靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

井戸を掘り続けるということ

2013-11-03 04:58:15 | 子供言葉
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

1.「与える」ということ(“Why Infants Have To Grow Up on Milk” by YY Jacobsenより):
他の人に与えたら自分の持分は減る。自分の玩具コレクションから一つ他人にあげたら、自分の玩具は一つ減る。

それでも「与える」という仕組みの例外に見えるのが、母乳。母乳は乳児が吸えば吸うほど作り出される。与えれば与えるほど何倍にも増える。そして与えるのを止めれば、作られなくなる。

ユダヤ神秘主義のカバラでは、「授乳」というのは、こうした「与える」という仕組みの秘密を、乳児の柔らかな意識の中に深く染み込ませるという意味があるとされる。

与えることで一見その物自体は減るように見えても、実は違う面から眺めるのならば「与えること」で多くを得ているもの。周りと玩具をシェアすることで、その子の心が成長していくように。

チャーチルの言葉。「私達は、私達の手に入れるものによって生活を成り立たせる、そして私達が与えるものによって人生を成り立たせる。We make a living by what I get, we make a life by what I give」

ある大富豪に「あなたの価値はどれほどですか?」と聞く。数字を示すその富豪。「えっ、あなたはそれよりもっと裕福でしょう?」すると答える「あなたは私がどれほど持っているかと聞いたのでなく、私の価値はどれほどかと聞いたでしょ。だから私は今年どれほどチャリティーに与えたかを答えたんです」



2.自分自身の源泉と繋がること(The Diplomat and the Digger  Does Our Need for Public Relations Compromise Our Inner Core? By YY Jacobsonを参考に):

アブラハムの息子アイザックが井戸を掘る場面は、聖典『トラ』の中でも、とても重要とされる。なぜ一人の男がこつこつと七つの井戸を掘り続けるといった地味な場面が、それほど重要なのか?

アブラハムは七つ目の井戸を「 Shovo」と名づけた。その土地に住む人々との平和の「誓い」という意味を込めて。彼の死後、その土地の人々によって埋められた井戸。息子アイザックは井戸を掘り返し続け、七つ目を掘り返した終わったとき、その井戸を「Shiva」 と名づけた。Shivaには「誓い」という意の他に「七つ」という意もある。そしてその地は「永遠に」Shivaと呼ばれることになる。[Genesis]

アブラハムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の基となる人物。世界人口の半分近くにインスピレーションを与えたことになる。その息子アイザックは、こつこつと井戸を掘り続ける。

このアイザックの行為は、自分自身の内面を掘り下げていくことを象徴しているとされる。とてつもないインスピレーションに触れ、稲妻が走り、回心し、悟り、山の頂に到達し、それでもいつしかそれらの感動も薄れ、山を降りる。インスピレーションの井戸も、土に埋まる。

自らの手で井戸を掘ること、自身の内面奥深くに堀り続けること。そうするならば、そのインスピレーションは「永遠」となる。

祖先、父母に与えられた井戸、既に作られた井戸、それらの源泉からの水を飲み続けるのみでは、いずれ枯渇する。自らの手で井戸を掘る、自らの内面に潜り続け、自身の源泉にたど
り着く、そして自分自身とそのインスピレーションの源泉「神」との関係を築き続けるのならば、その井戸は永遠となる。


上の子達も、強烈なインスピレーションやアイデアのスパークがいつしか薄れ、気がつけば何も変わっていない、といった感覚をよく分かるよう。井戸を自らの手で掘り続けるイメージ、彼らなりに理解したようでした。


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