靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子供達とインターネット

2013-11-23 01:03:19 | 子育てノート
学校から帰宅した長女が、「ママ! SとKが新聞の一面に出てるの!」と、大親友のKちゃんが送ってくれたという「アンカレッジ・デイリー・ニュース」を見せてくれる。ほらっ!と、スマートフォンの小さな画面をスクロールしながら。

記事は、今年度からアンカレッジ市周辺の高校と中学で実験的に始められている「BYOD(Bring Your Own Device:自分自身の機器を持ってきて)」について(こちら)。高校七校の内三校、中学十校近くの内一校が実験校となっていて、長男長女が通っている中学がそれに当たる。

「BYOD」とは、授業に、自分自身のスマートフォンやiPadやラップトップを活用するというもの。記事には、社会の授業に自分のラップトップでインターネットにアクセスしてリサーチするSちゃんの様子が一面に、ブラスバンドの練習にiPhoneでチューン合わせをするKちゃんのインタビューも載っている。

現在、高校では十人に九人、中学で十人に八人が持っているとされるスマートフォン。

EdModoというアプリでホームワークをチェックし、ネットに日々アップデートされる成績をzangleで見て、フラッシュカードのようなアプリQuizlet で勉強する。そんな高校生の勉強風景が紹介されている。「身体の一部」と喩える高校生も。



我が家でも、お友達とスカイプで問題を解き合い、先生も含めてテキスト交換で宿題や課題の確認をし合っている。教科書もネットにアクセスするので家に持ち帰る必要もなくバックパックが軽いと喜ぶ長女、そして課題があれば、必ずネットでリサーチ。毎日の生活で、インターネットにアクセスしない日はない。

「教科書は静態的だけれど、インターネットはダイナミック、果てしない広がりがある」と長女の社会科の先生のインタビュー。確かに、興味をもったことについて、どんどん深め広げていくことのできるツールだと思う。




それでも、勉強に活用できるどころか、勉強などにはますます身が入らなくなるといった声も。授業中にネットソーシャルしていたり、禁止されている時間でもWiFiから4Gに切り替え使い続けたりと、「違反者」も後を絶たないという高校のケースが取りあげられている。確かに、常に「誘惑の元」を手にしているようなものともいえるかもしれない。

中学では、今のところ高校よりも「使ってよい時間」がより厳しく監視されているようで(ランチ中に用いて取り上げられる子も)、メールチェックや関係ないサイトを見るなど「他ごと」をしていると、クラスでもすぐに分かると長男長女。

また「いじめ」を気にする親の声も載せられている。あっという間に全校中そして世界中に情報がいきわたってしまう、それが特定の人物に対するネガティブなコメントであっても。

友人とこういったテーマについて話していると、昔は「学校での誘惑」といえば、「早弁」くらいだったよねえ、私達の子供時代って、今思うと、なんて「牧歌的」だったんだろう・・・、そうついつい遠い目で頷き合っていたり。




 「道具としてうまく使う」姿勢を教えていけたら、と思っている。「テクノロジー・リテラシー(tech literacy)」をもっと教えていく必要がある。生徒は自分が読んでいる情報の質を評価することができなければならない」という社会の先生の言葉に頷きながら。

我が家では、長男と長女がスマートフォンを持っているけれど(長女には電話回線をまだつけてない)、使う時間が決めてあり、電話やテキストの送信先・受信先や時間を管理できるシステムを用いている。

今年から 小学四年の次女の宿題に、「タイピング練習」が出されるようになった(中学では課題のほとんどはタイプして提出)。インターネットにアクセスし、タイピング学習のオンライン練習プログラムを活用するというもの。算数もネットにアクセスして練習できるようになっている。親として、「私はアナログ人間だから」とも言ってられない状況。




昨夜そんな話を長男としていると、「あと十年もしたら、どの学校でも当たり前の光景になっているよ。こういった方向に進むのはもう避けられないことだと思うよ」と。二台しかない教室のコンピューターの順番待ちをするよりも、自分のiPhone使ったほうがよほど効率的だし、サイエンスの実験やホワイトボードに書かれた宿題や予定を写真にとったりもできるし、と。

