれ? ここはどこ、何が起こってるの? 服を脱がされ、あちらこちらに器具を突きつけられ。お父さん、どうして私をこんなところに連れてきたの? 楽しいお出かけのはずだったのに、痛い! とがった針がいくつも!(こちらでは、この年月で太ももに一気に4本ほど予防注射)、ひどい!

顔を真っ赤にして泣き喚く赤ちゃん。検診が終わり、父親の腕の中でしゃくりあげ、次第に落ち着く。

八ヶ月の赤子に、定期健診の意味、予防注射の意味、それらがいかにあなたにとって良いことなのかを説明しても、理解はできない。ただ辛く苦しく痛い。連れてきた父親を、なぜ私をこんな目に合わすの、そう恨めしそうに見上げ。


苦しい時というのは、こんな「病室の情景」に似ているのかもしれない。自分にとって、それらがいかに良いことであるかは、理解できない。ただ、目の前の痛みに悶え、なぜこんなことに?と恨めしく天を仰ぎ。

それでも、次第に内の奥深くの温もりに包まれ、癒され落ち着きを取り戻す。あの父親の腕の中の、赤子のように。


年を経、より理解する力がつくにつれ、通り過ぎたいくつもの痛みの意味を、知ることもあるかもしれない。赤子が小学校にもあがれば、徐々に、検診や注射がなぜ自分にとって必要だったのかが、理解できるように。

「全てはよき事のために」、病室を外から眺める視点を、覚えておきたい。
 



憎しみと愛("When Love Becomes Hate" by YY Jacobsonを参考に):

Menassehはユダヤ史上最も悪名高い王。偶像崇拝をもたらし、悪事の限りを尽くしたと言われる。聖典『トラ』を鼻で笑い、ユダヤへの改宗を拒否されたことにより、ユダヤを憎み続けた女性Timnahに自身を重ねる。
アッシリアに拷問を受け、あらゆる偶像への祈りが届かないと分かった死の寸前、偉大な指導者とされた父親が唱えていた祈りの言葉を口にするMenasseh。祈りが神に届かないよう天使達が遮る。あれほどの悪人が許されるべきはないと天使達が止める中、神はMenassehを救う。
(『ゲマラ』より)

なぜMenassehは救われたのか?

とてつもない憎しみと愛とは、常に表裏一体であるためと説明される。

必死で離れようとする裏には、とてつもない執着がある。

むき出しとなった憎悪の裏には、とてつもない愛情がある。


自身の、他者の、「憎しみ」の裏を見つめてみる。

拒否された痛み、受け入れられない痛みといった「憎しみの原因」を越えるには、「病室の外の視点」が有効。「全てはよき事のために」、例え生きている間にはその意味が分からないとしても。

「愛」の側にフォーカスすることで救われるのは、他の誰でもない、その人自身。

「怒る子」な朝2、外と内とのバランス

2013-11-17 08:05:04 | 子育てノート
1はこちら

フィールドトリップの許可証が見つからない! フォルダーに入れておいた算数のテンプレートがない! 取り乱した様子で、部屋中探し回る娘。登校まであまり時間もない。

昨夜はばたばたと用事が立て込んで、次の日の準備確認忘れてたね、そう言いながら手伝ってやり、許可証は見つかったものの、テンプレートはどこにもない。昨日全員でピアノに出かけたし、待ち時間に置き忘れてきたのかもねと言うも、ヒステリックに叫び、今日は最悪の日と呪い、学校に行けないと金切り声で当り散らす。

テンプレート一つでここまで・・・。夫と顔を見合わせ、先生にメールを送ってあげるから落ち着きなさいと声をかけ、すぐに「探し中で今日は時間切れです。お願いします。」とメール送信。
少し落ち着くも、ぶすっとした顔をしたまま。手伝ってもらってパパにお礼言いなさいというと、「ありがと」とぞんざいに。
 
甘やかしてはだめだと、こちらも怒鳴る、よけい泣く、また怒鳴る、おびえて黙り、涙を流しながら無理やり機嫌の悪くない表情を作る。そんなパターンも何回か通ったけれど、良い方法とも思えず。こちらが取り乱さず、できる限りの手伝いをしてやる、それが一番よさそうです。



家の中で、こういった出来事に、これほどの反応をするのはいつもこの子だけ。派手に悲しみ怒り取り乱す様子に、周りの兄弟姉妹も少し異質な者を見る目で見ていることがある。

ああ、なんでこの子はこうなってしまうのだろう。どうして見えないのだろう。

もう少し周りを見なさい、どれほど皆が助けようとしているか、そう声をかけようとして、はっとしたことがある。

外では見えている、というより他の誰よりも気を遣い過ぎるほど見えている。この子が、外で取り乱しことは今まで一度もないと言っていいほど。いつもにこにこ元気でしっかりもののAちゃんで通っていて。きっとお友達や先生が家での彼女の取り乱しぶりを見たら、別人に思うことでしょう。

外で周りにフォーカスし過ぎる故に、家の中でこうなってしまうのだろう。外でもう少しリラックスしてちょこちょこボロ出せばいいのに、何度そう思ったことか。


家でゆったりできる環境を整えつつ、周りにどう思われるかといった外から内へ向かう視点を、内から外へと向かう視点へシフトできるようサポートしていこう。そう夫と模索中です。内にどっしりとした安心感を養うこと、それがまずは要なのでしょう。取り組みを通しての気づきなど、またまとめていきたいです。