昔彼が十一歳のころ、「僕たちが大きくなるころにはさ、どんな知識だって注射一本で注入できるようになってて、もう学校なんていらなくなっているのかもね」と言っていたのを思い出した。(子供言葉)確かに、もし学校が「知識」のみを教える場ならば、その必要性も薄くなっていくのかもしれない。

知識面を「身体の一部」の機器が担ってくれるのならば、人の役割は、それらをいかに「用いられる形」に組み立てるかだろう。清濁入り交ざる中から「情報を選び取る力」、「考える力」、「クリティカル・シンキング」がこれからますます必要になる。

そして「用いられる形」=「持続可能な形」とするための「根本的なバリュー」を身につけていくこと。

一歩一歩、家庭での取り組みを続けていきたい。

レゴ整理で思ったこと整理

2013-11-23 01:02:20 | 子育てノート
マイナス二十度近くの日が続いた今週、屋内で過ごすことも多く、これまで少しずつ進めていたレゴの整理を終わらせました。

組み立て玩具大好きだった長男、その後娘三人が続き「もっぱらクラフト系/ 時々組み立て玩具」と熱は少し収まっていたものの、ここにきて次男四歳。寝ても覚めても組み立てたい!状態。

昔のインストラクションを引っ張り出し、作ろうとするものの、小さな部品を見つけるのに呆れるほどの時間がかかり。ジャラジャラ~、ザラザラ~と部品で埋まったいくつかの入れ物をかき混ぜ目を凝らし。一センチにも満たないパーツを子ども達と一緒に探し続け一時間程があっという間に過ぎてしまい、あああああ~と頭を抱える(私が)ことも何度か(レゴリーグを上三人がしていたことがあり、結構量あり)。かといって、そうそう新しいキットを買い与えるわけにもいかず。

3日ほどかけての整理が終わり、ほっ。何よりも毎日のように何かしら新しいモデルを作ることができ、うっきうきの次男。

今回のレゴ整理を通し思ったことなど整理:

1.嵐のような日常に「整理の時間」を搾り出すのは大変だけれど、結局、時間的そして経済的にも助かることになり、急がば回れだなあと実感。


2.我が家での整理の際のフォーカスは、レゴに限らず「できる限り子供達が自分でできる空間作り」。手も目も、なかなかかけられないという理由のため。


3.「レゴの整理」という検索でブログを訪ねて下さる方もいるのですが、以前は見た目もきれいということで、「色別」に分けていたのですが、今回全て「形・サイズ別」に。やはりパーツを識別し易く、こちらの方が断然使いやすいですね。


4.分類というのは、見方によっていくつものパターンができる。「厚さ」を見るか、「長さ」を見るか、「機能」を見るかなどで、くくり方も全く違ってくる。「分類の恣意性」をつくづく思う。


5.レゴなどの組み立て玩具は、二通りの楽しみ方がある。

A. インストラクションにそって作る
B. 自分で好きなように作る


AとBを交互に行き来きすることで、アイデアも膨らみ、より複雑なものや面白いものが作れるようになっていく。そしてBのためには、自由に遊べる時間がたっぷり必要


6.5のAにとっては、パーツがそれぞれ離れた引き出しに整然としまってあってもいいのだけれど、Bにとっては、小さな目からも全体を眺められるようになっていた方がいい。

 「面白いもの」というのは、多様さの入り交ざったカオス的な状況から生まれる場合が多い。意外な組み合わせ、たまたま隣にあった普通だったら組み合せようとは思わないものを一緒にしてみることで、おっ!と思うようなものができたりする。

 そこで、小さな引き出しを取り出せていくつも隣同士に並べられるような戸棚がいい。





冬休みに向け、「クラフト・セクション」にも手を入れる予定。「カオスから創造」という意味では、最高の状態にはなっているのですが。(笑)

子供達の意欲・想像力が湧くような空間作りができたら、そう思いつつ。


没頭次男。


あれやこれや組み合わせて。


昨日の「インストラクションにそった作品」。

パーツを揃える手伝いもスムーず!